教皇ベネディクト十六世の2009年3月8日の「お告げの祈り」のことば 主の変容

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第2主日の3月8日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリ […]

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第2主日の3月8日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文はイタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はまずイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「今日の3月8日(国際女性デー)という日付は、女性の置かれた状況を考察し、新たな努力を行うようわたしたちを招きます。それは、すべての女性がつねにどのような場所においても自らの能力を完全に生かし、また表し、自らの尊厳が完全な意味で尊重されるようになるためです。このことを第二バチカン公会議と教皇の教導職は、とくに神のしもべヨハネ・パウロ二世の使徒的書簡『女性の尊厳と使命』(1988年8月15日)によって、表明しました。さらに、文書よりも意味があるのは聖人たちのあかしです。現代においてはコルカタのマザー・テレサ(1910-1997年)のあかしがあります。このアルバニア生まれのつつましい女性は、神の恵みによって、愛のわざの実践と人間性の向上への奉仕における全世界の模範となりました。これ以外にも、どれほど多くの女性が、日々、隠れたしかたで、人類の善益と神の国のために働いていることでしょうか。今日わたしは、すべての女性のために祈ることを約束します。どうかすべての女性の尊厳がますます尊重され、その積極的な力を評価されますように。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。四旬節の特徴である深い祈りの雰囲気のうちに、神が望まれるなら、わたしが近く行う二つの使徒的訪問を皆様が心にとめてくださるようお願いします。再来週の3月17日から23日まで、わたしはアフリカにまいります。まずカメルーン、次にアンゴラに行きます。それは、わたしが特別に愛するアフリカ大陸のキリスト信者とすべての人々に、わたしと教会が具体的なしかたで連帯していることを示すためです。その後、5月8日から15日まで、聖地への巡礼を行います。それは、主が地上の歩みによって聖なるものとした地を訪れて、中東と全人類のために一致と平和の尊いたまものを与えてくださるよう主に願い求めるためです。今からわたしは皆様の霊的な支えを頼みとします。どうか神がわたしとともに歩み、わたしが訪問先で出会う人々をその恵みで満たしてくださいますように」。
3月8日、教皇庁広報部は、ヨルダン国王、イスラエル大統領とパレスチナ暫定自治政府ならびにカトリック裁治権者連盟の招きを受けて、教皇ベネディクト十六世が5月8日(木)から15日(木)までアンマン(ヨルダン・ハシェミット王国)、エルサレム、ベツレヘム、ナザレを訪れることを発表しました。
四旬節第1主日の3月1日(日)から行われた、教皇と教皇庁の四旬節の黙想会は3月7日(土)午前9時の朝の祈りと結びの黙想をもって終了しました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
  ご存じのとおり、先週わたしは、ローマ教皇庁のわたしの協力者のかたがたとともに黙想を行いました。それは沈黙と祈りの一週間でした。わたしたちは思いと心のすべてを神にささげて、神のことばに耳を傾け、キリストの神秘を黙想することができました。ある意味でそれは使徒ペトロ、ヤコブ、ヨハネに起こったことに似ています。イエスが彼らだけを人里離れた高い山に連れて行き、祈っておられると、その姿が「変わり」ました。イエスの顔と姿は光り輝きました。実際、今日の四旬節第2主日の典礼はこの有名な話をあらためて示します(マルコ9・2-10参照)。イエスは、弟子たち、とくに初代教会を指導する責任を負うことになる弟子たちが、イエスの神としての栄光を直接体験することを望まれました。それは、彼らを十字架のつまずきに立ち向かわせるためです。実際、裏切られる時が来て、ゲツセマネで祈られたとき、イエスは同じペトロ、ヤコブ、ヨハネをご自分のそばに置き、目を覚まして自分とともに祈っているようにと願います(マタイ26・38参照)。彼らにはそれができませんでしたが、キリストの恵みが彼らを支え、復活を信じることができるように助けます。
  わたしは、イエスの変容が根本的に祈りの体験であることを強調したいと思います(ルカ9・28-29参照)。実際、人間の霊が神の霊と一致し、人間と神の意志がほとんど一つになったとき、祈りは頂点に達し、そこから、それは内的な光の源となります。山に登られると、イエスは御父の愛の計画の観想にひたりました。御父は人類を救うためにイエスを遣わされたからです。イエスとともにエリヤとモーセが現れました。それは、聖書が一致して過越の神秘を告げ知らせていたことを表します。キリストは栄光に入るために、苦しみを受け、死ななければなりませんでした(ルカ24・26、46参照)。この変容のとき、イエスは十字架がご自分に近づいているのをご覧になりました。十字架は、罪と死の支配からわたしたちを解放するために必要な、最高の犠牲だからです。そしてイエスは心の中で、もう一度「アーメン」と繰り返していいました。イエスはいいます。ご覧ください。父よ、あなたの愛のみ心が行われますように。そして、ヨルダン川で洗礼を受けられた後と同じように、父である神のみ心にかなったことを表すしるしが天から降りました。キリストを変容させた光と、イエスは「わたしの愛する子」(マルコ9・7)だと告げた声です。
  祈りは、断食とあわれみのわざとともに、わたしたちの霊的生活を支える柱です。親愛なる兄弟姉妹の皆様。この四旬節の間、長い沈黙と、可能ならば黙想の時をもつことをお勧めします。それは、天の父の愛の計画に照らして自分の生活を見つめ直すためです。祈りの師であり模範であるおとめマリアが、このように神に深く耳を傾ける態度を導いてくださいますように。キリストの受難の深い暗闇の中にあっても、マリアは心の中で、神である御子の光を失うことなく守りました。ですから、信頼と希望をもって聖母に祈り求めようではありませんか。

PAGE TOP