教皇ベネディクト十六世の2009年2月8日の「お告げの祈り」のことば 病人のいやし

教皇ベネディクト十六世は、年間第5主日の2月8日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア […]

教皇ベネディクト十六世は、年間第5主日の2月8日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇は、治安の悪化したマダガスカルの情勢について次のように述べました。
「この数週間、マダガスカルには深刻な政治的緊張が見られます。この緊張は人々の不安を引き起こしています。そのためマダガスカル島の司教団は、今日を国家の和解と社会正義のために祈る日と宣言しました。マダガスカルが見舞われている特別な危機的時期に深い懸念を感じながら、わたしは皆様にお願いします。マダガスカルのカトリック信者と心を合わせて、デモの中で亡くなった人を主にゆだね、至聖なるマリアの執り成しによって、心の一致と社会の平静と国民の共存の回復を主に願い求めてください」。
アフリカ南東部の島国マダガスカルでは、ラヴァルマナナ大統領と、首都アンタナナリボの市長を解任されたラジェリナ氏が対立し、大統領の退任を求めて大統領府前で行われた10万人規模のデモで1月26日から28日までに少なくとも68人が死亡しました。2月7日に行われたデモでも少なくとも23人が死亡しています。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  今日の福音(マルコ1・29-39参照)は――先週の主日と直接に続いて――わたしたちに示します。イエスは、安息日にカファルナウムの会堂で説教した後、シモンのしゅうとめを初め多くの病人をいやしました。イエスはシモンの家に入り、シモンのしゅうとめが熱を出して寝ているのを見ると、すぐにその手を取って彼女をいやし、立ち上がらせました。日が沈むと、イエスはあらゆる種類の病気にかかった多くの人をいやしました。病人のいやしの経験はイエスの公生活の多くの部分を占めています。そしてこの経験は、人間が置かれたあらゆる状態における病気の意味と価値をわたしたちにあらためて考えさせます。この考察の機会は「世界病者の日」によっても与えられます。わたしたちは「世界病者の日」を今週の水曜日の2月11日、ルルドの聖母の記念日に行うからです。
  病気は人間の経験の一部であるにもかかわらず、わたしたちは病気に慣れることができません。それは、病気が時として本当に辛く重篤であるからだけではありません。わたしたちは本質的に、生きるために、それも完全な意味で生きるために造られているからです。わたしたちは「内的本能」によって、神がいのちに満ちたかたであり、そればかりか、永遠かつ完全ないのちそのものであると考えます。病気の試練に遭い、祈りが無駄であるように思われるとき、わたしたちのうちには疑いが生じます。そしてわたしたちは苦悩のうちに問いかけます。「神は何をお望みなのでしょうか」。わたしたちはまさにこの問いに対するこたえを福音のうちに見いだします。たとえば、今日の箇所にはこう書かれています。「イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出した」(マルコ1・34)。聖マタイによる福音書の別の箇所ではこう述べられています。「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、み国の福音をのべ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(マタイ4・23)。イエスは疑いの余地を残しません。イエスご自身が神のみ顔をわたしたちに示してくださいました。この神は、いのちの神です。神はわたしたちをあらゆる悪から解放してくださるからです。この愛の力を表すしるしは、イエスが行ったいやしです。こうしてイエスは、神の国が近づき、人が心もからだも完全な状態へと回復されることを示しました。わたしは、このいやしがしるしだといいました。いやしはキリストのメッセージへと導きます。わたしたちを神へと導きます。そして、人間のもっとも深いまことの病は、神の不在であることをわたしたちに悟らせます。神は真理と愛の源だからです。そしてわたしたちは、神と和解することによって初めて、真のいやし、すなわち、まことのいのちを与えられます。なぜなら、いのちは、愛と真理を欠くなら、いのちとはいえないからです。神の国は、真理と愛がわたしたちとともにあることにほかなりません。だから神の国は、わたしたちの存在の根底からのいやしなのです。
  聖霊の働きによって、イエスのわざは教会の宣教の中で続けられます。キリストは秘跡を通じてご自分のいのちを多くの兄弟姉妹に伝えます。キリストはまた、保健従事者のさまざまな活動を通じて、数多くの病人をいやし、慰めます。キリスト教共同体はこの保健活動を兄弟愛をもって推進しながら、神のみ顔を、すなわち神の愛を示します。このことは本当です。どれほど多くのキリスト信者――司祭、修道者と信徒――が、世界中で、その手と目と心を、からだと心のまことのいやし手であるキリストにささげ、今もささげ続けていることでしょうか。すべての病者、とくに重病の人々のために祈りたいと思います。彼らは自分のことをどうすることもできず、他の人の介護に全面的に頼るしかありません。どうかわたしたち皆が、寄り添ってくれる人の配慮のうちに、神の愛の力と、わたしたちを救う神の豊かな恵みを味わうことができますように。病人の回復であるマリアよ、わたしたちのために祈ってください。

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