教皇ベネディクト十六世の167回目の一般謁見演説 テモテへの手紙とテトスへの手紙

1月28日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の167回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2008年7月2日から開始した聖パウロの人と思想に関する連続講話の19回目とし […]

1月28日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の167回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2008年7月2日から開始した聖パウロの人と思想に関する連続講話の19回目として、「テモテへの手紙とテトスへの手紙」について解説しました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。

講話の後、ポーランド語でのあいさつの後、教皇はイタリア語で次の知らせを行いました。
「イタリアの巡礼者の皆様にごあいさつする前に、三つのお知らせを申し上げます。第一はこれです。
  わたしはキリル府主教がモスクワと全ロシアの総主教に選ばれたという知らせを喜びをもって知りました。わたしは、ロシア正教会への寛大な奉仕のために、総主教の上に聖霊の光が与えられるよう祈り求めます。そして、総主教を神の母の特別なご加護にゆだねます。
  二番目の知らせはこれです。
  教皇職を正式に始めるときに行った説教の中で、わたしはこう述べました。羊飼いの『はっきりとした』務めは『一致への招き』です。そしてわたしは、不思議なすなどりについての福音のことばを解説しながら、こう述べました。『それほど多くとれたのに、網は破れていなかった』。この福音のことばの後、わたしはいいました。『ああ、愛する主よ。わたしたちは今、悲しい思いで、網が破れていることを認めなければなりません』。続けてわたしはいいました。『けれども、わたしたちは悲しんでいてはいけません。主が与えられた、失望に終わることのない約束のゆえに、わたしたちは喜ぼうではありませんか。そして、主が約束された、一致へと至る道のりを歩むために、なしうるすべてのことをしようではありませんか。・・・・主よ、あなたの網が破れないようにしてください。わたしたちが一致に仕えるしもべとなれますように、助けてください』。
  わたしのペトロの後継者としての奉仕職を特別な意味で特徴づける、この一致への奉仕を行うために、わたしは数日前、1988年に教皇の指示なしにルフェーブル師が叙階した4名の司教に与えられた破門をゆるすことを認めました。わたしがこの父としてのあわれみのわざを行ったのは、これらの高位聖職者が、自分たちの置かれた状態によって深く苦しんでいることを何度もわたしに表明したからです。わたしは、このわたしのわざに続いて、これらの人々が、教会との完全な交わりを実現するために必要なさらなる手続きをただちにとり、教皇と第二バチカン公会議の教導職と権威への真の忠誠と承認を示すことを望みます。
  三番目のお知らせです。
  この数日、『ショア(ホロコースト)』のことを思いながら、わたしは何度も行ったアウシュヴィッツ訪問のときに受けた印象を思い起こします。この強制収容所の一つの中で、何百万人のユダヤ人の残酷な殺戮が行われました。彼らは盲目的な民族的・宗教的憎悪による罪のない犠牲者です。わたしは、最初の契約を受けたわたしたちの兄弟であるユダヤ人との完全で議論の余地のない連帯をあらためて心から表明します。そして、『ショア』の記憶によって人類が、人間の心を征服した、予想できなかったような悪の力を反省するよう促されることを望みます。『ショア』がすべての人にとって、忘却と否定と過小評価に対する警告となりますように。なぜなら、ただ一人の人に対して行われた暴力も、万人に対する暴力となるからです。有名な詩人が述べたように、だれも孤島ではありません。『ショア』が、特に古い世代の人にも、新しい世代の人にも、こう教えてくれますように。傾聴と対話、愛とゆるしに基づく骨の折れる道こそが、世界の諸国民、諸文化、諸宗教を、わたしたちが待ち望んでいる、真理における兄弟愛と平和という目標へと導きます。暴力が二度と人間の尊厳をおとしめることがありませんように」。 
1月27日(火)にモスクワで開かれた教会会議で、モスクワと全ロシア教会の新しい第16代総主教として、スモレンスク・カリーニングラード管区のキリル府主教(62歳)が選ばれました。新総主教の就任式は2月1日(日)に行われる予定です。
1月24日(土)に発表された、教皇庁司教省の1月21日(水)付の教令により、マルセル・ルフェーブル司教(1905-1991年)が1988年6月30日に教皇の許可なく叙階した4名の司教への伴事的破門制裁が正式に赦免されることが宣言されました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  今日わたしがお話ししたい、パウロの書簡集の最後のものは、「牧会書簡」と呼ばれます。なぜなら、これらの手紙は教会の司牧者のなかでも特別な人にあてられているからです。二つの手紙はテモテに、一つはテトスにあてられたものです。テモテとテトスは聖パウロの密接な協力者です。使徒パウロはテモテのうちに「もう一人の自分(alter ego)」を見いだしました。実際、パウロはテモテに重要な任務をゆだねます(マケドニア州での任務は使徒言行録19・22参照。テサロニケでの任務は一テサロニケ3・6-7参照。コリントでの任務は一コリント4・17、16・10-11参照)。後にパウロはテモテに関する賛辞を喜びのうちに書き記します。「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです」(フィリピ2・20)。4世紀に書かれたカイサレイアのエウセビオス(263/265頃-339/340年)の『教会史』によれば、テモテはエフェソの最初の司教になりました(同3・4参照)。テトスも使徒パウロからとても愛されていたに違いありません。パウロはテトスのことをはっきりと「ますます熱心」な「わたしの同志であり・・・・協力する者」(二コリント8・17、23)、また「信仰をともにするまことの子」(テトス1・4)といっているからです。テトスはコリントの教会における二つのきわめて微妙な任務をゆだねられました。その任務の結果はパウロを喜ばせました(二コリント7・6-7、13、8・6参照)。伝えられるところでは、続いてテトスはギリシアのエピルスのニコポリスでパウロに追いつきます(テトス3・12参照)。その後、パウロによってダルマティアに派遣されます(二テモテ4・10参照)。テトスにあてた手紙によると、テトスはその後、クレタの司教となりました(テトス1・5参照)。
  この二人の司牧者にあてて書かれた手紙は新約聖書全体の中できわめて独特な位置を占めます。現代の大部分の釈義学者は、これらの手紙がパウロ自身によって書かれたものではないと考えているようです。これらの手紙は「パウロ学派」に由来し、新しい世代のためにパウロの遺産を考察します。そして、おそらく使徒パウロ自身の短い手紙ないしことばを一部分用いているとされます。たとえば、テモテへの手紙二のいくつかのことばはきわめて真正性があり、使徒パウロの心と口からのみ出たものだといえます。
  これらの手紙から浮かび上がる教会の状況が、パウロの生涯の中心となる時代の教会の状況と異なることは間違いありません。今やパウロは過去を振り返って、自分は信仰と真理における異邦人の「宣教者、使徒、教師」(一テモテ2・7、二テモテ1・11参照)だといいます。パウロは自分をあわれみを受けた者として示します。パウロはいいます。それは「イエス・キリストがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこのかたを信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の手本となるためでした」(一テモテ1・16)。それゆえ、本質的なことはこれです。復活したかたが現れたことによって迫害者から回心したパウロのうちに、主の寛大なあわれみが示されました。それは、わたしたちを励まし、希望をもって、主のあわれみに信頼するように導くためです。主は、わたしたちが小さなものであるにもかかわらず、偉大なことを行うことができるからです。これらの手紙は、パウロの生涯の中心的な時代を超えて、新しい文化的状況も示します。実際、手紙は、まったく誤った偽りの人々による教えが現れたことに言及します(一テモテ4・1-2、二テモテ3・1-5参照)。たとえば、結婚はよいものではないと主張する人々です(一テモテ4・3a参照)。わたしたちはこのような懸念がきわめて現代的なものであるのを見いだします。なぜなら、現代においても、人々が、聖書を聖霊のことばとしてではなく、歴史的好奇心の対象として読むことがあるからです。しかし、わたしたちは聖書のうちに、主の声そのものを聞き、歴史における主の現存を認めることができるのです。3つの手紙に見いだされる簡単な誤謬のリストによって、グノーシス主義という名で知られる、その後の間違った傾向のいくつかの特徴が先取りされて現れているということもできます(一テモテ2・5-6、二テモテ3・6-8参照)。
  手紙の著者はこうした教えに対して二つの基本的な呼びかけによって立ち向かいます。呼びかけの一つは、聖書の霊的な読み方に立ち返ることによって行われます(二テモテ3・14-17参照)。すなわち、真の意味で「霊感を受けた」、聖霊に由来する読み方です。それゆえこの読み方によって人は「救いに導かれる」ということができます。聖書を正しく読むには、聖霊との語らいのうちに身を置かなければなりません。それは、「人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く」(二テモテ3・16)光を得るためです。その意味で、手紙は加えていいます。「こうして、神に仕える人は、どのようなよいわざをも行うことができるように、十分に整えられるのです」(二テモテ3・17)。もう一つの呼びかけは、「ゆだねられているよいもの(パラテーケー)」を示すことによって行われます。この牧会書簡の特別なことばは、使徒的信仰の伝承を表します。わたしたちはこの伝承をわたしたちのうちに住まわれる聖霊によって守らなければなりません。このいわゆる「ゆだねられているもの」は、使徒の聖伝の全体であり、福音の知らせに忠実であることの基準と考えなければならないものです。ここで心にとめなければならないのは、新約聖書全体と同じように、牧会書簡の中で、「聖書」ということばははっきりと旧約を意味するということです。なぜなら、新約の書物はまだ存在もしていなければ、聖書正典の部分ともなっていなかったからです。それゆえ、使徒の宣教の聖伝であるこの「ゆだねられているもの」は、聖書、すなわち新約聖書を読み、理解するための鍵です。その意味で、聖書と聖伝、すなわち、聖書と、聖書を読む鍵である使徒の宣教は近づき、いわば一つになって、ともに「神が据えられた堅固な基礎」(二テモテ2・19)を形づくります。使徒の宣教、すなわち聖伝は、聖書の理解に導かれ、キリストの声を聞き取るために必要です。実際それは、「教えにかなう信頼すべきことばをしっかりと守る」(テトス1・9)ために不可欠です。すべてのことの基盤となるのは、啓示された神のいつくしみの歴史への信仰です。神はイエス・キリストのうちにご自分の「人間に対する愛」を具体的なしかたで示しました。この愛はギリシア語原文では意味深いことに「フィラントロピア(人類愛)」(テトス3・4。二テモテ1・9-10参照)として示されます。神は人類を愛するのです。
  まとめていえば、次のことが明らかとなります。キリスト教共同体は自らのあるべき姿に従って、はっきりとした形をとります。この自らのあるべき姿は、ふさわしくない解釈から距離を置くだけでなく、何よりもまず、信仰の本質的な点にとどまります。信仰はここで「真理」と同じ意味をもちます(一テモテ2・4、7、4・3、6・5、二テモテ2・15、18、25、3・7、8、4・4、テトス1・1、14)。わたしたちはいかなるものか、神はいかなるかたか、わたしたちはいかに生きるべきかに関する本質的な真理は、信仰のうちに示されます。教会はこの真理(信仰の真理)の「柱であり土台」(一テモテ3・15)と呼ばれます。いずれにせよ、教会は開かれた共同体として、世界に広がり続けます。教会はあらゆる身分、階層に属するすべての人のために祈ります。それは、すべての人が真理を知るようになるためです。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」。なぜなら、「イエス・キリストはすべての人のあがないとしてご自身をささげられた」(一テモテ2・4-5)からです。それゆえ、たとえ共同体はまだ小さかったとしても、これらの手紙にとって普遍性がもつ意味は強く、決定的です。さらに、このキリスト教共同体は「だれをもそしらず」、「すべての人に心から優しく接し」(テトス3・2)ます。普遍性と、真理としての信仰――それが聖書、すなわち旧約聖書を読むための鍵となります――は、こうして、宣教と聖書の一体性、すべての人に開かれた生きた信仰、そして、すべての人に対する神の愛のあかしとして現れました。これが、これらの手紙の第一に重要な要素です。
  これらの手紙のもう一つの特徴となる要素は、教会の奉仕職の構造についての考察です。これらの手紙は初めて、司教、司祭、助祭という3つの区分を示します(一テモテ3・1-13、4・13、二テモテ1・6、テトス1・5-9参照)。わたしたちは牧会書簡のうちに、二つの異なる奉仕職の構造が合流し、そこから、教会の奉仕職の決定的な形が形成されたのを見ることができます。生涯の中心的な時代のパウロの手紙の中で、パウロは(複数形で)「監督(司教)たち(エピスコポイ)」(フィリピ1・1)、「奉仕者(助祭)たち(ディアコノイ)」について語ります。これが、異教世界における時代に形成された、教会の典型的な構造でした。それゆえ、使徒自身の姿が支配的なままであり、だからこそ、ほかの奉仕職は少しずつしか発展しませんでした。
  すでに述べたように、異教世界で形成された教会には、司教と助祭はいても、司祭はいませんでした。一方、ユダヤ人キリスト教世界で形成された教会では、司祭が支配的な構造となっていました。ついに牧会書簡で、この二つの構造が一つになります。今や「監督(司教)」(一テモテ3・2、テトス1・7参照)は、常に定冠詞のついた単数形(ホ・エピスコポス)で現れます。わたしたちは「(単数形の)監督(ホ・エピスコポス)」と並んで、(複数形の)長老(司祭)たちと奉仕者(助祭)たちを見いだします。使徒の姿はあいかわらず決定的ですが、すでに述べたように、3つの手紙は共同体にではなく、テモテとテトスという人間にあてて書かれます。二人は監督(司教)として現れるとともに、使徒の位置に立ち始めるのです。
  こうして後に「使徒継承」と呼ばれるものが初めて示されます。パウロはきわめて荘厳な調子でテモテに述べます。「あなたのうちにある恵みのたまものを軽んじてはなりません。そのたまものは、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです」(一テモテ4・14)。わたしたちは、このことばのうちに初めて奉仕職の秘跡的な性格も現れたということができます。こうしてわたしたちはカトリックの構造の本質を手にすることになったのです。つまり、聖書と聖伝、すなわち聖書と宣教は一つの全体をなします。けれども、このいわば教理的な構造に、人格的な構造が加わらなければなりません。それが、使徒の宣教の証人となる、使徒の後継者です。
  最後に、次のことに注目することが重要です。これらの手紙の中で教会はきわめて人間的なことばで、家と家庭になぞらえて理解されています。特にテモテへの手紙一3・2-7では、監督に対するきわめて詳細な指示が示されます。たとえば、監督は「非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子どもたちを従順な者に育てている人でなければなりません。自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。・・・・さらに、監督は、教会以外の人々からもよい評判を得ている人でなければなりません」。わたしたちはここで何よりも教える力の重要性に注目すべきです(一テモテ5・17も参照)。このことは他の箇所にも見いだすことができます(一テモテ6・2c、二テモテ3・10、テトス2・1参照)。次に重要なのは、特別な人格的特徴としての「父としての愛」です。実際、監督はキリスト教共同体の父とみなされました(一テモテ3・15も参照)。ちなみに、「神の家」としての教会という思想の起源は旧約にあります(民数記12・7参照)。この思想はヘブライ人への手紙3・2、6で再定式化されます。また、他の箇所では、すべてのキリスト信者は、もはや外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家の家族だといわれています(エフェソ2・19参照)。
  主と聖パウロに祈りたいと思います。現代にあっても、わたしたちキリスト信者が、自分たちの生きている社会とかかわりながら、ますます「神の家族」の一員としての姿を示すことができますように。また、祈りたいと思います。教会の牧者たちが、優しさと強さをともに兼ね備えた父としての心をますます抱き、神の家、共同体、教会を築いていくことができますように。

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