教皇ベネディクト十六世の2009年8月2日の「お告げの祈り」のことば 聖人の模範

教皇ベネディクト十六世は、年間第18主日の8月2日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
教皇は7月13日(月)から29日(水)までのヴァッレ・ダオスタ州レ・コーンブでの休暇を終えて、29日にカステル・ガンドルフォに移りました。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 数日前にヴァッレ・ダオスタから戻りました。そして、親愛なるカステル・ガンドルフォの友人の皆様。今、再び皆様とお会いできて本当にうれしく思います。司教、小教区、小教区共同体と、行政当局者、そして、カステル・ガンドルフォの全住民、また巡礼者と休暇を過ごす皆様に、いつも温かく歓迎してくださる皆様への深い感謝とともに、心からごあいさつ申し上げます。レ・コーンブで右手首に小さな怪我を負った際に、多くのかたがたがわたしに示してくださった霊的な連帯にも感謝します。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。わたしたちが今行っている「司祭年」は、教会と世界における司祭の宣教の意味を深く考察するための貴重な機会です。このことに関連して、わたしたちは、教会が毎日わたしたちに示す聖人の記念日の中に有益な考察すべき点を見いだします。たとえば、この8月の初めの数日間、わたしたちは霊性と司祭の献身の真の模範となる何人かの人々を記念します。昨日(8月1日)は聖アルフォンソ・マリア・デ・リグオーリ司教教会博士(1696-1787年)の記念日でした。偉大な倫理神学の教師であり、キリスト教的・司牧的美徳の模範である聖アルフォンソは、つねに民の宗教的必要に注意を払いました。今日、わたしたちはアッシジの聖フランシスコ(1181/1182-1226年)のうちに人々の救いへの熱心な愛を仰ぎ見ます。すべての司祭はこの愛を深め続けなければなりません。実際、今日わたしたちはいわゆる「アッシジのゆるし」を記念します。フランシスコはこの「アッシジのゆるし」を、1216年に教皇ホノリウス三世(在位1216-1227年)から得ました。これに先立って、フランシスコはポルティウンクラの小聖堂で祈っているときにある幻を見ました。イエスが栄光のうちにフランシスコに現れました。イエスの右にはおとめマリアがおり、イエスの周りには多くの天使がいました。そしてイエスはフランシスコが願い出を行うよう求めました。そこでフランシスコは、「痛悔し、罪を告白しながら」この教会堂を訪れたすべての人々に「広く寛大な免償」を与えることを願いました。教皇の認可を得た聖フランシスコは、書面が与えられるのを待たずに、急いでアッシジに戻り、ポルティウンクラに着くと、よい知らせを告げました。「わたしの兄弟たち。主はわたしたち皆を楽園に伴うことを望んでおられます」。以来、8月1日の正午から8月2日の夜中の十二時まで、通常の条件のもとに、小教区ないしフランシスコ会の教会堂を訪問することによって全免償を得ることができます。この免償は死者のためにも与えられます。
  8月4日に記念する聖ヨハネ・マリア・ビアンネ(1786-1859年)について何をいえばよいでしょうか。まさにビアンネの没後150周年を記念するために、わたしは「司祭年」を開催しました。この謙遜な主任司祭は、主任司祭にとってだけでなく全司祭にとって、司祭生活の模範となります。今週の水曜一般謁見の中で、わたしはビアンネについてお話ししたいと思います。さらに8月7日はティエネの聖ガエターノ(1480-1547年)の記念日です。聖ガエターノはいつも繰り返してこういっていました。「霊魂は、感情的な愛によってではなく、行いを伴う愛によって清められます」。翌8月8日、教会は聖ドミニコ(1170頃-1221年)を模範として示します。聖ドミニコについてこう書かれています。「彼は、祈りによって神と語るか、神について語るためにしか口を開かなかった」。最後に、偉大な人、教皇モンティニ、すなわちパウロ六世(1897-1978年、在位1963-没年)も忘れることはできません。わたしたちは8月6日に教皇の31回目の命日祭を記念します。パウロ六世はこのカステル・ガンドルフォで亡くなりました。徹底した司祭であり、また人間性豊かなパウロ六世の生涯は、教会の中でたまものであり続けます。わたしたちはこのたまものを神に感謝します。教会の母であるおとめマリアの助けによって、すべての司祭がキリストに完全に心をとらえられ、これらの聖なる司祭の模範に従うことができますように。

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