教皇ベネディクト十六世の206回目の一般謁見演説 主の降誕の神秘

12月23日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の206回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、降誕祭を目前にして「主の降誕の神秘」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  この数日間わたしたちが行っている降誕前の九日間の祈りによって、教会は、間近に迫った救い主の誕生を熱心に深く準備するよう招きます。わたしたちは皆、心の中でこう望んでいます。これから訪れる降誕祭が、日々のあわただしい活動を行うわたしたちに、静かな深い喜びを与えてくれますように。それは、わたしたちの神のいつくしみに手で触れ、新たな勇気を呼び覚ましてもらうためです。
  主の降誕の意味をもっとよく理解できるように、この祭日の歴史的起源についてごく簡単にお話ししたいと思います。実際、教会の典礼暦年は、初めからキリストの誕生から出発したのではなく、キリストの復活への信仰から発展してきました。そのため、キリスト教のもっとも古い祭日は、降誕祭ではなく復活祭です。キリストの復活こそがキリスト教信仰の基盤であり、これが福音の告知の土台となって、教会を生み出しました。ですから、キリスト者であるとは、復活の姿に従って生き、新しいいのちにあずかることです。この新しいいのちは、洗礼から始まり、わたしたちが罪に死んで、神とともに生きることを可能にします(ローマ6・4参照)。
  イエスが12月25日に生まれたとはっきり述べた最初の人は、ローマのヒッポリュトス(Hippolytos 170以前-235年)です。ヒッポリュトスは204年頃著された『ダニエル書注解』(Commentarii in Danielem)の中でそう書いています。さらに、ある釈義学者は、この日にエルサレム神殿の奉献の祭日が行われたと記しています。この祭日はキリスト以前164年にユダ・マカバイによって制定されました。するとこの日付の一致は、次のことを意味しました。イエスが夜を照らす神の光として現れたことによって、神殿の奉献は真の意味で実現しました。地上に神が到来したからです。
  キリスト教の中で降誕祭が決定的な形をとったのは4世紀です。この頃、降誕祭はローマの「不滅の太陽(Sol invictus)」の祭に取って代わったからです。こうしてキリストの誕生は、悪と罪の闇に対するまことの光の勝利であることがはっきりと表されました。しかし、降誕祭を包む独特の深い霊的な雰囲気は、中世、アッシジのフランシスコ(Francesco; Franciscus Assisiensis 1181/1182-1226年)によって発展しました。フランシスコは、わたしたちとともにおられる神である、人間としてのイエスに深く心を引かれたからです。フランシスコの最初の伝記作者であるチェラーノのトマス(Thomas de Celano 1190頃-1260年頃)は『聖フランシスコ第二伝記』(Vita secunda sancti Francisci)でこう語ります。「フランシスコは幼きイエスのご誕生の祝日を、他のいかなる祝日にもまして、言い表しえぬほどの喜びをもって祝い、この日は、神がいと小さき幼子となられ、人間の乳房をお吸いになる日であって、『祝日中の祝日』と呼んでいたのである」(Fonti Francescane, n. 199, p. 492〔小平正寿、フランソア・ゲング訳、『アシジの聖フランシスコの第二伝記』あかし書房、1992年、238頁。ただし文字遣いを一部改めた〕)。有名なグレッチオの降誕祭の起源は、この受肉の神秘に対する特別な信心にあります。フランシスコにこのグレッチオの降誕祭の着想を与えたのは、おそらく聖地巡礼と、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の馬小屋です。アッシジの貧者を促したのは、幼子イエスの誕生という出来事のつつましい偉大さを、具体的で生き生きとした現実の形で体験し、すべての人にその喜びを伝えたいという望みでした。
  チェラーノのトマスは『聖フランシスコ第一伝記』(Vita prima sancti Francisci)で、グレッチオの馬小屋の夜について、生き生きとした感動的なしかたで述べます。グレッチオの馬小屋は、馬小屋というもっともすばらしい降誕祭の伝統の普及に決定的な形で寄与しました。実際、グレッチオの夜は、キリスト教に降誕祭の深みと美しさを取り戻させました。そして、降誕祭の本来のメッセージと特別な温かみを知り、キリストの人間性を愛し、礼拝できるように、神の民を教育しました。このように主の降誕に特別なしかたで近づくことによって、キリスト教信仰に新たな次元が与えられました。復活祭は神の力に注意を向けます。神は死に打ち勝ち、新しいいのちを開始し、わたしたちが来るべき世を希望するように教えます。聖フランシスコとその馬小屋は、神の無防備な愛と、へりくだりと、優しさに光を当てました。神の優しさはみことばの受肉によって人々に示されました。それは新たなしかたで生き、愛することを教えるためです。
  チェラーノのトマスは語ります。降誕祭の夜、フランシスコは不思議な幻を見る恵みを与えられました。彼は飼い葉桶の中で小さな幼子が静かに寝ているのを見ました。フランシスコが近づくと幼子は目を覚ましました。トマスは続けていいます。「この幻は現実と変わりありませんでした。幼子イエスは、実にご自分のしもべフランシスコを通して、イエスを忘れていた多くの人の心の中で再びよみがえられ、その人たちの記憶に生き生きとした印象を刻みこまれたのでした」(『聖フランシスコ第一伝記』:op. cit., n. 86, p. 307〔石井健吾訳、『聖フランシスコの第一伝記』あかし書房、1989年、143頁参照〕)。この場面は、キリストの人間性に対するフランシスコの深い信仰と愛が、キリスト教の降誕祭にどれほど伝わったかをよく示しています。人々は、幼子イエスの小さな手足のうちに神がご自分を現されたことを見いだしたのです。聖フランシスコのおかげでキリスト者の民は、神がご降誕のとき、本当に「インマヌエル」、すなわち、わたしたちとともにおられる神となられたことを認めることができるようになりました。いかなる壁や距離も、わたしたちをこのかたと隔てることはありません。この幼子のうちに、神はわたしたち一人ひとりにこれほどまでに近づいてくださいました。だからわたしたちは、みどりごに対してするように、このかたに親しく語りかけ、深い愛情をもって信頼し続けることができるのです。
  実際、この幼子のうちに、愛である神が現されました。神は武器も力ももたずに来られます。それは、神がいわば外から征服することを望まず、むしろ人間が自由にご自分を受け入れることを望まれるからです。神は無防備な幼子となられました。それは、人間の高慢、暴力、所有欲に打ち勝つためです。神はイエスのうちにこれほど貧しく無防備な姿をとられました。それは、愛によってわたしたちに打ち勝ち、わたしたちを真のあるべき姿へと導くためです。イエス・キリストのもっとも偉大な称号は、「子」、すなわち神の子であることを忘れてはなりません。神の尊厳はこの一語で示されます。このことばは、独自のしかたでイエスの神性、すなわち、「子」の神性を意味しながら、ベツレヘムの飼い葉桶のつつましい姿をも指しているのです。
  さらにイエスの幼子としての姿は、わたしたちがどのようにして神と出会い、神がともにいてくださることを味わえるかを示してくれます。主の降誕の光によって、わたしたちはイエスのことばを理解することができます。「心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイ18・3)。主の降誕の神秘を悟らない人は、キリスト教的生活の決定的な要素を悟ることができません。幼子の心でイエスを受け入れない人は、天の国に入ることができません。これこそが、フランシスコが、当時のキリスト者に、また現代に至るまでのすべての時代のキリスト者に思い起こさせようと望んだことです。御父に祈ろうではありませんか。フランシスコがグレッチオでしたのと同じように、幼子のうちに主を見いだせる単純さをわたしたちの心にお与えください。そうすれば、チェラーノのトマスが、聖なる夜に羊飼いが経験したことを思い起こしながら(ルカ2・20参照)、グレッチオの降誕祭の参加者について述べたことを、わたしたちも体験できるでしょう。「参列した人たちは、言い表しがたい喜びに満たされて家路につきました」(『聖フランシスコ第一伝記』:op. cit., n. 86, p. 479〔石井健吾訳、143頁参照〕)。
  この祈りを、皆様と皆様のご家族、そして愛するかたがたに心から申し上げます。皆様、どうかよい降誕祭を迎えられますように。 

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