教皇ベネディクト十六世の177回目の一般謁見演説 ダマスコスの聖ヨアンネス

5月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の177回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第 […]

5月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の177回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第6回として、「ダマスコスの聖ヨアンネス」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇は、5月8日(金)から15日(金)まで訪れる聖地(ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区)の人々に向けて、英語で次のメッセージを発表しました。
「ご存知のとおり、わたしは明後日、聖地に向けて出発します。それゆえ、今、ヨルダン、イスラエル、パレスチナの人々に特別なメッセージを申し上げます。(以上イタリア語、以下英語)
  親愛なる友人の皆様。今週の金曜日、わたしはローマを発ってヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区への使徒的訪問を行います。今朝のこの機会に、ラジオ・テレビ放送を通じてこれらの地域の皆様にごあいさつ申し上げたいと思います。わたしは皆様のところに行き、皆様の望みと希望、また苦しみと苦闘を分かち合うことを心から待ち望んでいます。わたしは平和の巡礼者として皆様のところにまいります。わたしの第一の目的は、イエスの生涯によって聖なるものとされた場所を訪れ、そこで、皆様の家族と、聖地と中東を母国とするすべての人のために平和と一致のたまものを祈ることです。一週間の間に開催される多くの宗教的な集いと公的な会見の中で、イスラームとユダヤ教共同体の代表者との会見も行われます。これらの共同体との対話と文化交流は大きく進展してきました。特にわたしは現地のカトリック信者の皆様に心からごあいさつ申し上げるとともに、お願いします。どうか、今回の訪問が、聖地に住むすべての人の霊的生活と市民生活にとって多くの実りをもたらすようわたしとともに祈ってください。わたしたち皆が、神のいつくしみをたたえることができますように。わたしたち皆が、希望の民となることができますように。わたしたち皆が、堅固な心で平和を望み、平和のために努力することができますように」。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日わたしはダマスコスのヨアンネス(Ioannes 650頃-750年頃)についてお話ししたいと思います。ダマスコスのヨアンネスはビザンティン神学の歴史の中で第一の傑出した人物であり、普遍教会の歴史の中でも偉大な教会博士です。彼は何よりも、東方ビザンティン帝国内で共有されたギリシア・シリアのキリスト教文化から、イスラーム文化への移行を目の当たりにした証人です。イスラーム文化は、通常、中東ないし中近東として知られる地域を軍事的征服によって支配したからです。ヨアンネスは裕福なキリスト者の家庭に生まれ、若くして――おそらく父親と同じく――カリフの官吏となりました。しかし、すぐに宮廷生活に満足できなくなった彼は、修道生活を送ることに決め、エルサレム近郊の聖サバ修道院に入りました。700年頃のことです。ヨアンネスは修道院を離れることなく、修徳生活と執筆活動に全力を注ぎました。ただし彼はある種の司牧活動を軽んじたわけではありませんでした。何よりも彼の多くの『説教』(Homiliae)が示すとおりです。ヨアンネスの記念日は12月4日です。教皇レオ十三世(在位1878-1903年)は1890年にヨアンネスを普遍教会の教会博士と宣言しました。
  東方教会でヨアンネスは何よりも三つの講話『聖画像破壊論者駁論』(Contra imaginum calumniatores orationes tres)によって知られます。この講話は彼の死後、聖画像破壊論者によるヒエレイア教会会議(754年)によって断罪されました。しかし、これらの講話は、第7回公会議の第2ニカイア公会議(787年)に集まった東方教父がヨアンネスを復権し、尊者とした基本的な理由となりました。わたしたちはこれらのテキストの中に聖画像崇敬を正当化するための最初の重要な神学的試みを見いだすことができます。ヨアンネスは聖画像を、おとめマリアの胎内における神の子の受肉の神秘と結びつけたからです。
  ダマスコスのヨアンネスは、キリスト信者の公的礼拝と私的礼拝、すなわち礼拝(ラトレイア)と崇敬(プロスキュネーシス)を区別した最初の人でもあります。公的礼拝が最高に霊的な存在である神に向かうのに対して、私的礼拝は、画像を用いて、画像が表すかたに向かうことができます。たしかに聖なるかたを、イコンを作るための物質と決して同一視してはなりません。この区別はただちに、キリスト教徒として、ある人々にこたえる上できわめて重要なものとなりました。この人々は、像を礼拝に用いてはならないという旧約の厳しい禁止規定を、世界中で永遠に守らなければならないと主張したからです。このことはイスラーム世界でも盛んに議論されました。イスラーム世界は礼拝から像を完全に追放するという、このユダヤ教の伝統を受け入れたからです。これに対して、キリスト教徒はこの点をめぐって、問題を議論し、聖画像崇敬を正当化する根拠を見いだしました。ヨアンネスは述べます。「かつて神は決して像によって表されることがありませんでした。神は非物質的で、顔をもたなかったからです。しかし、今や神は肉において目に見えるものとなり、人間の中で過ごされました。だからわたしは神のうちに見ることができるものを表すのです。わたしは物質を崇敬するのではなく、物質を造られたかたを崇敬します。このかたはわたしのために物質となり、物質の中に住み、物質を通じてわたしを救ってくださったからです。ですから、それによってわたしに救いがもたらされた物質を崇敬せずにいることはできません。しかし、わたしは物質を、それが神であるかのように絶対的な意味で崇敬するのではありません。どうして神が、無から存在を受け取ったものでありうるでしょうか。・・・・むしろわたしは、それが力と聖なる恵みに満たされているかぎりにおいて、わたしに救いをもたらした、その他のすべての物質を崇敬し、尊びます。いとも聖なる十字架の木も物質ではないでしょうか。・・・・福音を記したインクと聖なる書物も物質ではないでしょうか。いのちのパンをわたしたちに与える、救いの祭壇も物質ではないでしょうか。・・・・何よりも、わたしの主の肉と血は物質ではないでしょうか。これらすべてのものの聖なる性格を否定すべきでしょうか。それとも、教会の伝統が、神の像と神の友の像を崇敬することを認めるべきでしょうか。この神の友は、その名によって聖なるものとされ、そのために聖霊の恵みが宿るからです。ですから、物質を攻撃してはなりません。物質はさげすむべきものではありません。なぜなら、神がお造りになったものはいかなるものであれさげすむべきではないからです」(『聖画像破壊論者駁論』:Contra imaginum calumniatores orationes tres I, 16, ed. Kotter, pp. 89-90)。受肉によって、物質は聖化されて現れたこと、すなわち神の住まいと考えられるようになったことがわかります。これは世と物質的現実に関する新しいものの見方です。神は肉となり、肉は本当に神の住まいとなりました。神の栄光はキリストの人間のみ顔のうちに輝くからです。ですから、この東方教父の招きは現代においてもきわめて現実的な意味をもっています。それは、物質が、受肉によってかぎりなく大きな尊厳を与えられ、信仰のうちに、人間と神との出会いの力強いしるしまた秘跡となりうることを考察させてくれるからです。それゆえダマスコスのヨアンネスは、イコン崇敬の特別な証人であり続けます。イコン崇敬は、現代に至るまで、東方教会の神学と霊性の最大の特徴の一つとなっているからです。しかしそれは、ただキリスト教信仰にのみ属する礼拝形式です。キリスト教信仰は、肉となり、目に見えるものとなった神への信仰だからです。そこで、ダマスコスの聖ヨアンネスの教えは普遍教会の伝統とつながります。普遍教会の秘跡についての教理は、自然からとられた物質的な要素が、まことの信仰告白を伴う聖霊の働きを求める祈り(エピクレーシス)によって恵みの仲介となることを前提するからです。
  この基本的な思想と関連して、ダマスコスのヨアンネスは聖人の聖遺物に対する崇敬にも信仰に基づく基盤を与えました。すなわち、キリストの復活にあずかる者とされた聖なるキリスト信者を単なる「死者」と考えることはできません。たとえばヨアンネスは、その聖遺物や聖画像が崇敬に値する人々を数え上げながら、第三講話の中で聖画像を擁護します。「神は、聖なる人のもとにとどまる唯一の聖なるかたです(イザヤ57・15参照)。何よりも、神がそのもとにとどまった人々、たとえば神の聖母とすべての聖人を(わたしたちは崇敬します)。これらの人々は、その意志と、神が内に住んでくださり、助けてくださることによって、できるかぎり神と似た者となろうとしました。そして実際、神々と呼ばれました(詩編82・6参照)。それは、本性によってではなく、偶有性によってそう呼ばれたのです。赤く熱せられた鉄が、本性によってではなく、たまたま火を分有することによって火と呼ばれるのと同じです。実際、こういわれています。『あなたたちは聖なる者となりなさい。わたしは聖なる者である』(レビ19・2)」(同:ibid. III, 33, PG 94, 1352A)。このような一連の例を挙げた後、そこからヨアンネスは落ち着いて結論づけます。「神は善なるかたであり、いかなる善にも優っておられます。この神が、自らを見つめることで満足することはありません。むしろ神は、神の恵みを受けて、神の善性にあずかれる者が存在することを望みます。そのため神は、目に見えるものも目に見えないものも含めた万物を無から創造しました。それは、目に見えると同時に目に見えない存在である人間を含みます。また神は人間を創造する際に、人間を、思考することができ(エンノエマ・エルゴン)、豊かなことばをもち(ロゴ〔イ〕・シュンプレルーメノン)、霊に向かう(プネウマティ・テレイウーメノン)者だと考え、また、実際にそのような者にしました」(同:ibid. II, 2, PG 94, 865A)。その後、この考えを明らかにするために、ヨアンネスは続けて述べます。「摂理のわざ(テース・プロノイアス・エルガ)のすべてに対する驚きに満たされ(タウマゼイン)、これらのものすべてをたたえ、受け入れなければなりません。そのために、多くの人にとって不正・不公平(アディカ)に見える点をこれらのもののうちに見いだそうとする誘惑に打ち勝たなければなりません。むしろ、神のご計画(プロノイア)が人間の知識や理解(アグノストン・カイ・アカタレプトン)の力を超えること、逆に、神だけがわたしたちの思いも行いも、未来までも知っておられることを認めなければなりません」(同:ibid. II, 29, PG 94, 964C)。ところで、すでにプラトンも、あらゆる哲学は驚きから始まるといいました。わたしたちの信仰も、創造のわざと、目に見えるものとなった神の美しさに対する驚きから始まります。
  自然を観照し(フュシケー・テオーリア)、目に見える被造物のうちに善と美と真実を見いだす楽観主義――このキリスト教的な楽観主義は、素朴な楽観主義ではありません。この楽観主義は、自由意思によって人間本性が受けた傷にも心をとめます。自由意思は神が望んだものですが、人間はそれを不適切なしかたで用いました。そこから、さまざまな対立が広まりました。神の善と美を映し出している本性は、わたしたちの罪によって傷つけられました。だから、ヨアンネスの神学がはっきりと認めるとおり、この本性は、神の子が肉へと下ることによって「頑健にされ、新たにされ」なければなりません。しかし、すでにそれ以前から、神は、人間がただ「存在する」だけでなく、「よく存在する」ように人間を創造し、そのことをさまざまなしかたで、さまざまなときに示そうと努めてきたのです(『正統信仰の解明』:De fide orthodoxa II, 1, PG 94, 981参照)。ヨアンネスは情熱をこめて叫びます。「本性は頑健にされ、新たにされ、行動によって教導され、破滅に背を向けて永遠の生命へと導く徳の道を学ぶ(ディダクテナイ・アレテース・ホドン)必要がありました。そしてついに歴史の地平の中に人間に対する神の愛の壮大な海(フィラントロピアス・ペラゴス)が明らかにされました・・・・」。これはすばらしい表現です。わたしたちは被造物の美しさを目の当たりにする一方で、人間の罪がもたらした破壊をも目の当たりにします。けれどもわたしたちは、本性を新たにするために下られた神の子のうちに、人間に対する神の愛の海を見いだします。ダマスコスのヨアンネスは続けていいます。「実に、創造者、主ご自身がご自分の被造物のために戦いを引き受け、行動を通して教師となりました。・・・・こうして神の子、神の姿形であるかたが天を傾けて降って来た、すなわち・・・・ご自分のしもべたちの状態にまで自己卑下したのです。・・・・そして、あらゆる新しいことの中でももっとも新しいこと、太陽の下で唯一の新しいことを成し遂げ、それによって神の無限の力を現したのです」(同:ibid. III, 1, PG 94, 981C-984B〔小高毅訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成3 後期ギリシア教父・ビザンティン思想』平凡社、1994年、634-635頁。ただし表現を一部改めた〕)。
  わたしたちはこのように魅力的なイメージに富むことばによって、信者の心がどれほど慰められ、喜びを与えられたかを想像できます。現代のわたしたちも、当時のキリスト信者と同じ思いを共有しながら、このことばに耳を傾けます。神はわたしたちのうちにとどまることを望まれます。わたしたちの回心を通じても、本性を新たにしてくださることを望まれます。わたしたちをご自身の神性にあずからせることを望まれます。主の助けによって、わたしたちがこのことばを人生の糧とすることができますように。 

略号
PG Patrologia Graeca

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