教皇ベネディクト十六世の2009年5月17日の「アレルヤの祈り」のことば 聖地巡礼を終えて

教皇ベネディクト十六世は、復活節第6主日の5月17日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタ […]

教皇ベネディクト十六世は、復活節第6主日の5月17日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
教皇は5月8日(金)から15日(金)まで行った聖地巡礼を無事終了して、15日午後4時43分(日本時間同日午後11時43分)、ローマ・チャンピノ空港に帰還しました。
教皇が「アレルヤの祈り」の前に述べたとおり、スリランカでは25年間続いた内戦が終結しようとしています。スリランカでは1983年以降、スリランカ北・東部を中心に居住する少数派タミル人の反政府武装勢力「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」が分離独立をめざして政府側と内戦を続け、双方で7万人以上が犠牲となりました。5月13日(水)、国連安全保障理事会はスリランカ北部の人道情勢悪化に深い懸念を示しました。17日、スリランカ政府軍は16日にほぼ征圧を終えた北東部海岸地域のLTTE支配地域から市民5万人以上を救出したと発表しています。なお、教皇は本年2月4日の一般謁見においてもスリランカ情勢に関する呼びかけを行っています。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 一昨日、聖地から帰ってまいりました。この巡礼については今週の水曜日の一般謁見の中で詳しくお話しするつもりです。今わたしは、何よりも主に感謝したいと思います。主はこのきわめて重要な使徒的訪問を終えさせてくださったからです。協力してくださったすべてのかたがたにも感謝します。ラテン教会の総大司教とヨルダン、イスラエル、パレスチナ地域の教会司牧者、フランシスコ会聖地準管区、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区の政府当局者、主催者と警備担当者の皆様です。たいへん温かく歓迎してくださった司祭、修道者、信者の皆様、そして、祈りをもってわたしに同伴し、支えてくださったかたがたに感謝します。心からすべてのかたがたに御礼申し上げます。
  今回の聖地巡礼は、聖地に住む信者に対する司牧訪問であるとともに、キリスト者の一致、ユダヤ教徒とイスラーム教徒との対話、平和の構築に奉仕するためのものでもありました。神の民と全人類への神の愛の象徴である聖地は、神がすべての神の子らに望まれる自由と平和の象徴でもあります。しかし、実際には、過去と現在の歴史が示すとおり、聖地は、その反対、すなわち兄弟間の際限のない分裂と紛争の象徴となっています。どうしてこのようなことがありうるのでしょうか。わたしたちがこのような問いを心に問いかけるのはふさわしいことです。なぜなら、わたしたちは神がこの聖なる地について不思議な計画を抱いておられることを知っているからです。聖ヨハネが述べるとおり、神はこの地に「わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました」(一ヨハネ4・10)。聖地は「第五の福音」と呼ばれてきました。なぜなら、わたしたちはこの地で、神が人間とともに実現した歴史の現実を見、またそれに触れることができるからです。アブラハムが過ごした土地からイエスが過ごされた土地に至るまで。受肉から、イエスの復活のしるしである空の墓に至るまでです。まことに神はこの聖地に来られ、わたしたちとともにこの世で働かれました。しかし、わたしたちはさらにこういうことができます。聖地は、それ自身の歴史のゆえに、神が人類とともに歩んだ困難な歩みを集約する小宇宙だといえます。この歩みは、罪とともに十字架をも含みます。しかしそれは、豊かな神の愛によって、聖霊の喜び、すでに始まった復活であり、悲しみの谷を通って神の国をめざす歩みでもあります。神の国はこの世の国ではありません。しかしそれは、この世のうちに生き、正義と平和の力によってこの世を貫かなければなりません。
  救いの歴史は、アブラハムという一人の人を、また、イスラエルの民を立てることから始まりました。しかしそれは、普遍性を、すなわち、すべての民の救いをめざします。救いの歴史は、常にこのような個別性と普遍性の組み合わせを特徴としています。この二つの結びつきを、今日の第一朗読の中にはっきりと見いだすことができます。聖ペトロはコルネリウスの家で、異邦人の信仰と、その神への望みを見いだしていいます。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(使徒言行録10・34-35)。神を畏れ、正しいことを行うこと。このことを学ぶことによって、世を神の国へと開くことができます。そして、これこそがあらゆる諸宗教対話の深い目的です。
  このマリアへの祈りを、スリランカに思いを致すことなく終えるわけにはいきません。わたしは、スリランカ北部の戦闘地域におられる市民の皆様を心にとめ、霊的に寄り添うことを約束します。戦争は、この何千人もの子ども、女性、高齢者から、何年もの間、いのちと希望を奪ってきました。このことに関して、わたしはあらためて双方の戦闘当事者に市民を避難させるよう緊急の呼びかけを行いたいと思います。そして、そのためにわたしは、数日前に市民の保護と安全の保障を求めた国連安全保障理事会と声を一つにします。さらにわたしは、カトリック機関を含めた人道支援機関が、できるかぎりのしかたで、緊急に必要な食糧と医薬品を難民に提供してくださるようお願いします。わたしは愛するスリランカを、スリランカのすべての人々から愛され、崇敬されている、マドゥーの聖なるおとめの母としてのご保護にゆだねます。そして、和解と平和の日が早く訪れるよう、主に祈りをささげます。

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