教皇ベネディクト十六世の186回目の一般謁見演説 アルスの聖なる主任司祭、聖ヨハネ・マリア・ビアンネの生涯

8月5日(水)午前10時30分から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸中庭で、教皇ベネディクト十六世の186回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、「アルスの聖なる主任司祭、聖ヨハネ・マリア・ビアンネの生涯」について解説しました。教皇は用意されたテキストを要約して述べましたが、以下は教皇庁の発表したテキスト全体の訳です(原文はイタリア語)。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日の講話の中で、わたしはアルスの聖なる主任司祭の生涯を簡単に振り返りたいと思います。その際わたしは、現代の司祭にとっても模範となりうるいくつかの特徴を強調します。現代がビアンネの生きた時代と違うことはいうまでもありません。しかし、現代という時代も、多くの点で、同じような人間的・霊的な根本問題によって特徴づけられているのです。ちょうど昨日(8月4日)はビアンネの天上における誕生の150周年でした。実際、1859年8月4日午前2時、聖ヨハネ・バティスタ・マリア・ビアンネは地上での生涯を終え、天の父と会いに行きました。それは、父の教えに忠実に従った人々のために天地創造の時から用意されている国を受け継ぐためでした(マタイ25・34参照)。天上では、この熱心な牧者の入場をどれほど盛大に祝ったことでしょうか。ビアンネの主任司祭また聴罪司祭としての活動によって御父と和解させられた多くの子らが、どれほど彼を歓迎したことでしょうか。わたしはこの150周年に際して「司祭年」を開催することを望みました。ご承知のとおり、「司祭年」のテーマは「キリストの忠実、司祭の忠実」です。あかしが信頼の置けるものであること、そして、つまるところ、すべての司祭の宣教が効果を上げるかどうかは、聖性にかかっています。
  ヨハネ・マリア・ビアンネは1786年5月8日、小さな村ダルディリで、農家の子として生まれました。家族は、物質的な財産の点では貧しいながら、人間性と信仰においては豊かでした。当時のよい習慣に従って、生まれた日に洗礼を受けたビアンネは、幼年期と少年期の大半を畑と家畜の世話のために過ごしたため、17歳になっても文字が書けませんでした。しかし彼は、信心深い母親が教えた祈りを覚え、家の中に息づいていた宗教的感覚を深めました。伝記作者が述べるところによれば、ビアンネは幼い頃から、つつましい仕事においても神のみ旨に従おうと努めました。彼は心のうちに司祭になりたいという願いを募らせましたが、ビアンネにとってこの願いをかなえるのは容易なことではありませんでした。実際、彼は多くの試練と誤解を受けた後に、見識のある司祭たちのおかげでようやく司祭叙階に至りました。この司祭たちはビアンネのさまざまな人間的短所を顧慮するだけにとどまらず、それを超えて、この本当の意味でたぐいまれな青年が示す聖性の行く末を見通すことができたからです。こうしてビアンネは1815年6月23日に助祭叙階を、続いて8月13日に司祭叙階を受けました。多くの不安と、少なからぬ挫折と悲しみの後に、ついに29歳にしてビアンネは主の祭壇に上がり、生涯の夢をかなえたのです。
  アルスの聖なる主任司祭はいつも自分が受けたたまものに対する深い尊敬の念を語りました。彼はいいます。「ああ、司祭職とはどれほど偉大なものでしょうか。司祭は天上で初めてそれをよく知ることができます。・・・・司祭は地上で自分がいかなる者であるかを知るなら、死んでしまいます。それは恐れのゆえにではなく、愛のゆえにです」(Abbé Monnnin, Esprit du Curé d’Ars, p. 113)。さらに彼は子どものときから母親にいっていました。「もし司祭になったら、多くの人々の魂を勝ち得たいと思います」(Abbé Monnin, Procès de l’ordinaire, p. 1064)。そして実際にそうなりました。単純でありながらきわめて実り豊かな司牧的奉仕職の中で、この南フランスの忘れ去られた小教区の無名の主任司祭は、自分の職務と一致することができました。すなわち彼は、目に見える、だれからもわかるしかたにおいても、「もう一人のキリスト(alter Christus)」、すなわち、よい羊飼いの似姿となりました。よい羊飼いは、雇い人と違って、自分の羊のためにいのちを捨てるからです(ヨハネ10・11参照)。ビアンネは、よい羊飼いの模範に倣って、数十年に及ぶ司祭職にいのちをささげました。ビアンネの生涯は生きた信仰教育(カテケージス)でした。この信仰教育は、彼がミサをささげ、聖櫃の前で礼拝し、告白場で何時間も過ごす姿を人々が目にするとき、とりわけ効果的なものとなりました。
  それゆえ、ビアンネの生涯全体の中心は聖体です。ビアンネは、敬虔に尊敬の念をもって感謝の祭儀をささげ、聖体を礼拝したからです。この特別な司祭のもう一つの根本的な特徴は、ゆるしの秘跡を熱心に行ったことです。ビアンネは、ゆるしの秘跡を行うことは、キリストの命令に従う、司祭の使徒職の本質的かつ本来的な実践と考えました。「だれの罪でも、あなたがたがゆるせば、その罪はゆるされる。あなたがたがゆるさなければ、ゆるされないまま残る」(ヨハネ20・23参照)。このため聖ヨハネ・マリア・ビアンネは、うむことのない最高の聴罪司祭また霊的指導者として際立っています。「ビアンネは――それは唯一の内的な動きをなしますが――祭壇から告白場へと」向かいました。彼はこの告白場で一日の大半を過ごしながら、説教と力強い説得など、あらゆる手段を用いて、小教区信者にゆるしの秘跡の意味とすばらしさを再発見させようと努めました。そのため彼は、ゆるしの秘跡は、聖体の前にいるためにどうしても必要なことだということを示しました(「アルスの聖なる主任司祭の没後150周年を記念する『司祭年』開催を告示する手紙」参照)。
  聖ヨハネ・マリア・ビアンネの司牧方法は現代の社会的・文化的状況にはあまり合わないように思われるかもしれません。実際、これほど世界が変化した中で、現代の司祭はどのようにしてビアンネに倣うことができるでしょうか。たしかに時代は変わり、多くのカリスマは個人的な性格のものであるがゆえに再現不能です。とはいえ、わたしたち皆が深めるよう招かれている生活様式と根本的な望みも存在します。よく考えてみると、アルスの主任司祭を聖人にしたのは、神の招いた使命に対する彼の謙遜な忠実です。彼が深い信頼をもって、神の摂理のみ手に身をゆだねたことです。彼が人々の心を動かすことができたのは、人間的なたまものの力によるのでも、自分の意志に基づいて称賛すべき努力を行ったためでもありませんでした。彼は、自分が心から生きたこと、すなわちキリストとの友愛を伝えることによって、もっとも冷ややかな人の心をもつかんだのです。ビアンネはキリストに「心をとらえられ」ました。彼の司牧の成功の真の秘訣は、彼が告げ知らせ、ささげ、味わった聖体の神秘に対する愛です。この愛が、キリストの民であるキリスト信者と、神を求めるすべての人に対する愛となりました。親愛なる兄弟姉妹の皆様。ビアンネのあかしは次のことをわたしたちに思い起こさせてくれます。洗礼を受けたすべての者にとって、また司祭にとっても、聖体は「二人の登場人物の間に起こる出来事、すなわち、神とわたしの対話にすぎないものではありません。聖体の交わりは、自分の人生を完全に変容させることを目指します。それは人間の『わたし』全体を力強く開かせ、新しい『わたしたち』を造り出します」(Joseph Ratzinger, La Communione nella Chiesa, p. 80参照)。
  ですから、聖ヨハネ・マリア・ビアンネを、どれほどすぐれたものだとはいえ、18世紀の敬虔な霊性の模範にすぎないものと考えるのではなく、むしろその反対に、その人間として、司祭としての生き方の特徴をなす、預言的な力を学ばなければなりません。ビアンネの生き方はきわめて現代的な意味をもつからです。革命後のフランスはいわば「合理主義の独裁制」を経験していました。「合理主義の独裁制」は、社会から司祭と教会の存在を消し去ることを目指しました。この時代の中で、ビアンネはまず青年期に、勇気ある非合法活動を行いました。彼は夜、何キロもの距離を歩いてミサにあずかりました。後に司祭となった彼は、特別かつ実り豊かな創造的司牧活動によって際立ちました。彼は、当時支配的だった合理主義は、実際には人間の本当の欲求を満たすことができず、結局のところ役に立たないことを示しました。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。アルスの聖なる主任司祭が死んでから150年が経って、現代社会の問題は、同じように困難で、もしかするといっそう複雑なものになっています。ビアンネの時代に「合理主義の独裁制」があったとすれば、現代においてはいわば「相対主義の独裁制」がさまざまな状況で見られます。「合理主義の独裁制」も「相対主義の独裁制」も、人間の正当な要求にふさわしくこたえることができないように思われます。人間は、自分の理性を、自らの本来のあり方を明確に示し、かつ成り立たせる要素として完全なしかたで用いることを求めるからです。合理主義はそのためにふさわしくありませんでした。なぜなら、合理主義は人間の限界を考慮せず、理性のみを万物の基準にまで高めることを要求し、理性を女神に造り変えたからです。現代の相対主義は理性をおとしめます。なぜなら、相対主義は事実上、こう主張するからです。人間は実証科学の領域外では、何も確実に知ることはできないと。しかし、ビアンネの時代と同じく現代においても、「意味とその実現を乞い求める」人間は、いつまでも自らに問いかけずにはおれない根本的な問いに対する完璧なこたえを求め続けます。
  第二バチカン公会議教父は、すべての人の心の中で燃え上がるこの「真理への渇き」をはっきりと念頭に置きながら、こう述べました。「信仰における教師」である司祭の務めは、「真のキリスト教的共同体」を作ることです。それは、この共同体が「すべての人のためにキリストへの道を」準備し、人々のために「真の母性愛」を実践できるようにするためです。そのために司祭は信仰をもたない人に「キリストとその教会への道」を示し、あるいは準備し、信者を「励まし、養い、霊的戦いに備えて強める」のです(『司祭の役務と生活に関する教令』6参照)。このことに関連してアルスの聖なる主任司祭がわたしたちに示し続ける教えはこれです。司牧活動の基盤として、司祭はキリストとの個人的な深い一致をもたなければなりません。そして、この一致を日々、深め、強めなければなりません。司祭はキリストに心をとらえられることによって初めて、すべての人にこの一致を、すなわち神である師との深い友愛を教えることができるようになります。そして、人々の心を動かし、主のあわれみ深い愛へと開くことができるようになります。したがって、司祭はこのようにして初めて、主からゆだねられた共同体に熱意と霊的活力を与えることができるのです。祈りたいと思います。聖ヨハネ・マリア・ビアンネの取り次ぎによって、神がご自身の教会に聖なる司祭を与えてくださいますように。そして、信者のうちに、司祭の役務を支え、助けようとする望みを強めてくださいますように。この意向をマリアにゆだねます。わたしたちは今日、「雪の聖母」であるマリアに願い求めるからです。

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