教皇ベネディクト十六世の2009年7月12日の「お告げの祈り」のことば 真の発展について

教皇ベネディクト十六世は、年間第15主日の7月12日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリ […]

教皇ベネディクト十六世は、年間第15主日の7月12日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
教皇は、10日(金)まで3日間、イタリア・ラクイラで開催されたG8サミットについて述べました。なお、10日午後、教皇は、サミットに参加したバラク・オバマ米大統領と初めての個人会談を行いました。

「お告げの祈り」の後、教皇は、夏季休暇を前に、イタリア語で次のように述べました。
「この数日間、わたしはホンジュラスの事態を深い懸念をもって見守っています。今日、わたしは、この愛する国ホンジュラスのために祈ってくださるように皆様にお願いします。スヤパの聖母の母としての執り成しによって、ホンジュラスの国家指導者と全国民が、対話と相互理解と和解の道を忍耐強く歩むことができますように。このことは、すべての人が、排他的な傾向を乗り越えて、真理を求め、粘り強く共通善を追求するよう努めるときに、初めて可能となります。これこそが平和共存と真の民主的生活を保障するための条件です。わたしは愛するホンジュラス国民に、祈りをささげ、特別な使徒的祝福を送ることを約束します。
  神が望まれるなら、明日、わたしは、山地で短い休暇を過ごすために出発します。わたしはヴァッレ・ダオスタのレ・コーンブに行きます。この地はわたしの敬愛する前任者であるヨハネ・パウロ二世が滞在したことで知られます。わたしもこの地を深く愛しています。サンピエトロ広場とローマの町にしばしのお別れを申し上げます。そして、祈りをもってわたしとともに歩んでくださるよう皆様にお願いします。祈りは距離も別離も知りません。わたしたちがどこにいても、祈りはわたしたちを一つの心、一つの魂にしてくれるからです。
  出発に関連して、この機会に、すべての人が慎重な運転をし、交通規則を守らなければならないということを、あらためて申し上げます。このようにすることによって、初めてよい休暇が始まるのです」。
中南米のホンジュラスでは6月28日(日)、軍がクーデターによってホセ・マヌエル・セラヤ・ロサレス大統領を拘束し、国外移送しました。セラヤ氏は7月5日(日)、米国ワシントン空港から空路で帰国を試みましたが、首都テグシガルパの空港で着陸を阻止され、エルサルバドルに移動しました。9日(木)から、コスタリカのアリアス大統領によるセラヤ大統領と暫定政権の調停が始まっています。

6月5日(金)、教皇庁公邸管理部は、7月の教皇の休暇の予定について発表しました。教皇は7月13日(月)から29日(水)まで、北イタリアのヴァッレ・ダオスタ州のレ・コーンブの山荘で休暇を過ごします。休暇中、7月15日、22日、29日の水曜一般謁見はありませんが、教皇は7月19日(日)にイヴレア教区、ロマーノ・カナヴェーゼのサンティ・ピエトロ・エ・ソルトーレ教会前のピアッツァ・ルッジアで、26日(日)にレ・コーンブの山荘前で、日曜正午の「お告げの祈り」を行います。休暇の後、教皇は夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸に移ります。休暇中、すべての個人謁見と特別謁見は行われません。カステル・ガンドルフォ滞在中、日曜と祭日の「お告げの祈り」は同公邸中庭で行われます。一般謁見は8月5日(水)から定期的に再開されます。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 この数日間、すべての人の関心は、ラクイラでのG8サミットに向けられました。ラクイラは地震の被害を受けた町でもあります。議題とされたいくつかのテーマはきわめて緊急を要するものです。世界にはもはやゆるすことのできない社会的不平等と構造的不正が存在します。この不平等と不正は、なすべき即座の行動とともに、グローバルな規模での永続的な解決を見いだすための協調戦略を要求します。サミット期間中、G8国家・政府首脳は、人類によりよい未来を約束するための合意を得る必要性をあらためて強調しました。教会は技術的な解決策を示すことはできません。しかし、人間性の専門家として、人間の真理に関する聖書の教えをすべての人に示し、愛と正義に関する福音を告げ知らせます。先週の水曜日の一般謁見で、ちょうどG8の前日に発布した回勅『真理に根ざした愛』を解説した際、わたしはこう述べました。「発展をグローバルなしかたで書き直す、新たな経済計画が必要とされています。そのために、神と、神の被造物としての人間に対する責任に基づく基本的な倫理を基盤としなければなりません」。なぜなら、回勅で述べたとおり、「ますますグローバル化する世界において、共通善と共通善を求める努力は、人類という家族全体のさまざまな次元を含まなければならないからです」(『真理に根ざした愛』7)。
  すでに偉大な教皇パウロ六世は、回勅『ポプロールム・プログレッシオ』の中で、社会問題の世界的な地平を認識し、指摘しました。わたしも同じ道をたどりながら、『真理に根ざした愛』で社会問題を扱わなければならないと感じました。社会問題は現代において、「徹底的な意味で人間論的問題」となりました。それは、現代の生命科学技術によって、人間をとらえるしかた自体がますます人間の手にゆだねられるようになったからです(同75参照)。人類の現代の問題の解決法は、単なる技術的なものであってはなりません。むしろ、霊魂と身体を備えた人格が必要とするすべてのことと、造り主である神を考慮に入れなければなりません。実際、「科学技術の絶対化」は人類の未来に悲惨な状態をもたらすおそれがあります。このような「科学技術の絶対化」は、生命に反するある種の実践の中にもっともよく表されます。たとえ「愛に基づく選択」を目的とするかのように見えても、人格の真の尊厳を尊重しない行為は、実際には「人間生命の唯物論的・機械論的理解」が生み出したものです。このような理解によって、真理に根ざすことのない愛は「恣意的に中身を満たすことのできる空虚な殻」(同3参照)におとしめられます。そこから、人間の完全な発展を損なう結果がもたらされます。
  現代の複雑な世界情勢にもかかわらず、教会は希望をもって未来に向かいます。そして、キリスト信者に「キリストを告げ知らせることこそが、発展の第一の主要な要素である」ことを思い起こさせます。ちょうど今日のミサの集会祈願の中で、教会はわたしたちにこう祈るように招きます。「父よ。御子以外の何も愛さない恵みをお与えください。御子はあなたの愛の神秘と人間のまことの尊厳を世に示してくださったからです」。おとめマリアの執り成しによって、わたしたちが心を尽くし、知性を尽くして、「すなわち、愛に基づく熱意と、真理に基づく知恵をもって」(『真理に根ざした愛』8参照)発展の道を歩むことができますように。

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