教皇ベネディクト十六世の187回目の一般謁見演説 すべての司祭の母であるマリア

8月12日(水)午前10時30分から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸中庭で、教皇ベネディクト十六世の187回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、聖母の被昇天の祭日を前にして、「すべての司祭の母であるマリア」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


謁見の終わりに、教皇はイタリア語で、最近台風と地震の被害を受けた東アジア諸国に向けて、次のように述べました。
「最後にわたしは最近激しい台風の被害に遭ったフィリピン、台湾、中華人民共和国の南東部の一部の省、そして日本の多くの人々に思いを寄せます。日本はその後強い地震にも見舞われました。わたしはきわめて不自由な状況に置かれた人々との霊的な連帯を表すとともに、すべてのかたがたに被災者と亡くなった人のために祈ってくださるようお願いします。この人々が連帯による慰めと援助物資の助けを欠くことがないことを願います」。
台風8号が8月5日(水)フィリピンを、8月8日(土)には台湾を襲い、フィリピンでは8月8日の当局の発表によると死者が20名を超えました。このうち12名はルソン島北部バギオ市の炭鉱で発生した地すべりで生き埋めになった労働者です。台湾では25日(火)の消防当局の発表によると、台風のもたらした大水害による死者は376名、行方不明者は254名に達しています。日本では台風9号のために9日(日)に起きた水害で、兵庫県内で20名が死亡し、2名が行方不明となっています。9日夜には東海道南方沖を震源とするマグニチュード6.9の地震が、11日(火)早朝には静岡湾を震源とするマグニチュード6.6の地震が起きました。11日の地震により1名が死亡しました。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今週の土曜日の聖母の被昇天の祭日が間近に迫っています。わたしたちはまた、「司祭年」を行っています。そこでわたしは聖母と司祭の関係についてお話ししたいと思います。この関係は受肉の神秘に深く根ざしています。神は、御子のうちに人となることを選ばれたとき、ご自分の造られたものが自由に「はい」と述べることを必要としました。神はわたしたちの自由に反してわざを行われません。こうしてまことの意味で特別なことが起こりました。神は自らを、ご自分の造られたものが「はい」と述べる、自由に依存するものとなさいました。神はこの「はい」を待ちました。クレルヴォーの聖ベルナルドゥス(1090-1153年)はある説教の中で、この世界史における決定的な瞬間を劇的なしかたで説明します。そのとき、天と地と神ご自身が、この造られたものが何をいうか待ち構えたのです。
  それゆえ、マリアの「はい」は、神がそこを通って世界に入り、人となることができた扉です。ですからマリアは、わたしたちの救いである受肉の神秘にまことの意味で深くかかわりました。そして、受肉、すなわち御子が人となったことは始まりでした。この始まりは、御子が自らをささげることを目指していました。御子は深い愛をもって十字架上で自分をささげました。それは、ご自身を世のいのちのためのパンとするためです。ですから、いけにえと司祭職と受肉はともに歩みます。そしてマリアはこの神秘の中心におられます。
  今、十字架のもとに行きたいと思います。イエスは亡くなる前に、十字架のもとに立つマリアをご覧になりました。イエスはまた愛する子をご覧になりました。この愛する子は、疑いもなく一人の人です。それもきわめて重要な個人です。けれども彼はそれ以上の存在です。彼は、すべての主に愛された弟子の、そして、主が「愛する弟子」となるように招いたすべての人の、模範また先取りです。したがって彼は、特別な意味で、司祭の模範また先取りでもあります。イエスはマリアにいいます。「婦人よ、ご覧なさい、あなたの子です」(ヨハネ19・26)。これは一種の遺言です。イエスはご自分の母を、子である弟子の保護にゆだねました。しかしイエスは弟子に対してもいいます。「見なさい。あなたの母です」(ヨハネ19・27)。福音書はわたしたちに語ります。そのときから、愛する子である聖ヨハネは母マリアを「自分の家に」引き取りました。イタリア語の翻訳ではそのように書かれていますが、ギリシア語の原文はさらに深く豊かな意味をもっています。わたしたちはこう訳すことができます。聖ヨハネはマリアを自分の生涯、自分の存在の中に(エイス・タ・イディア)、自分の存在の深いところに引き取りました。マリアを自分に引き取るとは、マリアを生き生きとした自分の存在全体へと導き入れることです。それは外的な意味でいわれるのではありません。それは、マリアを自分の使徒職が目指すすべてのことのうちに導き入れることです。それゆえ、お分かりいただけるのでないかと思います。マリアと司祭の間の特別な母と子の関係こそが、一人ひとりの司祭をマリアが愛してくださることの第一の源であり、根本的な理由です。実際、マリアは二つの理由から司祭を愛します。第一に、司祭は、マリアの心がもっとも愛する、イエスともっとも似た者だからです。第二に、司祭も、マリアと同じように、キリストを世に告げ知らせ、あかしし、もたらす使命を果たすからです。司祭は秘跡によって、神の子でありマリアの子であるイエスと一致し、イエスに似たものに造り変えられます。だから、すべての司祭は、自分がまことにこのもっとも気高くへりくだった母であるかたの愛する子であると感じることができ、また感じなければなりません。
  第二バチカン公会議は、司祭がマリアを自分の生活の完全な模範として仰ぎ見るように招きます。司祭は「最高永遠の祭司の母、使徒の元后、祭司的役務の支え」であるマリアに祈り求めなければなりません。公会議は続けていいます。「司祭はマリアを孝心と信心とをもって尊敬し愛さなければならない」(『司祭の役務と生活に関する教令』18参照)。わたしたちが「司祭年」の中で特別に記念しているアルスの聖なる主任司祭は繰り返してこういいました。「イエス・キリストは、わたしたちに与えることのできるすべてのものを与えてくださった後に、ご自分のもっとも貴い遺産である聖母をわたしたちに受け継がせてくださいました」(B. Nodet, Il pensiero e l’anima del Curato d’Ars, Torino 1967, p. 305)。これはすべてのキリスト信者とわたしたち皆にいえることですが、特別なしかたで司祭にいえます。親愛なる兄弟姉妹の皆様。祈りたいと思います。マリアの助けによって、すべての司祭が、現代世界のどのような困難の中にあっても、御子イエスの模範に従い、よい牧者としてのイエスの愛の言い表しがたい宝の分配者となることができますように。司祭の母であるマリアよ、わたしたちのために祈ってください。

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