教皇ベネディクト十六世の2009年8月30日の「お告げの祈り」のことば 聖モニカ

教皇ベネディクト十六世は、年間第22主日の8月30日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第22主日の8月30日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「イタリアでは今週の9月1日(火)に『被造物の保護のための日』が行われます。この重要な行事はエキュメニカルな意味ももっています。今年のテーマは『空気』です。空気は生命にとって欠くことのできない要素です。先週の水曜一般謁見で述べたように、わたしはすべての人が被造物の保護のためにいっそう努めてくださるよう励まします。被造物は神から与えられたたまものだからです。特にわたしは、先進国が地球の未来のために責任をもって協力してくださるよう勧告します。それは、最貧国の人々が気候変動のために大きな費用を負担しないですむためです」。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  わたしたちは3日前の8月27日に、聖アウグスティヌス(354-430年)の母モニカ(332頃-387年)の記念日を祝いました。モニカはキリスト信者の母親の模範また保護者とされています。モニカの息子は、自伝的な書物である『告白』の中で、モニカに関する多くの情報を残してくれました。『告白』はあらゆる時代を通してもっとも読まれた傑作です。『告白』に書かれているとおり、アウグスティヌスは母の乳とともにイエスの名を飲み、母からキリスト教を学びました。キリスト教の原理は、アウグスティヌスが霊的・道徳的に逸脱した時期にも彼のうちに消えずに残りました。モニカはアウグスティヌスとその回心のために祈り続けました。そして、アウグスティヌスが信仰に立ち帰って洗礼を受けるのを見ることにより慰めを得ました。神はこの聖なる母の祈りを聞き入れたのです。タガステの司教は彼女にこういいました。「このような涙の子が滅びるはずはありません」(『告白』:Confessiones III, 12, 21〔山田晶訳、『世界の名著14』中央公論社、1968年、129頁〕)。実際、アウグスティヌスは回心したばかりでなく、修道生活を始めることを決め、アフリカに帰って修道共同体を設立しました。アフリカへの船出を待ちながらオスティアの静かな家でアウグスティヌスが母と行った最後の霊的対話は、感動的で、わたしたちを教え導きます(同:ibid. IX, 10参照)。このとき聖モニカはこの息子にとって「母である以上に、キリスト教の源泉」となっていました。何年もの間、モニカの唯一の望みはアウグスティヌスの回心でした。今やモニカは、アウグスティヌスが完全に神への奉仕にささげた人生に向かうのを目にしていました。こうしてモニカは満足して死ぬことができました。そして、実際に彼女は387年8月27日、56歳で世を去りました。死ぬ前にモニカは子らに願いました。埋葬のことに気を使うのではなく、どこにいるときも主の祭壇上で自分のことを思い起こしてほしいと。聖アウグスティヌスは、母は自分を「二度産んでくださった」と繰り返していいました。
  キリスト教の歴史は、数えきれないほど多くの聖なる両親と真正なキリスト教的家庭の模範で飾られています。これらの人々は教会の寛大な司祭と牧者の生涯をともに歩みました。ともに聖人の家庭から生まれた、聖バシレイオス(330頃-379年)とナジアンゾスの聖グレゴリオス(325/330-390年頃)のことが思い出されます。わたしたちともっと身近な人としては、ルイージ・ベルトラメ・クアトロッチ(1880-1951年)とマリア・コルシニ・ベルトラメ・クアトロッチ(1884-1965年)夫妻を思い起こします。二人は19世紀末から20世紀半ばまで生涯を送り、2001年10月、わたしの敬愛すべき前任者であるヨハネ・パウロ二世によって列福されました。この列福は使徒的勧告『家庭――愛といのちのきずな』発布20周年と重なりました。『家庭――愛といのちのきずな』という文書は、結婚の意味と家庭の使命を示すだけでなく、夫婦を聖性の道を歩むという特別な責務へと招きます。聖性の道は、結婚の秘跡から恵みと力を汲み取りながら、夫婦の生涯全体の歩みに従うからです(同56参照)。夫婦が子どもの教育のために惜しみなく努め、神の愛の計画を見いだすまでに子どもを導き、方向づけるなら、司祭職と奉献生活への召命が芽生え、育つための豊かな霊的土壌を準備することになります。こうして、結婚と奉献生活がどれほど互いに関連し、照らし合うかがわかります。それは、両者が始めからともに花婿としてのキリストの愛に根ざしているからです。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。「司祭年」にあたり、わたしたちは祈ります。「どうかアルスの聖なる主任司祭の取り次ぎによって、キリスト者の家庭が小さな教会となることができますように。この小さな教会の中で、聖霊が与えてくださる召命とカリスマのすべてを受け入れ、尊ぶことができますように」(「司祭年のための祈り」)。今わたしたちが祈り求める聖なるおとめの助けによって、この恵みが与えられますように。

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