教皇ベネディクト十六世の194回目の一般謁見演説 チェコ共和国司牧訪問を振り返って

9月30日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の194回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、9月26日(土)から28日(月)まで行ったチェコ共和国への司牧訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 イタリア国外への司牧訪問の後の恒例に従って、今日の一般謁見では、この数日間に行ったチェコ共和国訪問についてお話しします。まずこの訪問を可能にし、豊かに祝福してくださった神に感謝したいと思います。今回の訪問は真の意味で巡礼であると同時に、ヨーロッパの中心における宣教でもありました。巡礼というわけは、ボヘミアとモラヴィアは千年以上にわたって信仰と聖性の地だったからです。宣教というわけは、ヨーロッパが神と神の愛のうちに堅固な希望の基盤をあらためて見いださなければならないからです。チェコ国民に福音宣教を行った聖キュリロス(826/827-869年)と聖メトディオス(815頃-885年)が聖ベネディクトゥス(480頃-547/560年頃)とともにヨーロッパの守護聖人であることは偶然ではありません。「キリストの愛がわたしたちの力です」。これが今回の旅のテーマでした。このことばは過去と現在の多くの勇敢な証人の信仰をこだまします。わたしは特に前世紀に思いを致します。しかしこのテーマは何よりも現代のキリスト信者の確信を表します。そうです。わたしたちの力はキリストの愛です。この力が、平和的に人々を解放する真の革命を力づけ、促します。この力が、危難のときにわたしたちを支えます。そして、苦労して再び手にした自由が、自分自身と真理を失う危険にさらされたときに、わたしたちをもう一度立ち上がらせてくれるのです。
 わたしは温かい歓迎を受けました(9月26日)。(ヴァーツラフ・クラウス)共和国大統領にあらためて感謝を表したいと思います。大統領はさまざまな機会にご出席くださるとともに、わたしをわたしの協力者とともに、首都(プラハ)の由緒ある城の大統領府に招き、心から歓迎してくださいました。司教協議会全体、特にプラハ大司教の(ミロスラフ・ヴルク)枢機卿と(ヴォイチェク・チクレ)ブルノ司教は、チェコ共和国と聖ペトロの後継者を結ぶ深いきずなを心から感じさせてくれました。典礼を注意深く準備してくださったことについても、このかたがたに感謝します。国家・軍事当局の皆様と、この訪問が成功するためにさまざまな形でご協力くださったすべてのかたがたにも感謝します。
 キリストの愛は、まず幼子イエスのみ顔のうちに現されます。実際、プラハに到着して最初に訪れたのは、勝利の聖母教会でした。この教会では、まさしく「プラハの幼子」として知られる幼子イエスが崇敬されています。この幼子のご像は、人となられた神の神秘を、すなわち、わたしたちの希望の基盤である「近くにおられる神」を指し示します。「プラハの幼子」の前で、わたしはすべての子ども、両親、そして家庭の未来のために祈りました。わたしたちが今日、マリアに祈り求める本当の「勝利」は、家庭と社会における愛といのちの勝利にほかなりません。
 歴史的にも建築的にもすばらしいプラハ城は、より一般的な考察を促します。この城はその広大な空間の中に、さまざまな記念碑、部屋、機関を集め、さながら一つの「ポリス(都市国家)」の姿を示しています。この城の中に、司教座聖堂と宮廷、広場と庭園が共存します。そこから、この同じ場で、わたしの訪問は、国家と宗教の領域に触れることができました。この二つを対立させることなく、区別のうちに親しい調和を保たせなければなりません。それゆえ、政治・国家当局者と外交使節団へのあいさつの中で、わたしは自由と真理の間に常に存在すべき切り離しえないきずなについてお話しすることを望みました(同日)。真理を恐れる必要はありません。なぜなら、真理は人間と自由の友だからです。むしろ、真理と善と美を真に探求するときに初めて、現代の若者と未来の世代に、本当の意味で未来が与えられるのです。さらに、プラハが多くの人の心を引き寄せるのは、その美であり、それも、単なる審美的な意味での美だけでなく、歴史的、宗教的な、広い意味での人間的な美ではないでしょうか。政治と教育の分野で責任をもつ人々は、造り主の永遠の知恵の反映である、かの真理の光から学ばなければなりません。また彼らはこの光を人生の中で自らあかしするよう招かれています。知的・道徳的に正しくあろうと心から努めることのみが、自由のために愛するものをささげた人の犠牲にふさわしいといえます。
 このような真理と美の総合の象徴が、聖ウィトゥス(303/305年没)と聖ヴァーツラフ(907-935年、ボヘミア公在位921-没年)と(プラハの)聖アダルベルト(956頃-997年)にささげられたプラハの荘厳な司教座大聖堂です。この大聖堂で、司祭、修道者、神学生、キリスト信者の会と運動団体で活動する信徒の代表者による晩の祈りが行われました(同日)。今は中央ヨーロッパの共同体にとって困難な時期です。長い無神論的全体主義の冬に続いて、一部の西欧の世俗主義と消費主義の悪影響が加わったからです。そのためわたしは、すべての人が復活した主からあらためて力を汲み取るようにと励ましました。それは、社会の中で福音のパン種となり、これまでと同じように、愛のわざと、教育・研究活動にいっそう努めることができるためです。
 わたしは、キリストへの信仰に基づくこの希望のメッセージを、モラヴィアの中心都市ブルノと、チェコの主要な守護聖人である聖ヴァーツラフの殉教地であるスタラー・ボレスラフで行われた、二つの盛大な感謝の祭儀でも、神の民全体に告げました(9月27日、28日)。モラヴィアはただちにスラヴ人の宣教者である聖キュリロスと聖メトディオスを思い起こさせてくれます。福音の尽きることのない力は、いやしをもたらす水の流れのように、歴史と諸大陸を越えて、あらゆるところにいのちと救いをもたらします。ブルノの司教座聖堂の入口には、キリストの次のことばが刻まれています。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)。同じことばが先週の主日の典礼の中でも朗読されました。それは、きのうも今日も、永遠に変わることのない諸国民の希望である、救い主の永遠の声を響き渡らせます。キリストの支配、すなわち、恵みと憐れみの支配を表す雄弁なしるしは、さまざまなキリスト教国に存在する守護聖人です。たとえば、10世紀のボヘミアの若き王ヴァーツラフは、模範的なキリスト教的あかしで際立っていましたが、弟に殺されました。ヴァーツラフは地上の権力への誘惑よりも天の国を優先し、移り変わる歴史における模範また保護者として、チェコ国民の心の中にいつまでもとどまり続けています。隣接する国々から来た人も含む、(スタラー・ボレスラフの)聖ヴァーツラフ聖堂でのミサに参加した若者たちにわたしは呼びかけました。キリストのうちにもっとも真実な友を見いだしてください。キリストは人間の心の奥深くにある望みを満たしてくださいます。
 最後にわたしは何よりも二つの集いに触れなければなりません。エキュメニカル集会と、学識経験者との集いです。プラハの大司教館で行われたエキュメニカル集会には、チェコ共和国のさまざまなキリスト教共同体の代表者と、ユダヤ教共同体の指導者が集まりました(9月27日)。わたしたちは、残念ながらキリスト者の間の激しい紛争を経験したチェコの歴史を思いながら、唯一の主の弟子としてともに集まり、信仰の喜びと、現在の諸問題に対する歴史的責任を共有できることを心から神に感謝しました。キリストを信じる者であるわたしたちの間のいっそう完全な目に見える一致に向けて歩もうと努力することによって、わたしたちは、ヨーロッパのキリスト教的根源を再発見するための共通の取り組みを強め、効果的なものとすることができます。わたしの敬愛する前任者であるヨハネ・パウロ二世が深く心にとめていたこの最後の側面は、大学の学長、教員と学生の代表者、そして文化界の著名人との集会でも示されました(同日)。このことに関連して、わたしはヨーロッパを支える枠組みである大学の役割を強調したいと思いました。プラハには、ヨーロッパ最古で、もっとも有名な大学であるカレル大学があります。カレル大学という名は、教皇クレメンス六世(在位1342-1352年)とともに大学を創立したカール四世(神聖ローマ皇帝在位1346-1378年)に由来します。大学は、社会を活気づける環境であり、自由と発展の保証です。それは、いわゆる「ビロード革命」(1989年11月)がプラハの大学を中心に始まったことが示すとおりです。この歴史的出来事の20年後に、わたしはあらためて全人教育という理念を示しました。全人教育とは、真理に根ざした認識の統一を基盤とします。それは、新たな独裁制、すなわち、技術の支配と結びついた相対主義の独裁制に立ち向かうためです。人文的文化と科学的文化を切り離すことはできません。むしろ二つは同じ通貨の両面をなします。偉大な作家カフカ(1883-1924年)や現代遺伝学の祖メンデル修道院長(1822-1884年)の祖国であるチェコは、わたしたちにこのことをあらためて思い起こさせてくれます。
 親愛なる友人の皆様。主に感謝します。主はこの訪問によって、歴史と宗教に深く根ざした国民と出会わせてくださったからです。チェコ国民は今年、精神的にも社会的にも意味深いさまざまな出来事を記念します。チェコ共和国の兄弟姉妹の皆様にあらためて、希望のメッセージと、ヨーロッパの現在と明日を築くために勇気をもって善を行うようにという励ましを送ります。この司牧訪問の実りを至聖なるマリアとボヘミアとモラヴィアのすべての聖人と聖女の執り成しにゆだねます。ご清聴有難うございます。

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