教皇ベネディクト十六世の178回目の一般謁見演説 聖地巡礼を振り返って

5月20日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の178回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、5月8日(金)から15日(金)まで行った聖地巡礼を振り返りました。以下はその全 […]

5月20日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の178回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、5月8日(金)から15日(金)まで行った聖地巡礼を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇は、5月24日(日)(日本では17日)に行われる「世界広報の日」に向けた呼びかけを行いました(原文イタリア語と英語)。
「『世界広報の日』にあたり、英語で簡単な呼びかけを行います(以上イタリア語。以下英語)。
来る日曜日に、教会は『世界広報の日』を行います。今年のメッセージの中で、わたしは、新しい情報伝達技術を用いるすべての人々、特に若者の皆様が、この技術を積極的な形で使用し、これらの手段の大きな力を活用しながら、友愛と連帯のきずなを作り上げるよう招きました。友愛と連帯のきずなは、よりよい世界を築くことを可能にするからです。
新しい技術は、ニュースや情報を広める方法や、人々が交流し、関わり合うしかたを根本的に転換しました。わたしは、サイバースペース(電脳空間)に近づくすべての人が、尊敬と対話と真の意味での友愛の文化を保ち、促進するよう注意を払ってくださることを勧めます。このような文化のうちで、真理と調和と理解という価値が花開くことができるからです。
特に若者の皆様に呼びかけます。デジタル世界で皆様の信仰をあかししてください。新しい技術を用いて福音を知らせてください。すべての人への神の限りない愛についてのよい知らせを、ますます技術の進んだ現代世界の中で、新しい形で響きわたらせてください」。
今年の「世界広報の日」にあたり、教皇庁広報評議会は5月21日(木)からソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のフェイスブック(Facebook)の運用を開始しています(http://pope2you.net)。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日は5月8日から15日まで行った聖地への使徒的訪問についてお話しします。この使徒的訪問について、わたしは主に感謝し続けています。この訪問は、ペトロの後継者と全教会にとって大きなたまものとなったからです。わたしは、わたしの心からの感謝をあらためて(エルサレム・ラテン典礼教会の)フアド・トゥワル総大司教、さまざまな典礼教会の主教、司祭、フランシスコ会聖地準管区の皆様に申し上げたいと思います。(アブドッラー2世・イブン・アル・フセイン)ヨルダン国王夫妻、(シモン・ペレス)イスラエル大統領、(マフムード・アッバース)パレスチナ暫定自治政府大統領と、各国首相、すべての政府当局者、今回の訪問の準備と成功のためにさまざまな形でご協力くださったかたがたに感謝申し上げます。この訪問は何よりも巡礼でした。そればかりか、それは信仰の源への優れた意味での巡礼でした。同時にこの訪問は、聖地に生きる教会への司牧訪問でもありました。この教会は特別に重要な意味をもつ共同体です。なぜなら、この共同体は、教会の起源となった場所に生き生きと存在する教会を代表するからです。
  5月8日から11日にかけて行われた訪問の第一段階はヨルダンでした。ヨルダン地域には2つの主要な聖地があります。モーセが約束の地を仰ぎ見ながら、入ることができずにそこで死んだネボ山と、第四福音書によれば、聖ヨハネが初めに洗礼を授けた「ヨルダン川の向こう側の」ベタニアです。ネボ山のモーセの記念教会は、きわめて象徴的な意味をもつ場所です(5月9日)。それは、「すでに」と「まだ」の間に置かれたわたしたちの旅人としてのあり方を語るからです。「すでに」とは、わたしたちの歩みを支える偉大なすばらしい約束です。「まだ」とは、わたしたちとこの世を超えた、約束の実現です。教会は自らのうちにこの「旅する教会の終末的性格」を生きています。教会はすでに花婿であるキリストと結ばれていますが、今は、世の終わりのキリストの再臨を待ち望みながら、婚礼を前もって味わうにすぎません(第二バチカン公会議『教会憲章』48-50参照)。ベタニアでは、聖ヨハネが洗礼を授けた場所に建てられる二つの聖堂の礎石を祝福することができたのをうれしく思います(5月10日)。これは、ハシェミット王国が信教の自由とキリスト教の伝統に示した、開かれた尊敬の態度を表すしるしです。それはきわめて評価すべきことがらです。わたしは、このことの正当な認識を、イスラーム共同体に対する深い尊敬とともに、アル・フセイン・ビン・タラル・モスクに集まった宗教指導者と外交使節団と大学総長に示すことができました(5月9日)。このモスクはアブドッラー2世国王(1999年即位)がご父君の有名なフセイン国王(在位1952-1999年)を記念して建てたものです。フセイン国王は1964年に歴史的訪問を行った際の教皇パウロ六世を迎えました。キリスト教徒とイスラーム教徒が互いに尊敬し合いながら平和的に共存することは、どれほど重要なことでしょうか。神と、政府の努力のおかげで、ヨルダンではこれが実現しています。それゆえわたしは、他のところでもそうなりますように祈ります。それは、特に隣国のイラクで困難な状況を生きているキリスト教徒のことを思うからです。
  ヨルダンには重要なキリスト教共同体があります。すなわち、パレスチナ人とイラク人の難民から成長したキリスト教共同体です。この共同体は重要で価値ある形で社会の中に存在しています。彼らは民族や宗教への所属と関係なく、人間の人格に注意を向けた教育・福祉活動を行っているからです。そのすばらしい例がアンマンの「レジナ・パーチス・リハビリテーションセンター」です(5月8日)。このセンターは障害をもつ多くの人を迎え入れています。わたしはセンターを訪問して、救いのことばをもたらしました。しかし、人間の苦しみと苦しみの共有による深いあかしによって、わたしも救いのことばを与えられました。さらにわたしは、文化の領域での教会の活動のしるしとして、エルサレムのラテン典礼総大司教区立マダバ大学の礎石を祝福しました(5月9日)。この新しい学術・文化機関を創立できたのをたいへんうれしく思います。この機関は、教会が真理と共通善の探求を推進し、こうした探求を望むすべての人に、開かれた高度な場を提供することを、手で触れられる形で示すからです。このような場は、真の実り豊かな文明間対話のために不可欠の条件です。アンマンでは二回の盛大な典礼も行われました。聖ゲオルギオス・ギリシア・メルキト典礼司教座聖堂における晩の祈り(5月9日)と、国際競技場におけるミサです(5月10日)。このミサによって、わたしたちは、さまざまな伝統によって豊かにされながら、同じ信仰のうちに一致して、旅する神の民として集うことのすばらしさをともに味わうことができました。
  ヨルダンを後にして、11日(月)午前、イスラエルに到着しました。イスラエルにおいて、わたしは初めから、イエスが生まれ、生活し、死んで復活した地を信仰をもって旅する巡礼者となると同時に、平和の巡礼者となりました。それは、神が人となることを望まれた地で、すべての人が神の子、すなわち兄弟として生きることができるよう、神に祈り求めるためです。わたしの訪問のこの第二の側面は、いうまでもなく国家元首との会見において示されました。すなわち、イスラエル大統領訪問(5月11日)と、パレスチナ暫定自治政府大統領訪問(5月13日)です。この神が祝福した地において、暴力の連鎖から抜け出すことが不可能に思われることがあります。しかし、神にとって、また、神に信頼する人にとって、不可能なことはありません。だから、この地に住む人々のもっとも貴重な源泉である、正しく、あわれみ深い唯一の神への信仰が、尊敬と和解と協力の力を発揮させなければなりません。わたしはこの望みを、エルサレムの大ムフティーとイスラーム共同体代表者訪問(5月12日)、イスラエルの首席ラビ訪問(同日)、諸宗教対話を行う諸機関との集い(5月11日)、そして、ガリラヤの宗教指導者との集い(5月14日)において表明しました。
  エルサレムは三大一神教の十字路です。そして、その名前――「平和の都」――そのものが、神の人類に対する計画を表しています。それは、人類を一つの大きな家族にするという計画です。アブラハムにあらかじめ告げられたこの計画は、イエス・キリストのうちに完全に実現しました。聖パウロはイエス・キリストを「わたしたちの平和」と呼びました。なぜなら、イエス・キリストは、ご自分の犠牲の力によって、敵意という隔ての壁を取り壊したからです(エフェソ2・14参照)。それゆえ、信じる者は皆、偏見と支配欲を捨て、一致して根本的な掟を実行しなければなりません。すなわち、自分のすべてを尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛するということです。ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、イスラーム教徒も、このことをあかしするよう招かれています。それは、自分たちがことばをもって祈る神を、行いをもってたたえるためです。そして、これこそが、ユダヤ教とイスラーム教にとってそれぞれ象徴的な場所である、エルサレムの西の壁――あるいは嘆きの壁――と、岩のドームを訪問したとき、わたしが心の中で祈っていたことでした(5月12日)。「ショア(ホロコースト)」の犠牲者を記念するためにエルサレムに建てられた、ヤド・ヴァシェム記念館訪問もきわめて深い祈りの時でした(5月11日)。わたしはそこで沈黙と、祈りと、「名」の黙想を行いました。すべての人間の人格は神聖であり、その名は永遠の神のみ心に刻まれています。「ショア」の恐るべき悲劇をけっして忘れてはなりません。逆に、人命は何よりも尊重すべきであることを世界中の人に警告するために、「ショア」を常に記憶にとどめなければなりません。人命は常に限りない価値をもつからです。
  すでに述べたとおり、わたしの訪問の第一の目的は、聖地のカトリック共同体を訪問することでした。この訪問はエルサレム、ベツレヘム、ナザレでさまざまな機会に行われました。二階の広間で、使徒たちの足を洗い、聖体を制定したキリストと、聖霊降臨のときに教会に与えられた聖霊のたまものを思いながら、わたしは何よりも聖地の司教の皆様と会いました。そして、一つになること、すなわち、一つのからだ、一つの心となるという自分たちの召命についてともに考察しました。それは、愛の柔和な力によって世界を変革するためです(5月12日)。この召命が聖地において特別な困難に直面していることは確かです。だからこそわたしは、キリストの思いをもって、兄弟である司教の皆様にキリストのことばを繰り返して述べました。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12・32)。その後、わたしは、観想生活を送る男子・女子修道者に短時間あいさつし、彼らが祈りによって教会と平和のために奉仕してくださっていることに感謝しました。
  何よりも感謝の祭儀は、カトリック信者との交わりの頂点の時でした。エルサレムのヨシャファトの谷で、わたしは、エルサレムと全世界にとっての希望と平和の力である、キリストの復活について考察しました(5月12日)。パレスチナ地域のベツレヘムでは、降誕聖堂の前でミサをささげました(5月13日)。このミサにはガザから来た信者も参加しました。わたしが特別に寄り添うことを約束しながら、この信者のかたがたを慰められたことをうれしく思います。ベツレヘムは、すべての人に対する平和の歌声が天から響いた場所です。そのベツレヘムが、この知らせの実現からわたしたちを切り離し続けている隔たりの象徴となっています。すなわち、不確実、孤立、不安、貧困です。これらすべてのことによって、多くのキリスト信者がこの地を離れています。しかし、教会は、信仰の力に支えられ、兄弟に対する具体的な奉仕のわざによって愛をあかししながら歩み続けています。たとえば、ドイツとスイスの教区の支援を受けたベツレヘムの「カリタス小児病院」や、難民キャンプでの人道支援活動です。わたしは難民キャンプの一つ(アイダ難民キャンプ)を訪問し、そこに住む家族のかたがたに普遍教会からの連帯と励ましを約束しました。そして、すべての人がアッシジの聖フランシスコの模範に従いながら、非暴力的な手段によって平和を追求するよう願いました(5月13日)。会衆との三回目の、そして最後のミサは、聖家族の町であるナザレで木曜日(5月14日)にささげられました。わたしたちはすべての家族のために祈りました。どうかすべての家族が、結婚と家庭生活のすばらしさ、家庭における霊的生活と教育の価値、子どもたちへの関心を再発見できますように。子どもたちは平和と落ち着きのうちに成長する権利をもつからです。さらにお告げの聖堂では、ガリラヤのすべての牧者、奉献生活者、運動団体、信者とともに、すべてのものを創造し、造り変える神の力へのわたしたちの信仰をたたえました(同日)。みことばがおとめマリアの胎内で肉となったところで、尽きることのない希望と喜びの泉がほとばしり出ます。この希望と喜びが、歴史を旅する教会の心を絶えず力づけます。
  わたしの巡礼は、先週の金曜日(5月15日)の、聖墳墓教会訪問と、エルサレムでの2つの重要なエキュメニカルな会見で終わりました。すなわち、ギリシア正教総主教座の訪問――そこでは聖地の教会指導者全員が集まりました――と、最後に、アルメニア使徒総主教座教会です。この巡礼全体は、キリストの復活のしるしをもって行われたと要約できます。何世紀にわたって聖地を性格づけてきた歴史、戦争、破壊、残念ながら存在したキリスト教徒同士のいさかい――これらすべてのものの存在にもかかわらず、教会は、復活した主の霊に促されながら、その使命を果たし続けてきました。教会は完全な一致をめざして歩みます。それは、世が神の愛を信じ、神の平和の喜びを味わえるようになるためです。カルワリオ(しゃれこうべ)とイエスの聖墳墓でひざまずきながら、わたしは過越の神秘から湧き出る愛の力を祈り求めました。この力だけが、人間を新たにし、歴史と世界をその目的へと方向づけることができるからです。バチカンでは明日祝われる、主の昇天の祭日を準備しているこのとき、このような目的のために祈ってくださるよう、皆様にもお願いします。ご清聴有難うございます。

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