教皇ベネディクト十六世の2010年1月31日の「お告げの祈り」のことば 愛の賛歌

教皇ベネディクト十六世は、年間第4主日の1月31日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第4主日の1月31日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「1月の最後の日曜日は『世界ハンセン病デー』です。わたしたちの思いは自然に、ハンセン病の兄弟姉妹に生涯をささげたダミアン・ド・ヴーステル神父(1840-1889年)に向かいます。わたしは昨年の10月、ダミアン神父を聖人と宣言しました。残念ながら現代においてもハンセン病にかかっている人と、世界にハンセン病がなくなるために献身する医療従事者とボランティアのかたがたを、ダミアン神父の天上からの保護にゆだねます。とくに『イタリア・ラウル・フォルロー友の会』の皆様にごあいさつ申し上げます。
  今日は『第2回世界聖地の平和のために祈る日』でもあります。エルサレムのラテン教会の総大司教とフランシスコ会聖地準管区と心を一つにしながら、わたしは霊的に世界中の多くのキリスト者とともに祈ります。今日、この行事のために来てくださったすべてのかたに心からごあいさつ申し上げます」。 


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日の主日の典礼では、新約聖書また聖書全体の中でもっとも美しい箇所の一つが読まれます。すなわち、使徒パウロのいわゆる「愛の賛歌」です(一コリント12・31~13・13)。コリントの信徒への手紙一は、からだのたとえを用いて、聖霊のさまざまなたまものが一つの教会の善のために競い合うことを説明します。その後で、パウロは完徳の「道」を示します。パウロはいいます。この道は特別な性質をもつことではありません。すなわち、それは新しいことばを語ることでも、あらゆる神秘を知っていることでも、驚くべき信仰をもっていることでも、英雄的な行いをすることでもありません。この道は愛(アガペー)のうちにあります。この愛は、真の意味での愛です。すなわち、神がイエス・キリストのうちにわたしたちに示された愛です。愛は「最大の」たまものです。愛はすべての人を大事にします。そして「自慢せず、高ぶりません」。むしろ、「真実を喜び」、他の人の善を喜びます。愛する人は「自分の利益を求めず」、「恨みを抱きません」。「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望みます」(一コリント13・4-7参照)。最終的に、わたしたちが顔と顔とを合わせて神を見るとき、他のすべてのたまものは消えてなくなります。永遠にとどまるのは愛だけです。なぜなら、神は愛だからです。そして、わたしたちは、神との完全な交わりのうちに、神と同じような者になるからです。
  わたしたちがこの世にいる今は、愛はキリスト信者の特徴です。キリスト信者の生涯全体は愛によって要約されます。キリスト信者は愛を信じ、愛を行います。そのため、わたしは教皇職の初めに、最初の回勅『神は愛』で、この愛というテーマを扱おうと望みました。覚えておられるとおり、この回勅は二つの部分から成り、それぞれが愛の二つの側面に対応しています。すなわち、愛の意味と、愛の実践です。愛は神ご自身の本質です。創造と歴史の意味です。すべての人の人生にいつくしみと美を与える光です。同時に愛は、いわば神と信じる人の「様式」です。愛は、神の愛にこたえて、自分の人生を神と隣人にささげる人の行動です。イエス・キリストのうちにこの二つの側面は完全に一致します。イエス・キリストは受肉した愛そのものです。この愛は、十字架につけられたキリストのうちに完全な形でわたしたちに示されます。このかたに目を注ぎながら、わたしたちは使徒ヨハネとともに告白することができます。「わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています」(一ヨハネ4・16、『神は愛』1参照)。
  親愛なる友人の皆様。聖人たちのことを考えると、彼らのうちにはさまざまな霊的たまものと、人間的性格が見いだされます。しかし、彼ら一人ひとりの生涯は、一つの愛の賛歌です。神の愛をたたえる生きた歌です。今日1月31日は、聖ヨハネ・ボスコ(1815-1888年)の記念日です。聖ヨハネ・ボスコはサレジオ家族の創立者であり、若者の守護聖人です。「司祭年」にあたり、この聖人の執り成しを祈り求めたいと思います。どうか司祭がいつも若者の教育者また父となることができますように。そして、この牧者の愛を経験した多くの若者が、自分の人生をキリストと福音にささげるようにという招きを受け入れることができますように。扶助者であり、愛の模範であるマリアの助けによって、わたしたちがこの恵みを得ることができますように。

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