教皇ベネディクト十六世の200回目の一般謁見演説 12世紀の神学の発展 ―クリュニー修道会による修道生活の刷新への貢献

11月11日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の200回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話 […]


11月11日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の200回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第19回として、「12世紀の神学の発展――クリュニー修道会による修道生活の刷新への貢献」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇は、国際社会に対して、スリランカ情勢に関する次の呼びかけをイタリア語で行いました。
「スリランカに流血をもたらした紛争が終結してから約6か月たちました。この数週間、戦争による疎開者の自宅への帰還を促進するために国家当局が努めてこられたことをうれしく思います。わたしはこの努力の強化を強く励ますとともに、スリランカの全国民に、人権の完全な尊重に基づく速やかな和平と、スリランカが今なお直面している諸問題の公正な政治的解決に向けて努力してくださるようお願いします。最後に、国際社会がスリランカの人道的・経済的必要にこたえるよう努めてくださることを願います。そしてわたしは、この愛する国を見守り続けてくださるよう、マドゥーの聖なるおとめに祈りをささげます」。
2009年5月19日、スリランカのラージャパクサ大統領は国会で、政府軍と反政府武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の内戦の終結を宣言しました。この内戦は26年間に7万人以上の犠牲者を生みました。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日は中世の諸世紀において重要な意味をもつ、ある修道制運動についてお話ししたいと思います。修道制運動についてはこれまでの講話でもすでに言及しました。今日お話しするクリュニー修道会は、12世紀初頭の最大の拡張期に約1200の修道院を有していました。これはまことに驚くべき数です。ちょうど1100年前の910年、アキテーヌ公(敬虔侯)ギヨーム(Guillaume le Pieux, duc d’Aquitaine 918年没)の寄進により、修道院長ベルノ(Berno 850頃-927年、在任909/910-没年)の指導のもとに、クリュニーに修道院が創立されました。聖ベネディクトゥス(Benedictus de Nursia 480頃-547/560年頃)とともに数世紀前に栄えた西方修道制は、当時、さまざまな理由によってすっかり衰退していました。すなわち、ヨーロッパの版図に属さない諸民族の継続的な侵入と破壊による不安定な政治・社会情勢、貧困の蔓延、そして何よりも修道院の地域諸侯への依存です。地域諸侯は、自分の権限の及ぶ領域に属するすべてのものを支配していました。このような状況の中で、クリュニーは修道生活の深い刷新の精神を代表し、修道生活をその根源的な着想へと回帰させました。
  クリュニーでは、すでに他の改革者によって導入されたいくつかの適用を伴いながら、聖ベネディクトゥスの『戒律』(Regula)の遵守が回復されました。何よりもそこで目指されたのは、典礼がキリスト教生活の中で占める中心的な役割を保証することでした。クリュニーの修道士は、愛と深い配慮をもって、時課の典礼、詩編唱和、敬虔で荘厳な行列、そして何よりもミサ典礼を行うことに献身しました。彼らは教会音楽を拡充しました。教会の建築と美術が典礼の美と荘厳さに役立つことを望みました。特別な祝祭日を祝うことによって典礼暦を豊かにしました。たとえば、11月の初めの亡くなった信者の記念です。わたしたちもそれを数日前に行ったばかりです。彼らはまた、おとめマリアへの崇敬を深めました。彼らは典礼をきわめて重視しました。なぜなら、クリュニーの修道士は、それが天上の典礼にあずかることだと確信していたからです。修道士たちはまた、自分たちには祭壇上で生者と死者のために神に執り成しを行う責任があると考えました。多くの信者が祈りの中で自分たちを思い起こしてくれるようしきりに願ったからです。また、まさにそのために、敬虔侯ギヨームはクリュニー修道院の創設を望んだのでした。修道院の創立を証言する古文書は次のように述べます。「このたまものによってわたしは次のように定める。クリュニーに使徒聖ペトロとパウロをたたえるために参事会員の修道院を建設する。そして、聖ベネディクトゥスの戒律に従って生活する修道士がこの修道院に集められる。・・・・この地は尊ぶべき祈りの避難所となる。この祈りは誓願と祈願とともに頻繁にささげられる。また、あらゆる望みと深い熱意をもって天上の生活が探求され、熱望される。そして、祈りと祈願と執り成しが熱心に主にささげられる」。このような祈りの雰囲気を守り、育てるために、クリュニーの修道規則は沈黙の重要性を強調します。修道士はこの沈黙の規律に進んで従いました。彼らは、自分たちが望む清らかな美徳は、絶えざる内的な精神の集中を必要とすると考えたからです。すぐにクリュニー修道院の聖性の評判が高まり、他の多くの修道共同体がクリュニーの習慣に従うことを決めたのも、驚くべきことではありません。多くの王侯や教皇がクリュニー修道院長にクリュニーの改革を広めることを求めました。そして、短期間のうちに、クリュニーに結ばれた修道院の緊密なつながりができました。このつながりは、真に固有の意味での法的な絆の場合も、一種のカリスマの親子関係の場合もありました。こうして精神的な意味でのヨーロッパが、フランス、イタリア、スペイン、ドイツ、ハンガリーのさまざまな地域に姿を現しました。
  クリュニーの成功は、何よりもそこで培われた高い霊性がもたらしたものですが、他のいくつかの条件もクリュニーの発展を促しました。それまでの慣例に反して、クリュニー修道院とそれに属する共同体は地域司教の裁治権の管轄外となることが認められ、直接、ローマ教皇の裁治権のもとに置かれました。そこから、ペトロの座との特別な絆と、歴代教皇の保護と励ましによる純粋さと忠実の理念が生まれました。クリュニー改革が従うことを目指したこの理念は瞬く間に広まることができました。さらに、他の地域の慣習とは異なり、修道院長は世俗的権威のいかなる干渉もなしに選ばれました。クリュニーと、クリュニーに属する多くの修道共同体を指導するために本当にふさわしい人が後継者となりました。二か月前の講話の中でお話ししたクリュニーのオド(Odo Cluniacensis 878/879-942年、在任927-没年)や、他の偉大な人々です。すなわち、アイマルドゥス(Aimardus 965年頃没、在任942頃-954年頃)、マヨルス(Maiolus 909以降-994年、在任954頃-没年)、オディロ(Odilo 961/962-1049年、在任994-没年)、そして何よりも大フーゴー(Hugo I 1024-1109年、在任1049-没年)です。これらの人々は長期間にわたり奉仕の務めを果たし、開始された改革を堅固にし、広めました。オドのほか、マヨルス、オディロ、フーゴーが列聖されました。
  クリュニー改革は、修道生活の清めと覚醒だけでなく、普遍教会の生活にも積極的な影響を及ぼしました。実際、福音的完徳へのあこがれは、当時の教会を悩ましていた深刻な悪と戦うことへの促しを表しました。すなわち、聖職売買(報酬のために司牧職を手に入れること)と、在俗司祭の不道徳な生活です。霊的権威をもったクリュニー修道院長と、司教になったり、ある者は教皇にまでなったクリュニー修道士は、霊的刷新のためのこの壮大な行動の中心人物となりました。それは多くの成果ももたらしました。司祭の独身制が再び尊重され、実践されるようになり、教会の職務への就任に際してより透明な手続きが導入されました。
  クリュニー改革から霊感を受けた修道院が社会にもたらした恩恵も重要です。貧しい人の世話をするのが教会組織だけだった時代には、愛のわざが熱心に行われました。どの修道院でも、施しの分配者が、客人や旅人、貧しい巡礼者、旅する司祭や修道者、とりわけ食事と数日間泊まるための宿を求める貧しい人を受け入れなければなりませんでした。クリュニーが推進した、中世文化の特徴を示す他の二つの制度も同じように重要です。すなわち、いわゆる「神の休戦」と「神の平和」です。暴力と報復の精神で色濃く特徴づけられた時代にあって、「神の休戦」は、特定の宗教行事が行われるときや、一週間の中の数日間、交戦のない長い期間を保証しました。「神の平和」は、教会法的懲罰制裁のもとに、無防備な人や聖地の尊重を求めました。
  こうしてヨーロッパ人の良心に蒔かれた種が長い時間を経て育ち、ついには社会を築くための二つの根本的な要素をはっきり認めさせるに至ります。すなわち、人間の人格の価値と、平和という第一の善です。さらに、創立された他の修道院と同じく、クリュニーの諸修道院も莫大な財産を所有していました。この財産は、勤勉に成果を生み出すことによって、経済発展に貢献しました。手仕事以外にも、中世修道制の特徴をなす文化活動が存在しました。すなわち、子どものための学校、図書館の蔵書、そして書物の筆写のための「写本処(scriptoria)」です。
  こうして、ヨーロッパの実体の形成過程が頂点に達した1000年前に、クリュニー運動はヨーロッパ大陸のさまざまな地域に広がり、重要かつ貴重な貢献を果たしました。クリュニー運動は、精神という富を優先すべきことを思い起こさせました。神にかかわることがらへの関心を呼び覚ましました。人間的な価値を向上させるための取り組みや制度に着想を与え、それらを育てました。平和の精神に向けた教育を行いました。親愛なる兄弟姉妹の皆様。真の人間主義とヨーロッパの未来を心にとめる人々が皆、これらの数世紀の豊かな文化的・宗教的遺産を再発見し、評価し、擁護することができるように祈りたいと思います。

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