教皇ベネディクト十六世の2009年7月26日の「お告げの祈り」のことば パンの奇跡

教皇ベネディクト十六世は、年間第17主日の7月26日(日)正午に、休暇のため滞在しているヴァッレ・ダオスタ州レ・コーンブの山荘前で、集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの […]

教皇ベネディクト十六世は、年間第17主日の7月26日(日)正午に、休暇のため滞在しているヴァッレ・ダオスタ州レ・コーンブの山荘前で、集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

教皇は7月13日(月)から29日(水)までの予定で滞在している山荘の屋内で、16日(木)夜、偶然転倒し、右手首を骨折しました。教皇は翌17日朝、ミサをささげ、朝食をとった後、アオスタのウンベルト・パリーニ病院で検査を受けました。右手首を骨折したことが分かったため、同病院で局所麻酔による整復と骨癒合手術を受け、ギプス包帯による固定を行いました。教皇は同日午後、病院からレ・コーンブの山荘に戻りました。その後、教皇は25日(土)に、山荘内で医師による検査を受けました。教皇庁広報部のフェデリコ・ロンバルディ報道官によると、手術後の経過は順調です。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 日曜日のごあいさつを申し上げます。わたしたちは、当地レ・コーンブの、教皇が用いるためにサレジオ修道会士によって建てられた保養所の近くに集まっています。わたしがアオスタ渓谷の美しい山地の中にあるこの家で過ごす休暇期間も終わりに近づきました。皆様がよくご存じの、些細な事故があったにもかかわらず、この日々を本当にくつろいで喜びのうちに過ごすことを可能にしてくださった神に感謝します。この機会に、思慮と深い献身をもってわたしのそば近くでお世話くださったかたがたに心から感謝申し上げたいと思います。ここにおられる(トリノ大司教の)ポレット枢機卿と司教の皆様、とくにジュゼッペ・アンフォッシ・アオスタ司教にごあいさつ申し上げます。ごあいさつくださったアンフォッシ司教に感謝します。レ・コーンブの主任司祭、行政・軍事当局、警察に心からごあいさつ申し上げます。そして、親愛なる友人の皆様。皆様と、ラジオ・テレビを通じてわたしたちと結ばれたかたがたにごあいさつ申し上げます。
  今日のすばらしい天気の主日に、主はわたしたちにその美しい創造のみわざを余すところなく示してくださいます。この主日にあたり、典礼は、福音の箇所として、ヨハネによる福音書の6章の冒頭を選びます。そこではまずパンの奇跡が語られます。イエスは、パン五つと魚二匹だけで数千人の人に食べ物を与えました。それから、主が嵐の中を湖の水の上を歩かれたという、もう一つの不思議なわざが語られます。最後に、主が自分は「いのちのパン」であることを現す説教が行われます。パンの「しるし」について語る際に、福音書記者は次のことを強調します。すなわち、キリストは、パンを分け与える前に、感謝の祈りを唱えてそれらを祝福しました(ヨハネ6・11参照)。「感謝する」という動詞は「エウカリステイン」であり、この動詞は最後の晩餐の記述を直接指し示します。この最後の晩餐の記述において、ヨハネは、実際には聖体の制定に触れず、むしろ洗足について語ります。聖体は、今日のこの箇所の偉大ないのちのパンのしるしによって先取られるのです。今年の「司祭年」にあたり、とくにわたしたち司祭がこのヨハネの箇所のうちに反映されていることを思い起こさずにはいられません。わたしたちは次のように語る使徒たちと自らを重ねます。「この人たちに食べさせるために、どこでパンを買えばよいだろうか」。そして、パン五つと魚二匹とをもっている名も知れぬ少年を見て、わたしたちも自然にいいたくなります。「こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」。いいかえるなら、こういいたくなります。「わたしが何の役に立つでしょうか。さまざまな限界のあるこのわたしが、どうしてイエスの宣教を手助けすることができるでしょうか」。主はこたえていわれます。わたしの「聖なる尊い」手に、あなたがたのわずかなものをゆだねなさい。そうすれば、司祭は、多くの人のための、それどころか、すべての人のための救いの道具となるのです。
  もう一つの考察すべきことがらが、今日の聖ヨアキムと聖アンナの記念日によってわたしたちに与えられます。聖ヨアキムと聖アンナは聖母の両親であり、それゆえイエスの祖父母です。この二人の記念日は教育というテーマを考えさせてくれます。教育は教会の司牧活動の中できわめて重要な位置を占めるからです。とくに今日の記念日は、わたしたちが祖父母のために祈るように招きます。祖父母は家庭の中で、いのちという根本的な価値を守る証人です。祖父母が行う教育の務めはつねにきわめて重要です。それはこれまでにまして重要になっています。なぜなら、さまざまな理由で、両親は成長期の子どものそばに適切な形でいることができないからです。わたしは全世界の祖父母のかたがたをアンナとヨアキムのご加護にゆだねながら、祖父母のかたがたに特別な祝福を送ります。あるすばらしいイコンによれば、おとめマリアは母アンナの膝の上で聖書を読むことを学びました。おとめマリアの助けによって、祖父母の皆様が、神のことばの泉への信仰と希望をつねに子どもたちのうちに育てることができますように。

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