教皇ベネディクト十六世の172回目の一般謁見演説 アフリカ司牧訪問を振り返って

4月1日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の172回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、3月17日(火)から23日(月)まで行ったアフリカ司牧訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文はイタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  先の日曜日の「お告げの祈り」で予告したように、今日は、最近行ったアフリカへの使徒的訪問についてお話しします。これはわたしの教皇として初めてのアフリカ大陸訪問でした。訪問はカメルーンとアンゴラに限られましたが、わたしはこの訪問により、精神的な意味で、アフリカの人々すべてを抱擁し、主の名によって祝福することを望みました。わたしはいたるところでわたしに対するアフリカの伝統的な温かい歓迎を受けました。この機会に、両国の司教団、国家元首、すべての公的機関と、わたしの司牧訪問が成功するためにさまざまな形で努力されたすべての人々にあらためて心から感謝を表したいと思います。
  わたしのアフリカ滞在は3月17日にカメルーンの首都ヤウンデから始まりました。このヤウンデで、わたしはすぐに、自分がアフリカの中心にいるのを見いだしました。それは単に地理的な意味だけではありません。実際、カメルーンはこの偉大なアフリカ大陸の多くの性格を要約しています。何よりもまず、深い宗教的な精神です。この精神が、アフリカに住む数えきれない数の民族集団のすべてを結びつけています。カメルーンでは、カトリック信者が国民の四分の一以上を占めながら、他の宗教共同体と平和的に共存しています。だからわたしの敬愛すべき前任者であるヨハネ・パウロ二世は1995年に、アフリカ大陸にささげた最初のシノドスの後、カメルーンの首都で使徒的勧告『アフリカにおける教会』を公布することに決めたのです。今回、教皇であるわたしは、来る10月にローマで開催される予定の第2回アフリカ特別シノドスの「討議要綱」を手渡すために戻ってきました。今回のシノドスのテーマは「和解と正義と平和に仕えるアフリカの教会――『あなたがたは地の塩、世の光である』(マタイ5・13―14)」です。
  2日後(3月19日)に行われた、カメルーン、アンゴラ、サントメ・プリンシペの司教団との集会の中で、わたしは――パウロ年にあたっていっそうのこと――福音宣教が急務であることを述べようと望みました。福音宣教はまず司教の職務です。その際、秘跡の交わりに基づいて、団体的な次元を重んじなければなりません。わたしは司教の皆様に勧めました。常に自分に属する司祭とすべての信者の模範となってください。そして、神学生とカテキスタの養成に細心の注意を払ってください。有難いことに神学生の数は多く、カテキスタはアフリカの教会生活にますます必要となっているからです。わたしは司教の皆様を励ましました。結婚と家庭、典礼、文化の司牧を推進してください。それは、信徒がセクトやエソテリックなグループの攻撃に抵抗できるようにするためでもあります。わたしは、愛のわざと貧しい人の権利の擁護を行うよう、司教の皆様を愛をこめて強めたいと思いました。
  それから、ヤウンデの、カメルーンの守護者である使徒の元后マリア聖堂で行われた荘厳な晩の祈りを思い起こします(3月18日)。それは新しく大きな聖堂で、カメルーンの最初の宣教者である聖霊宣教会が活動した地に建てられています。神はご自分のもっとも貴い宝であるマリアとイエスを聖ヨセフの心をこめた保護にゆだねました。その聖ヨセフの祭日の前晩に、わたしたちは他の教会・教会共同体の代表者のかたがたとともに、天におられる唯一の父に賛美をささげました。聖ヨセフはキリストとおとめマリアに生涯をささげました。聖ヨセフの霊的な姿を仰ぎ見ながら、わたしは、司祭、奉献生活者、運動団体会員の皆様に願いました。自分の召命を常に忠実に守り、神の現存のうちに、神のことばに喜んで従いながら生きてください。
  ヤウンデの教皇庁大使館で、わたしはカメルーンのイスラーム共同体の代表者のかたがたとお会いできました(3月19日)。わたしは、世を神に向けて開く助けとなるために、諸宗教対話と、キリスト教徒とイスラーム教徒の協力が重要であることを繰り返して述べました。それは本当に心のこもった会見でした。
  今回の訪問の頂点の一つが、第2回アフリカ・シノドスの「討議要綱」の公布であったことは間違いありません。この公布は、3月19日に――3月19日は、わたしの守護聖人でもある聖ヨセフの祭日です――ヤウンデのスタジアムで、聖ヨセフをたたえるミサの終わりに行われました。それは、詩編(詩編42・5)が述べるとおり、神の民が心を一つにして「喜び歌い感謝をささげる声の中」で行われました。わたしたちはこのことを具体的に体験しました。シノドスはローマで開催されますが、ある意味でそれは、アフリカ大陸の中心で、すなわち、アフリカに生き、苦しみ、希望するキリスト者の家族の中心で始まりました。ですから、「討議要綱」の公布が聖ヨセフの祭日に行われたのは幸いな偶然の一致のように思われました。聖ヨセフは、太祖アブラハムと同じように、信仰と希望の模範だからです。「神は近くにおられます」。そして、イエスのうちにご自分の愛のみ顔をわたしたちに示してくださいます。この「近くにおられる神」を信じることが、アフリカと全世界にとって、確かな希望の保証であり、和解と正義と平和に基づく未来の保証です。
  荘厳な典礼と、「討議要綱」の公布の後、わたしはヤウンデの教皇庁大使館でアフリカ・シノドスの特別顧問会委員と会って、深い交わりの時を過ごすことができました。わたしたちは神学的・司牧的観点からアフリカの歴史をともに考察しました。それはあたかもシノドスの第1回会議のようでした。さまざまな司教と教皇の間で、アフリカの和解と平和についてのシノドスに関する兄弟愛に満ちた討議が行われたからです。実際、ご承知のように、キリスト教は最初からアフリカの地を深い基盤としていました。数多くの殉教者と聖人、司牧者、教会博士、カテキスタが、まず北アフリカで、さらにその後の時代にアフリカ大陸の他の地域で活動したことに示されるとおりです。わたしたちはチプリアノ(200/210-258年)、アウグスチヌス(354-430年)、その母モニカ(332頃-387年)、そしてアタナシオ(295頃-373年)のことを考えます。その後も、ウガンダの殉教者たちや、ジュゼッピーナ・バキータ(1869-1947年)を初めとして、多くの人々がいます。現代、アフリカは、政治的独立の強化と、グローバル化した状況において独自の国家の建設に努めています。その際、教会は、第二バチカン公会議の偉大なメッセージを告げ、第1回、そして今回の第2回アフリカ特別シノドスを通じ、公会議を実施することによって、アフリカの人々とともに歩みます。残念ながら、多くの悲惨な紛争が今なおアフリカ大陸の諸地域を苦しめています。このような紛争のただ中で、教会は、一致と和解のしるしまた道具とならなければならないことを自覚します。それは、全アフリカがともに正義と連帯と平和に基づく未来を築き、福音の教えを実現できるためです。
  障害者のリハビリテーションを目的とする、ヤウンデのカーディナル・レジェ・センターは、間違いなく、キリストのメッセージに基づく人間性推進活動の強力なしるしです。このセンターはカナダのポール・エミール・レジェ枢機卿(1904-1991年)によって設立されました。レジェ枢機卿は公会議の後、貧しい人々のために働くために、1968年に(モントリオール大司教職を)引退しました。後に国が運営するようになったこのセンターで、わたしは苦難のうちにある多くの兄弟姉妹と会いました(3月19日)。そして、苦難のうちにあっても、信仰からもたらされる希望を、この兄弟姉妹と分かち合うばかりか、それを与えられました。
  第二の行き先は(それはわたしの訪問の後半となりますが)アンゴラでした。アンゴラはある意味で象徴的な意味をもつ国です。実際、長い内戦を経て生まれたアンゴラは、今や和解と国家建設の作業に努めています。けれども、もっとも貧しい人を犠牲として行われるなら、どうしてこのような和解と再建が真実のものとなりうるでしょうか。貧しい人も、すべての人と同じように、自らの国の資源にあずかる権利をもつからです。ですから、わたしはこの最初の訪問によって――わたしの訪問の第一の目的が教会の信仰を強めることであることはいうまでもありませんが――、社会の進歩の実現を励まそうと望みました。人はアンゴラで、わたしの敬愛すべき前任者たちが繰り返し述べたことがらに何度も本当に手で触れることができます。すべてが戦争によって失われましたが、すべては平和によって再び生まれることができます。けれども、国家の再建には大きな道徳的な力が必要です。だからこそ、教会の役割があらためて重要となります。教会は、教育事業を発展させ、心の深みから良心を新たに形成するよう努める使命をもっているからです。
  聖パウロはアンゴラの首都ルアンダの守護聖人です。そのためわたしは、3月21日土曜日に、使徒パウロにささげられた聖堂で、司祭、神学生、修道者、カテキスタ、その他の司牧担当者とともに感謝の祭儀を行うことに決めました。聖パウロの個人的な体験は、復活したキリストと出会うことについてわたしたちにあらためて語りました。この出会いは、個人と社会を造り変えることができるものです。歴史的な状況は変わります。わたしたちはこのことを考慮に入れる必要があります。しかし、キリストは、人間と人間社会を根底から刷新するための真の力であり続けます。だから、神に立ち帰ること、キリストに心を向けることは、完全ないのちに向けて前進することを意味するのです。
  教会がアンゴラの再建と、多くのアフリカの地域の努力に寄り添うことを表すために、わたしはルアンダで、若者(3月21日)、また女性(3月22日)と、2回の特別な集いをもちたいと思いました。スタジアムで行われた若者との集いは、喜びと希望の祭典でしたが、残念ながら、入場の際に群衆に押しつぶされた二人の少女の死によって悲しいものとなりました。アフリカはきわめて若々しい大陸です。けれども多くのアフリカの子ども、少年、青年が深い傷を負ったばかりです。十字架につけられて復活したイエス・キリストだけがこの傷をいやすことができます。イエス・キリストはご自分の霊によって、愛する力と、正義と平和のために働く力を彼らに注ぎ込むからです。さらにわたしは奉仕活動を行う女性をたたえました。この奉仕活動の多くの部分は、信仰と人間の尊厳といのちと家庭にささげられているからです。わたしは女性が公的生活に参加する完全な権利をもつことを再確認しました。その際女性は、家庭における役割を犠牲にする必要はありません。女性のこの根本的な使命は、社会の他のあらゆる成員、とくに夫と父親との責任の共有を通じて常に果たされるからです。それゆえわたしは、新たな世代と女性に向けて述べたこのメッセージを、さらに3月22日日曜日の大規模な感謝の祭儀にも拡大しました。この感謝の祭儀は、100万人の信者の参加のもとに、南アフリカ諸国の司教との共同司式でささげられました。わたしはこの人々に対していいました。もしアフリカの人々が、古えのイスラエルと同じように、豊かな宗教的・文化的な遺産である神のことばを自らの希望の礎とするなら、和解と、すべての人にとっての堅固な平和に基づく未来を本当の意味で築くことができるでしょう。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。この訪問を思い起こすとき、どれだけ多くの思いが心に湧き、どれだけ多くの思い出が脳裏によみがえることでしょうか。皆様にお願いします。熱意と信仰に満ちた宣教者、男女修道者、ボランティア、司祭、カテキスタ、新しい共同体の惜しみない活動を通して、主がアフリカで不思議なわざを行い、今も行い続けてくださっていることについて、主に感謝してください。皆様にこのこともお願いします。わたしの愛するアフリカの人々のために祈ってください。それは、彼らが勇気をもって、現在の大きな社会的・経済的・精神的問題に立ち向かえるようになるためです。アフリカのすべてと、すべての人を、アフリカの元后にして、アフリカの聖人と福者の元后である、至聖なるマリアの母としての執り成しにゆだねたいと思います。

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