教皇ベネディクト十六世の2009年3月29日の「お告げの祈り」のことば アフリカ司牧訪問を終えて

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第5主日の3月29日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリ […]

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第5主日の3月29日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇は、4月2日(木)に行われるヨハネ・パウロ二世4回目の命日祭ミサについて、次の呼びかけを行いました。
「わたしは今週の木曜日の午後6時に、サンピエトロ大聖堂で、わたしの敬愛すべき前任者である神のしもべヨハネ・パウロ二世の4回目の命日祭ミサを司式します。特にローマの若者の皆様が参加してくださるようお願います。それは、枝の主日に教区レベルで行われる『世界青年の日』をともに準備するためです」。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 まず、最近アフリカで行うことのできた使徒的訪問が成功したことについて、神に感謝したいと思います。また、さまざまな形で協力してくださったすべてのかたがたに感謝したいと思います。そして、わたしがアフリカの地にまいた種の上に天から豊かな祝福が注がれることを祈り求めます。わたしは今週水曜日の一般謁見で、この意義深い司牧的経験について詳しくお話しするつもりです。しかし、この機会を用いて、カメルーンとアンゴラのカトリック共同体とすべての人々との出会いによりわたしが味わった深い感動を表さずにはいられません。何よりもわたしに印象的だったのは、二つのともに重要な点です。一つは、人々の顔に目に見える形で示された喜びです。すなわち、自分が神の唯一の家族の一員であることを感じる喜びです。わたしは、このわたしたちの多くの兄弟姉妹と、単純で、まとまりと信仰に満ちた祭典の時をともに過ごせたことを主に感謝します。第二の点は、典礼の中に息づいている、聖なるものに対する深い感覚です。この感覚はすべてのアフリカの民に共通しています。そして、わたしがこの愛する民のところに滞在していた間中、ずっと示されていたといえます。わたしは今回の訪問によって、現代、アフリカの民が直面しているさまざまな経験と問題をありのままに見、また理解することができました。
  アフリカ大陸と世界のあらゆる地域における教会の歩みを特徴づける困難を思うとき、わたしたちは、今日の四旬節第5主日の福音のことばがきわめて現代的な意味をもつことに気づきます。受難を間近にしたイエスははっきりとこういわれます。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12・24)。もはやことばを述べたり会話をする時ではありません。決定的な時が来ました。神の子はこの時のために世に来ました。そして、たとえ心が騒いでも、神の子は、父のみ旨を最後まで進んで果たします。神のみ旨とは、失われていた永遠のいのちを、わたしたちに与えることです。しかし、このことを実現するために、イエスは死ななければなりません。父である神が世にまいた一粒の麦と同じように。実際、イエスが死ぬことによって初めて、新しい人類が生まれ、育つことができます。新しい人類は、罪の支配から解放され、天におられる唯一の父の子として、兄弟愛のうちに生きることができるようになるからです。
  アフリカでともに過ごした偉大な信仰の祭典の中で、わたしたちは、たとえ人間的な限界があっても、この新しい人類が生きているのを体験しました。そこでは宣教者が、イエスと同じように福音のためにいのちをささげ、今も惜しみなく与え続けています。そして、豊かな実りを刈り取っています。これらのかたがたがよいわざをしてくださったことを特別に感謝申し上げたいと思います。宣教者には、男子と女子の修道者もいれば、男性と女性の信徒もいます。彼らのキリストへの愛がもたらした実りを見、キリスト信者が彼らに深く感謝しているのを知って、喜ばしく思います。神に感謝しようではありませんか。そして、至聖なるマリアに祈ろうではありませんか。どうかキリストの希望と愛のメッセージが全世界に広まりますように。

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