教皇ベネディクト十六世の202回目の一般謁見演説 二人のサン=ヴィクトル修道院の神学者 ―サン=ヴィクトルのフーゴーとリカルドゥス

11月25日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の202回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話 […]


11月25日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の202回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第21回として、「二人のサン=ヴィクトル修道院の神学者――サン=ヴィクトルのフーゴーとリカルドゥス」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

この日の謁見には、1年前の11月24日に長崎で行われたペトロ・カスイ岐部と187殉教者の列福への答礼のためにバチカンを訪れた、日本カトリック司教協議会の公式巡礼団約170名も参加しました。巡礼団には団長の日本カトリック司教協議会会長・岡田武夫大司教(東京教区)ほか、司教6名――大塚喜直司教(京都教区)、押川壽夫司教(那覇教区)、菊地功司教(新潟教区)、地主敏夫退任司教(札幌教区)、髙見三明大司教(長崎教区)、溝部脩司教(高松教区)――が同行しました。講話の後、英語を話す巡礼者に対するあいさつの中で、教皇は日本の巡礼団に次のあいさつを行いました。「福者ペトロ岐部と同志の列福1周年を記念するために来られた日本の司教と信者の巡礼者の皆様を心から歓迎申し上げます」。謁見の終わりに、岡田大司教が、駐日教皇庁大使アルベルト・ボッターリ・デ・カステッロ大司教とともに、殉教者の聖遺物を納めた顕示台を教皇に奉呈しました。教皇は謁見に参加した司教の一人ひとりとことばを交わしました。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  最近の水曜謁見の中で、信者の模範となる幾人かの人々をご紹介しています。この人々は、理性と信仰の一致を示し、自分の生活をもって福音のメッセージをあかしすることに努めました。今日はサン=ヴィクトルのフーゴー(Hugo de Sancto Victore 1096頃-1141年)とリカルドゥス(Richardus de Sancto Victore 1173年没、サン=ヴィクトル大修道院長在任1162-没年)についてお話ししたいと思います。二人はともに「サン=ヴィクトル学派」の名で呼ばれる哲学者・神学者に属します。なぜなら二人は、12世紀初頭にシャンポーのギヨーム(Guillaume de Champeaux; Guillelmus Campellensis 1060以前-1122年)によって創立された、パリのサン=ヴィクトル修道院に住み、そこで教えたからです。ギヨームも有名な教師であり、この修道院に堅固な文化的性格を与えることができました。実際、サン=ヴィクトル修道院には修道士の教育のための学校が開設されました。この学校は修道院の外の学生にも開かれていました。そこでは、修道院神学とスコラ神学という、わたしがこれまでの講話でお話しした二つの神学の様式の幸いな統合が実現しました。修道院神学はおもに聖書のうちに信仰の神秘を観想することを目指し、スコラ神学は理性を用いながら、新しい方法によってこれらの神秘を解明し、神学体系を作り出そうとしました。
  サン=ヴィクトルのフーゴーの生涯についてはわずかのことしか知られていません。彼の生まれた時と場所は不詳です。おそらくザクセンまたはフランドルで生まれたと思われます。知られていることはこれです。彼は当時のヨーロッパ文化の中心地であるパリに来て、サン=ヴィクトル修道院で後半生を過ごしました。彼はまずこの修道院の学生となり、後に教師となりました。1141年に死ぬ前から、すでに彼は広く知られ、高い名声を得ていました。そして「第二の聖アウグスティヌス」とまで呼ばれました。実際、フーゴーはアウグスティヌスと同じように、信仰と理性、世俗的学問と神学の関係を深く考察しました。サン=ヴィクトルのフーゴーによれば、すべての学問は、聖書を理解するために役立つだけでなく、それ自体として価値をもち、深めなければなりません。それは、人間の知識を広げ、真理を知りたいという人間の望みにこたえるためです。彼は健全な知的好奇心に促されて、学びたいという望みを決して抑えないようにと学生たちに勧めました。そして、意味深くも『ディダスカリコン(学習論)』(Didascalicon)と題された勉学と教育の方法に関する論考の中で、こう勧めます。「すべての人々から、喜んであなたの知らないことを学びなさい。もしもあなたがすべての人々から学ぼうと欲したなら、あなたはすべての人々よりも知恵ある者になるであろう。すべての人々から受け取る者たちは、すべての人々よりも富める者たちである」(Didascalicon de studio legendi 3, 14, PL 176, 774〔五百旗頭博治・荒井洋一訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成9 サン=ヴィクトル学派』平凡社、1996年、97頁〕)。
  サン=ヴィクトル学派の哲学者と神学者が特に携わった学問は神学です。神学は何よりも聖書を愛をもって研究することを要求します。実際、神を知るには、神ご自身が聖書を通じてご自身について啓示しようと望まれたことから出発しなければなりません。その意味で、サン=ヴィクトルのフーゴーは、完全に聖書釈義に基づいて行われる、修道院神学の典型的な代表者といえます。彼は聖書を解釈するために、伝統的な教父的・中世的な区分を示します。すなわち、第一に、歴史的・字義的意味、次に寓意的意味と上昇的意味、そして最後に道徳的意味です。これらの聖書の4つの意味の次元は、現代、あらためて再発見されました。なぜなら、テキストや物語の中にはより深い意味が隠されていると考えられるようになったからです。このような意味こそが、いかに生きるかを教えながら、わたしたちを天上へと引き上げ、地上で導いてくれる信仰の糸です。しかし、フーゴーは、同時代の人にとっては独創的なしかたで聖書の4つの意味の次元を尊重しながらも、歴史的・字義的意味の重要性を強調します。これは新しい点です。いいかえると、聖書のテキストのより深い次元である象徴的な意味を見いだすには、まず聖書で語られる歴史の意味を知り、深く考察しなければなりません。もしそうしなければ――フーゴーは鮮やかなたとえを用いて警告します――、文字を知らない文法学者と同じような者となる恐れがあります。聖書に書かれた歴史の意味を知る者にとって、人間の出来事は、神の摂理がそのきわめて秩序立ったご計画に従って記したものとして現れます。こうして、サン=ヴィクトルのフーゴーにとり、歴史は、たとえうわべはそのように思われたとしても、無分別な運命や愚かな事件の生み出したものではありません。むしろ反対に、聖霊は人間の歴史の中で働きます。そして、人間と、その友である神との驚くべき対話を促します。このような神学的な歴史観は、神が救いをもたらすために驚くべきしかたで介入することを明らかにします。神は本当に歴史の中に入って、働かれます。神はほとんどわたしたちの歴史の一部となられます。けれども神は、人間の自由と責任を守り、尊重しながら、そうされるのです。
  フーゴーにとって、聖書とその歴史的・字義的意味の研究は、真に固有の意味での神学を可能にします。真に固有の意味での神学とは、真理を体系的に解明し、その構造を認識し、信仰に関する教義を説明することです。フーゴーはこのような神学を『キリスト教信仰の秘跡について』(De sacramentis christianae fidei)という論考において、堅固に総合した形で示しました。この論考では何よりもまず「秘跡」の定義が行われます。この秘跡の定義は、他の神学者たちによってその後さらに完全なものとされましたが、現代においてもきわめて興味深い手がかりを含んでいます。フーゴーはいいます。「秘跡は、特別な感覚的なしかたで示された物体的あるいは物質的な要素です。この要素は、類似によって目に見えない霊的な恵みを『表現し』また『意味します』。なぜなら、それはそのような形で制定されたからです。そしてそれはこの恵みを『含みます』。なぜならそれは聖化することができるからです」(『キリスト教信仰の秘跡について』:De sacramentis christianae fidei 9, 2, PL 176, 317)。一方で象徴は目に見えるものであり、神のたまものは「物体的」です。しかし、他方で、この目に見え、物体的なものの中に神の恵みが隠されています。この隠された神の恵みは歴史からもたらされます。イエス・キリストご自身が根本的な象徴を造り出すからです。それゆえ、サン=ヴィクトルのフーゴーによれば、秘跡を定義する際に、3つの要素が働きます。すなわち、キリストによる制定、恵みの伝達、そして、目に見える物質的な要素と目に見えない要素(すなわち、神のたまもの)の間の類比です。これは現代の感覚ときわめて近い考え方だといえます。なぜなら、秘跡は、人間の心に直接語りかけることができる象徴とイメージで織りなされた言語として示されるようになったからです。現代においてもう一つ重要なことがあります。それは、典礼の司式者、とくに司祭が、司牧的な知恵をもって、信仰教育に注意深く配慮しながら、秘跡に固有なしるし――恵みの目に見え、手で触れることのできる性格――を大事にすることです。秘跡が執行される際、常に、信者が皆、献身と熱意と霊的喜びを味わえるためです。
  スコットランド出身のリカルドゥスは、サン=ヴィクトルのフーゴーの弟子と呼ばれるにふさわしい人物です。リカルドゥスは1162年から没年の1173年までサン=ヴィクトル修道院の大修道院長を務めました。当然のことながらリカルドゥスにおいても聖書研究が根本的な役割を果たしましたが、師フーゴーとは異なり、彼は聖書の寓意的な意味、すなわち象徴的な意味を重んじました。たとえば彼はこの寓意的な意味を通じて、旧約の人物であるヤコブの子ベニヤミンを、観想の象徴また霊的生活の頂点として解釈しました。リカルドゥスは『小ベニヤミン』(Benjamin minor)と『大ベニヤミン』(Benjamin major)という二つの著作でこの議論を扱います。これらの著作の中で彼は信者に霊的な道を示します。霊的な道は、何よりもまずさまざまな美徳を実践するよう招きます。そのためには、理性によって、感覚と内的な感性と感情の動きを鍛え、秩序づけなければなりません。人はこの分野において平衡と人間的成熟に達したとき初めて、観想に近づく準備ができたといえます。リカルドゥスは観想を「驚きと驚嘆による忘我の感覚と結びついた、驚くべき知恵に対する深く清らかな魂のまなざし」(『大ベニヤミン』:Benjamin major 1, 4, PL 196, 67)と定義します。
  それゆえ、観想とは到達点であり、熱心な歩みの結果です。この歩みは、信仰と理性の対話、すなわち神学的議論をも必要とします。神学は、信仰の対象である真理から出発します。しかし神学は、理性を使用してこの真理の認識を深め、信仰のたまものを自分のものとすることを目指します。このような信仰理解への推論の適用は、リカルドゥスの傑作の『三位一体論』(De Trinitate)の中で説得力のある形で実践されました。これは歴史上もっとも偉大な著作の一つです。6巻から成るこの著作の中で、リカルドゥスは三位一体の神の神秘を鋭く考察します。リカルドゥスによれば、神は愛なので、神の唯一の実体は、父と子という二つのペルソナの間の交わりと奉献と愛を必要とします。父と子は永遠の愛の交わりをもって互いに出会うからです。しかし、完全な幸福と善は、排他的であることも閉鎖的であることもできません。むしろそれは、第三のペルソナである聖霊の永遠の現存を必要とします。三位の愛は共有的、協調的であり、歓喜の横溢、絶えることのない喜びの享受をもたらします。つまり、リカルドゥスは、神は愛であることに基づいて、愛の本質を、すなわち本当の愛とはいかなることを意味するのかを分析します。そこから彼は三位のペルソナに到達します。三位のペルソナは、本当の意味で、神が愛であることの論理的な表現だからです。
  とはいえリカルドゥスは次のことを自覚していました。愛はわたしたちに神の本質を示し、三位一体の神秘を「理解」させてくれます。たとえそうであっても、それは常に人間の精神を超えた神秘を語るための類比にすぎません。そこで、詩人また神秘家であった彼は、他のたとえを用います。たとえば彼は神性を川、あるいは愛の波にたとえます。この波は父からわき出て、流れ、子へと流れ戻ります。その後、聖霊のうちに幸いなしかたで広がります。
  親愛なる友人の皆様。サン=ヴィクトルのフーゴーやリカルドゥスのような著作家は、わたしたちの心を神的なことがらの観想へと引き上げてくれます。同時に、至聖なる三位一体への思いと驚嘆と賛美からもたらされる大きな喜びは、愛の交わりの完全な模範から霊感を受けた、わたしたちの日々の人間関係を築くための具体的な献身の基盤となり、それを支えます。三位一体はまことに完全な交わりです。家庭、小教区、また他のすべての共同体において、常に神の三位のペルソナの模範に従って人間関係を過ごすなら、どれほど世界が変わることでしょうか。三位一体のうちでは、それぞれのペルソナは、他のペルソナ「とともに」生きるだけでなく、他のペルソナ「のために」、他のペルソナ「のうちに」生きるからです。「愛だけがわたしたちを幸福な者とすることができます。なぜなら、わたしたちは関係の中で生きているからです。わたしたちは、愛し、愛されるために生きているからです」(教皇ベネディクト十六世「『お告げの祈り』のことば(2009年6月7日)」:L’Osservatore Romano 8-9 giugno 2009, p. 1)。このような絶えざる奇跡を実現するのは、愛です。至聖なる三位一体のいのちと同じように、複数であることは一(いつ)であることへと造り変えられます。そこではすべてが満足と喜びだからです。サン=ヴィクトル学派の人々が心からたたえた聖アウグスティヌスとともに、わたしたちも大声でいうことができます。「あなたは愛を見るならば、あなたは三位一体を見るのです(Vides Trinitatem, si caritatem vides)」(『三位一体論』:De Trinitate VIII, 8, 12〔泉治典訳、『アウグスティヌス著作集28 三位一体』教文館、2004年、250-251頁。ただし表現を一部改めた〕)。

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