教皇ベネディクト十六世の205回目の一般謁見演説 ソールズベリーのヨハネス

12月16日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の205回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第24回として、「ソールズベリーのヨハネス」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日はソールズベリーのヨハネス(Johannes Saresberiensis 1115/1120頃-1180年)をご紹介します。ソールズベリーのヨハネスは、中世のもっとも重要な哲学・神学の学校の一つである、フランスのシャルトルの司教座聖堂附属学校に属していました。ヨハネスも、この数週間の間お話ししてきた神学者たちと同様、信仰がどのようにして、理性の正当なあこがれと調和しつつ、啓示された真理へと思考を促すかを理解させてくれます。啓示された真理のうちにこそ、人間のまことの善が見いだされるからです。
  ヨハネスは1100年から1120年の間にイングランドのソールズベリーに生まれました。彼の著作、とりわけ多くの書簡を読むことによって、わたしたちは彼の生涯の重要な出来事について知ることができます。1136年から1148年までの12年間、彼は当時のもっとも優れたさまざまな学校に通って勉学に励みました。これらの学校で、彼は有名な教師たちの講義を聞きました。彼はパリに行き、次いでシャルトルに行きました。シャルトルの雰囲気はとくにヨハネスの教養を特徴づけました。彼はそこで、文化への徹底した開放性、理論的問題への関心、文学への好意的評価を身に着けました。当時しばしば行われたように、傑出した学生は、高位聖職者や君主から、側近として協力するようにとの招聘を受けました。ソールズベリーのヨハネスにもこの招聘がなされました。彼は偉大な友人クレルヴォーのベルナルドゥスを通じて、カンタベリー大司教のテオバルドゥス(Theobaldus 在位1138-1161年)に紹介されたのです。カンタベリーはイングランドの首座司教座です。テオバルドゥスは喜んでヨハネスを自分の聖職者の一員として迎え入れました。1150年から1161年までの11年間、ヨハネスは高齢の大司教の秘書また大司教附司祭となりました。ヨハネスは自分の勉学を続けながら、たゆまぬ熱心さをもって重要な外交活動に携わりました。彼はイングランドの王国・教会とローマ教皇との関係を深めるという明確な目的のために、10回イタリアに赴きました。何よりも当時の教皇は、イングランド出身で、ソールズベリーのヨハネスの親友のハドリアヌス4世(Hadrianus IV 在位1154-1159年)でした。1159年のハドリアヌスの死後の数年間、イングランドでは教会と王国の間に深刻な緊張状態が生じました。実際、イングランド王ヘンリー2世(Henry II 在位1154-1189年)は教会の内的生活に対して自らが権威をもつことを主張し、教会の自由を制限しようとしました。この主張は、ソールズベリーのヨハネスの反対を招きました。特に勇気ある抵抗を行ったのは、テオバルドゥスの後継者のカンタベリー大司教の、聖トマス・ベケット(Thomas Becket; Thomas Cantuariensis 1120-1170年)です。聖トマス・ベケットはこのためフランスに追放されました。ソールズベリーのヨハネスもベケットに従い、職にとどまって、常に和解のために努力しました。1170年、ヨハネスとトマス・ベケットがイングランドに戻ると、トマス・ベケットは司教座聖堂内で襲撃を受けて殺害されました。ベケットは殉教者として亡くなり、ただちに民衆から殉教者として崇敬されました。ヨハネスはシャルトル司教に選ばれるまでトマスの後継者にも忠実に仕え続けました。ヨハネスはシャルトルに1176年から亡くなる1180年までとどまりました。
  わたしはソールズベリーのヨハネスの著作の中で、2つの著作を特に紹介したいと思います。この彼の傑作とされる2著作には、『メタロギコン』(Metalogicon 論理学の擁護のために)と『ポリクラティクス』(Policraticus 政治家)という美しいギリシア語の標題がつけられています。第一の著作『メタロギコン』の中で――そこでは教養人の特徴である洗練された皮肉が多く述べられていますが――、ヨハネスは文化に関して否定的な見解をもつ人々の立場を退けます。この人々は文化を空しい雄弁、無益なことばと考えました。これに対してヨハネスは文化と真正な哲学を称賛します。真正な哲学は、明快な思考と、力強いことばによるコミュニケーションとの出会いだからです。ヨハネスは述べます。「理性により導かれない雄弁が粗野で盲目的であるように、表現力のない知恵は弱く、不完全である。ことばのない知恵は、たまには人を満足させるかもしれないが、それが人間社会の福利に貢献するのは稀である」(『メタロギコン』:Metalogicon 1, 1, PL 199, 327〔甚野尚志・中澤務・F・ペレス訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成8 シャルトル学派』平凡社、2002年、603-604頁。ただし文字遣いを一部改めた〕)。これはきわめて現代的な意味をもつ教えです。今日、ヨハネスが「雄弁」と述べているもの、すなわち、ますます高度化し拡大されたメディアを通じて情報を伝える力が桁外れに増大しています。しかし、「知恵」をもってメッセージを伝えることもますます必要とされています。つまり、真理といつくしみと美に促されてメッセージを伝えることが必要です。とくに文化、コミュニケーション、メディアのさまざまな複雑な領域で働く人々には、この大きな責任が求められます。そして、こうした領域の中でこそ、福音を力強い宣教をもって告げ知らせることができるのです。
  ヨハネスは『メタロギコン』の中で論理学の諸問題を考察します。論理学は当時大きな関心の対象となっていました。そこでヨハネスは根本的な問いかけを行います。人間理性は何を知ることができるのか。人間理性は、すべての人のうちにある望みである、真理の探求に対してどこまでこたえることができるのか。ソールズベリーのヨハネスは、アリストテレスとキケロ(Marcus Tullius Cicero 前106-43年)のいくつかの論考の教説に基づく、穏健な立場をとりました。ヨハネスによれば、人間理性は通常、必然的な認識ではなく、蓋然的かつ臆見的認識に到達できます。彼の結論はこうです。人間の認識は不完全です。なぜなら、それは有限性、すなわち人間の限界に服しているからです。しかし、人間の認識は増大し、完全なものとなります。それは、概念と実在の関係を堅固なものとする、経験と、正しく首尾一貫した推論のおかげです。また、議論と対論と幾世代を通じて豊かなものとなる知識とのおかげです。完全な知識は神のうちにのみあります。この完全な知識は、信仰によって受け入れられた啓示を通じて、少なくとも部分的に人間に伝えられます。信仰に基づく知識である神学は、この啓示を通じて理性の可能性を広げ、神の神秘を知ることに関する謙遜のうちに理性を前進させてくれます。
  信仰の宝を深く知ろうとする信者と神学者は、実践的な知にも心を開きます。この実践的な知は、日常の活動を道徳法と徳の実践へと導きます。ソールズベリーのヨハネスは述べます。「神は、その慈悲により、われわれに法を与え、何が有益かを明らかにし、またどの程度われわれが神について知りえ、神についての探究を進めることができるかを示した。・・・・この法はさらに神の意志を明らかにする。それによりすべての者が何をなすべきかについて確認する」(『メタロギコン』:Metalogicon 4, 41, PL 199, 944-945〔前掲邦訳、811頁〕)。ソールズベリーのヨハネスによれば、神を起源とし、人間理性が近づくことができ、しかも実践的・社会的行動とかかわる、客観的で不変の真理も存在します。これが自然法です。人間の法と政治的・宗教的権威はこの自然法に基づかなければなりません。それは共通善を推進することができるためです。この自然法はヨハネスが「衡平」と呼ぶ特質によって適切に特徴づけられます。すなわち、自然法は各人に各人の権利を与えるからです。万人に妥当し、だれも廃止することのできないおきては、この自然法に由来します。これが『ポリクラティクス』の中心的な主張です。この哲学と政治神学に関する論考の中で、ソールズベリーのヨハネスは統治者が正しく合法的に振舞うための条件を考察しました。
  『ポリクラティクス』で行われる他の議論は、この著作が書かれた歴史的状況と関連するものですが、衡平を媒介とした、自然法と実定法的秩序の関係というテーマは、現代においても高い重要性をもっています。実際、現代、とくに一部の国では、理性と自由の間に憂慮すべき分離が見られます。理性には、人間の人格の尊厳と結ばれた倫理的価値を見いだす務めがあります。自由には、こうした価値を受け入れ、推進する責務があります。ソールズベリーのヨハネスは現代のわたしたちに次のことを思い起こさせてくれるように思われます。人命の神聖性を守り、人工妊娠中絶、安楽死、無制限の遺伝子実験の合法化に反対する法、男性と女性の間で行われる結婚の尊厳を尊重する法のみが、公正といえるということです。こうした法は正しい政教分離に基づいており――この場合の政教分離は、常に信教の自由を守ります――、国内的次元でも国際的次元でも補完性と連帯を追求します。もしこうした法が認められなければ、ソールズベリーのヨハネスのいう「君主の専制」、あるいはわたしがいうところの「相対主義の独裁制」が始まることでしょう。この相対主義は、わたしが数年前に述べたとおり、「何ものも決定的だとは認めず、自己とその欲求のみを究極的基準とします」(ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿「ローマ教皇選出のためのミサ説教(2005年4月18日)」:L’Osservatore Romano, 19 aprile 2005)。
  最近の回勅『真理に根ざした愛』は、政治的・社会的行動が人間とその尊厳に関する客観的真理から切り離されることのないように努める、すべての善意の人にあてて書かれたものです。この回勅の中でわたしはこう述べました。「真理と、真理が明らかにする愛は、人が作り出すことのできるものではありません。人はそれをただ受け入れることしかできません。真理と愛の究極的な源泉は、人間ではありませんし、また人間ではありえません。真理と愛の究極的な源泉は、ご自身が真理そのものであり、愛そのものである、神以外にありえません。この原則は社会とその発展にとってきわめて重要です。なぜなら、社会も社会の発展も、単に人間が作り出すだけのものではありえないからです。個人と民族の発展への呼びかけそのものも、単なる人間の決定に基づくものではありません。それは、わたしたちに先立ち、わたしたち皆に、自由に受け入れるべき責務として定められた計画に書き記されたものなのです」(同52)。わたしたちは、このわたしたちに先立つ計画を、すなわち存在の真理を、探し、受け入れなければなりません。それは正義を生み出すためです。ところでわたしたちは、神の光によって心と意志と理性を清めていただくとき、初めてそれを見いだし、受け入れることができるのです。

略号
PL Patrologia Latina

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