教皇ベネディクト十六世の189回目の一般謁見演説 被造物の保護

8月26日(水)午前10時30分から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸中庭で、教皇ベネディクト十六世の189回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、「被造物の保護」について解説しました。以下はその […]


8月26日(水)午前10時30分から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸中庭で、教皇ベネディクト十六世の189回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、「被造物の保護」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。
なお教皇は、英語を話す巡礼者に向けた英語でのあいさつの中で、次のように述べました。
「このような思いを込めて、わたしは国連サミットへのすべての参加者が建設的に寛大な勇気をもって議論に入ってくださるよう励ましたいと思います」。
国連では9月23日からニューヨークの国連本部で始まる第64回総会一般討論を前に、9月22日に気候変動に関するハイレベル会議(サミット)が開催されます。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  8月ももう終わりに近づきました。これは、多くの人にとって夏休みが終わることを意味します。日常生活に戻るにあたって、被造物という貴いたまものを与えてくださった神に感謝せずにいられるでしょうか。わたしたちはこれらの被造物の恵みを休みのとき以外にも享受することができるからです。残念ながら、さまざまな環境破壊の現象と自然災害の発生がしばしば報じられます。これらの現象によって、自然をふさわしいしかたで尊重しなければならないことが思い起こさせられます。毎日の生活の中で、環境との正しい関係を取り戻し、大事にしなければなりません。政府当局と世論のうちに正当な関心を呼び起こしているこのテーマに対して、新たな感覚が発展しつつあります。国際レベルでも多くの会議が開催されていることに示されているとおりです。
  地球は造り主が与えてくださった貴いたまものです。造り主は地球のあるべき秩序を計画し、そこからわたしたちに向かうべき方向を指示しました。わたしたちは被造物の管理者としてこの指示に従わなければなりません。そして、まさにこのような自覚から出発して、教会は環境と環境保護に関する諸問題を考察します。環境保護は人間の完全な発展というテーマと密接に関連しています。わたしは最近発布した回勅『真理に根ざした愛(Caritas in veritate)』の中で環境問題に何度も言及しました。そして、国家間の関係においてだけでなく、個人の間においても「新たな連帯が道徳的な意味で緊急に必要であること」(同49)を訴えました。なぜなら、自然環境はすべての人のために神から与えられたものであり、環境の使用は、人類全体、特に貧しい人と未来の世代に対するわたしたちの個人的な責任を伴うからです(同48参照)。教会は被造物に対する共通の責任を感じながら(同51参照)、すべての人のために神から与えられた大地、水、空気の保護の促進に努めるだけでなく、何よりも人間を自己破壊から守るために尽力します。実際、「社会の中で『人間のための環境保護』が尊重されるなら、自然環境保護もそこから利益を得ます」(同)。まことに、無分別な被造物の使用は、神が軽んじられ、あまつさえその存在を否定されるときに始まるのではないでしょうか。被造物としての人間の造り主との関係が弱まり、物質が利己主義的な所有物へとおとしめられるなら、人間が「最終基準」となり、人生の目的はできるだけ多くのものを所有しようと争うことに成り下がります。
  それゆえ、被造物、すなわち神によって知的なしかたで構造を与えられた物質は、人間の責任にゆだねられています。人間は自らを絶対的な主人と考えることなく、被造物を解釈し、積極的に改変することができるからです。人間は、責任ある管理を行うことによって、被造物を保護し、利用し、耕すよう招かれています。それは、すべての人の尊厳ある生活のために必要な資源を見いだすためです。人類は、自然本性と、自らの労働と想像力の働きによって、地球を新しい世代に手渡すという重大な責任を本当の意味で果たすことができます。新しい世代もふさわしいしかたで地球に住み、それを開発し続けることができるためです(『真理に根ざした愛』50参照)。このことを実現するために「人間と環境の間で結んだ契約を強化する」ことが不可欠です。「環境は造り主である神の愛の鏡でなければならないからです」(教皇ベネディクト十六世「2008年『世界平和の日』メッセージ」7)。そのために、わたしたちは皆、この神から生まれ、この神に向かって歩むことをわきまえなければなりません。ですから、国際社会と各国政府がそれぞれの国民に適切な指針を示せることが、きわめて重要です。それは、環境の危険な利用法を効果的に阻止するためです。共通の環境資源の利用から生じる経済的・社会的経費は、透明なしかたで認識された上で、他の人や将来の世代ではなく、資源を利用する者が負担しなければなりません。環境保護と資源・気候の保護のためには、国際社会の指導者が、法と、特に地上の無力な地域との連帯を尊重しながら、共同で行動することが必要です(『真理に根ざした愛』50参照)。わたしたちは、現在の人々にも未来の人々にも益となる人間の完全な発展をともに築いていくことができます。このような人間の完全な発展は、真理に根ざした愛に基づく価値観に促されます。そのために、現在のグローバルな発展モデルを、被造物に対する責任をいっそう共有する方向へと転換することが不可欠です。これは環境危機だけでなく、飢餓と貧困という問題からも要請されます。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。主に感謝しながら、聖フランシスコ(1181/1182-1226年)の『太陽の歌』のことばを自分のものとしたいと思います。「いと高い、全能の、善い主よ、賛美と栄光と誉れと、すべての祝福はあなたのものです。・・・・わたしの主よ、あなたはたたえられますように、すべての、あなたの造られたものとともに」(庄司篤訳、『アシジの聖フランシスコの小品集』聖母の騎士社、1988年、49-50頁〔ただし表記を一部改めた〕)。
  聖フランシスコはこう述べました。わたしたちもこのことばの精神のうちに祈りかつ生きたいと思います。

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