教皇ベネディクト十六世の195回目の一般謁見演説 聖ジョヴァンニ・レオナルディ

10月7日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の195回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、神の母律修参事会の創立者で、没後400周年を記念する、聖ジョヴァンニ・レオナルディについて解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 明後日の10月9日、聖ジョヴァンニ・レオナルディ(Giovanni Leonardi 1541頃-1609年)の没後400周年が記念されます。聖ジョヴァンニ・レオナルディは神の母律修参事会の創立者で、1938年4月17日に列聖され、2006年8月8日に薬剤師の守護聖人とされました。彼は強い宣教への熱意においても記憶にとどめられています。レオナルディはフアン・バウティスタ・ビベス(Juan Bautista Vives)とイエズス会士のマルティン・デ・フネス(Martin de Funes 1560-1611年)とともに宣教者のための聖座の特別な省、すなわち布教聖省(Sacra Congregatio de Propaganda Fide)と将来の布教聖省直属のウルバニアナ大学(Collegio Urbano di Propaganda Fide)の設立を計画し、そのために貢献しました。ウルバニアナ大学は数世紀にわたって何千人もの司祭を育成し、その多くが諸国民への宣教のために殉教しました。それゆえ、「司祭年」にあたり、すべての司祭の模範としてこの輝かしい司祭を示すことができるのをうれしく思います。レオナルディは1609年、ローマのカンピテリ地区で伝染病患者の世話をしているとき、インフルエンザに罹患して亡くなりました。
 ジョヴァンニ・レオナルディは1541年、ルッカ県のディエチモで生まれました。7人兄弟の末子だった彼は青年時代を、健全で勤勉な家族の信仰生活のリズムのうちに生きました。彼はまた、生まれた町の香草・薬品店に頻繁に通いました。17歳のとき父親は彼をルッカの薬剤師になるための学校に入れました。当時、薬剤師は「薬屋」と呼ばれました。若きジョヴァンニ・レオナルディは約10年間、朝早くから毎日学校に通いました。しかし、かつてのルッカ共和国の規定に従って「薬屋」を開業する資格を正式に認められたとき、彼は考え始めました。自分がいつも心に抱いていた計画を実現するときが来たのではないだろうかと。熟慮の末、彼は司祭になることに決めました。こうして彼は薬屋を後にして、適切な神学教育を受け、司祭叙階され、1572年の公現祭に初ミサをささげました。けれども彼は製薬への熱意も捨てませんでした。なぜなら、彼は薬剤師という仕事が自分の召命を完全なしかたで実現させてくれると考えたからです。すなわちそれは、聖なる生活を通じて人々に「神の薬」を伝えるという召命です。「神の薬」とは、「万物の尺度」である、十字架につけられて復活したイエス・キリストです。
 すべての人は他の何よりもこの薬を必要としているという確信に促されて、ジョヴァンニ・レオナルディは、イエス・キリストと個人的に出会うことを自らの根本的な存在理由にしようと努めました。彼が繰り返していったとおり、「キリストから再出発しなければなりません」。すべてにおいてキリストを第一とすることが、彼の判断と行動の具体的な基準であり、司祭としての活動を生み出す原理でした。レオナルディは、教会の霊的刷新運動が広くさまざまなところで行われている時代に司祭として活動しました。このような霊的刷新運動が行われたのは、新しい修道会の誕生と、カルロ・ボロメオ(Carlo Borromeo 1538-1584年)、フィリッポ・ネリ(Filippo Neri 1515-1595年)、イグナティウス・デ・ロヨラ(Ignatius de Loyola 1491-1556年)、ホセ・デ・カラサンス(José de Calasanz 1557-1648年)、カミロ・デ・レリス(Camillo de Lellis 1550-1614年)、アロイシウス・ゴンザーガ(Aloysius Gonzaga 1568-1591年)のような輝かしい聖人のあかしのおかげです。彼は「キリスト教教理の仲間」を通じて青年使徒職に熱心に取り組みました。「キリスト教教理の仲間」はレオナルディを中心に集まった青年のグループです。彼はこのグループとともに、1574年9月1日に「おとめマリアの改革司祭会」を創立しました。この会は後に「神の母律修参事会」と呼ばれました。レオナルディは弟子に勧めます。「心の目の前に、十字架につけられたキリスト・イエスのほまれと奉仕と栄光だけを置きなさい」。そして、いつも正確な基準によって水薬を調合するよい薬剤師のように、彼は続けていいます。「心を少しでも神に向けて、神によって物事を計りなさい」。
 使徒的な熱意に駆られて、彼は1605年5月、教皇に選出されたばかりのパウロ五世(在位1605-1621年)に「覚え書き」を送りました。この中で彼は、教会の真の刷新のための基準を提言しました。彼はいいます。「人間の習慣の改革を望む者は、特に、また何にもまして、神の栄光を求めなければなりません」。そのため、続けて彼はいいます。「このような人は、生活の一貫性と優れた習慣において際立った者でなければなりません。そうすれば、強制によらずに、人々を優しく改革へと引き寄せることができます」。さらに彼はいいます。「真面目に宗教的・道徳的改革を行うことを望むなら、何よりもまず、よい医師と同じように、どのような悪が教会を悩ましているかを注意深く診断しなければなりません。それは、それぞれの人にもっとも適切な薬を処方できるようになるためです」。彼はまたいいます。「教会の刷新は、指導者にも、指導者に従うどのような身分の人々にも、同じように行われなければなりません。刷新は、まず命令する人から始め、それから命令される人へと広げていくべきです」。そのためレオナルディは、「教会全体の改革」の推進を教皇に促すとともに、民衆、特に子どものキリスト教教育に目を向けました。それは、「子どもたちを若いときから・・・・純粋なキリスト教信仰と聖なる習慣へと教育する」ためです。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。聖ジョヴァンニ・レオナルディの輝かしい姿は、まず司祭を、そしてすべてのキリスト信者を招きます。常に――もちろん、おのおのが自分の状態に応じて――聖性という「高い水準のキリスト教的生活」を目指すようにと。実際、キリストへの忠実から、初めて真の教会の刷新が生まれるのです。レオナルディの生きた、16世紀から17世紀にかけての文化的・社会的移行期には、その後の現代文化の前提が姿を現し始めました。この前提は、信仰と理性の不適切な分離によって特徴づけられます。この分離がもたらしたもっとも悪い結果は、神を片隅に追いやったことです。それは、人間の完全な自律が可能だという幻想を伴いました。人間は「あたかも神が存在しないかのようにして」生きることを選ぶからです。これこそが現代思想の危機にほかなりません。わたしがたびたび指摘してきたこの危機は、しばしば相対主義という形態をとります。ジョヴァンニ・レオナルディはこの霊的な悪のために何が真の薬となるかを洞察して、それを次のことばでまとめました。「キリストを第一にしなさい」。キリストを、心の中心、歴史と宇宙の中心にしなさい。レオナルディは力をこめていいます。人類は限りなくキリストを必要としています。なぜなら、キリストはわたしたちの「基準」だからです。キリストの力が触れることのできない領域はありません。キリストによって救われない悪はありません。キリストによって解決されない問題はありません。「キリストか、無か、そのいずれかです」。これこそが、あらゆる霊的・社会的改革のための彼の処方箋です。
 わたしが強調したい、聖ジョヴァンニ・レオナルディの霊性のもう一つの側面はこれです。どのようなときにも彼はいわずにはいられませんでした。キリストとの生きた出会いはキリストの教会の中で行われます。教会は、聖にして、もろいものです。教会は、歴史の中に、それも時として行方の知れないその成り行きの中に根ざしています。この歴史の中で麦と毒麦が一緒に成長します(マタイ13・30参照)。しかし、にもかかかわらず教会は常に救いの秘跡であり続けます。レオナルディは教会が神の畑であることをはっきりと自覚していました(マタイ13・24参照)。だから彼は教会の人間的な弱さにつまずきを覚えませんでした。彼は毒麦と戦うために、よい麦となることを選びました。つまり彼は、教会のうちにおられるキリストを愛し、教会がいっそうキリストをはっきりと示すしるしとなるための助けになろうと決めたのです。レオナルディはありのままに教会とその人間的なもろさを見つめました。しかし彼は、教会が「神の畑」であり、人類の救いのための神の道具であることも見いだしました。それだけではありません。彼はキリストへの愛のゆえに、教会を清め、教会をいっそう美しく聖なるものとするために活発に働きました。彼は知っていました。あらゆる改革は教会の中で行われるものであって、教会に反対して行われるのではないということを。この点において聖ジョヴァンニ・レオナルディは真の意味で特別な存在です。そして彼の模範は永遠に現代的な意味をもち続けます。あらゆる改革が制度にかかわることはいうまでもありません。しかし、改革はまず第一に信者の心に刻まれなければなりません。聖人、すなわち、聖霊に導かれながら、福音の光のもとに、進んで徹底的で勇気ある決断を行う人々だけが、教会を新たにし、決定的なしかたでよりよい世界を築くために貢献するのです。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。聖ジョヴァンニ・レオナルディの生涯は常にイエスの「聖なるみ顔」の輝きで照らされていました。ルッカ司教座聖堂に保存され、崇敬されているこのイエスの「聖なるみ顔」は、聖レオナルディを促した信仰を雄弁に語るしるし、またそのはっきりとした要約です。使徒パウロと同じようにキリストに心を捕らえられた彼は、弟子たちに、また、わたしたち皆に、キリストを中心とする理想を示し続けます。この理想のために「あらゆる自分の関心を捨て、神に奉仕することだけを心がけなければなりません」。そして、「心の目の前に、十字架につけられたキリスト・イエスのほまれと奉仕と栄光だけを置きなさい」。彼はキリストのみ顔とともに、マリアの母としてのみ顔に目を注ぎました。彼が自分の会の守護聖人としたマリアは、彼にとって師であり、姉妹であり、母でした。彼はマリアの絶えざるご保護を感じました。特に「司祭年」にあたり、この「魅力的な神の人」の模範と執り成しが、司祭とすべてのキリスト信者のために、情熱と熱意をもって自分の召命を生きることへの招きと励ましとなりますように。

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