教皇ベネディクト十六世の2009年5月24日の「アレルヤの祈り」のことば 平和のたまもの

教皇ベネディクト十六世は、主の昇天の祭日の5月24日(日)午前10時15分から、イタリア・ラツィオ州カッシーノ市内のピアッツァ・ミランダで主の昇天の祭日のミサをささげ、ミサの終わりに、ミサに参加した信者とともに「アレルヤの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇がイタリア語で述べたことばの全文の翻訳です。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 わたしたちは、ミサをささげるたびに、心の中で、イエスが二階の広間で貴いたまものとして弟子たちにゆだねたことばが鳴り響くのを感じます。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」(ヨハネ14・27)。キリスト教共同体と全人類は、どれほどキリストの平和の富と力を完全に味わうことを必要としていることでしょうか。聖ベネディクト(480頃-547/560年頃)は偉大な証人です。なぜなら彼は、キリストの平和をその生活の中に受け入れ、真の意味での文化的・霊的刷新のわざによってそれを実らせたからです。そのため、モンテカッシーノ修道院と他のすべてのベネディクト修道院の入り口には標語として「平和(PAX)」ということばが掲げられています。実際、修道共同体は、優れた意味での過越のたまものである、この平和を生きるよう招かれているからです。ご存じのように、最近行った聖地巡礼において、わたしは平和の巡礼者となりました。そして今日わたしは、ベネディクトのカリスマに特徴づけられたこの地で、あらためて次のことを強調する機会が与えられました。平和は何よりもまず神から与えられるたまものです。それゆえ、平和の力は祈りのうちにあります。
  しかし、このたまものは人間の努力にゆだねられています。このたまものを実現するために必要な力もまた、祈りから与えられます。ですから、社会が平和を発展させるには、真の意味での祈りの生活を深めることが根本的に重要です。修道制の歴史があらためて教えてくれるように、文明の偉大な成長は、日々、神のことばに耳を傾けることによって準備されました。神のことばは、信じる者が、あらゆる利己主義と不正と戦うよう、個人としても共同体としても努力することを促すからです。キリストの恵みによって、自分の中にある悪と、他の人との関係における悪と戦い、これに打ち勝つことを学ぶことによって初めて、真の意味で平和と文明の発展を築く者となれるのです。キリストはわたしたちに平和を与えてくださり、それをあらゆるところで実現すべき使命としてわたしたちにゆだねてくださいました。平和の元后であるおとめマリアの助けによって、すべてのキリスト信者が、さまざまな召命と生活状況の中で、この平和の証人となることができますように。
  今日5月24日は、上海の佘山(シェシャン)大聖堂で深い信心をこめて「すべてのキリスト信者の助け」として崇敬される、聖なるおとめマリアの記念日です。この日にわたしたちは「中国の教会のために祈る日」を祝います。わたしは中国のすべての人々に思いを致します。特に、心から中国のカトリック信者にごあいさつ申し上げるとともに、中国のカトリック信者の皆様がこの日に、キリストへの信仰における交わりとペトロの後継者への忠実を新たにすることを勧めます。わたしたちの共通の祈りによって、聖霊のたまものが注がれますように。そして、すべてのキリスト者の一致と、教会のカトリック性と普遍性が、ますます深まり、目に見えるものとなりますように。

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