教皇ベネディクト十六世の211回目の一般謁見演説 グスマンの聖ドミニクス

2月3日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の211回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2009年2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連 […]


2月3日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の211回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2009年2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第28回として、「グスマンの聖ドミニクス」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇はイタリア語で次のあいさつを行いました。
「終わりにわたしの思いは若者、病者、新郎新婦の皆様に向かいます。今日は聖ブラシオス(Blasios 4世紀初頭没)の記念日です。そしてわたしたちは数日後に他の殉教者たちを記念します。すなわち、聖アガタ(Agatha 250年頃)(2月6日)、聖パウロ三木(1563-1597年)と日本の同志殉教者です(2月5日)。親愛なる若者の皆様。これらの英雄的なキリストの証人たちの勇気の助けによって、皆様の心が勇気ある聖性へと開かれますように。親愛なる病者の皆様。この証人たちが、教会のために祈りと苦しみという貴いたまものをささげる皆様を支えてくれますように。そして親愛なる新郎新婦の皆様。この証人たちが、皆様に、自分の家庭にキリスト教的価値観を刻む力を与えてくれますように」。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  先週はアッシジのフランチェスコの輝かしい姿をご紹介しました。今日は、同時期、当時の教会の刷新に根本的な形で貢献したもう一人の聖人についてお話ししたいと思います。すなわち、「ドミニコ会」としても知られる「説教者兄弟会」の創立者の、聖ドミニクス(Dominicus 1170頃-1221年)です。
  ドミニクスの後継者としてドミニコ会を指導した、ザクセンの福者ヨルダヌス(Jordanus de Saxonia; Jordan von Sachsen 12世紀末-1237年)は、有名な祈りのテキストで聖ドミニクスの完璧な肖像を描いています。「神への熱意と超自然的な情熱で燃え上がったあなたは、その限りのない愛と力強く心に燃える炎のゆえに、終生の清貧の誓願をもって、自分のすべてを使徒的従順と福音の説教にささげました」。ここで強調される、ドミニクスのあかしの根本的な特徴はこれです。ドミニクスはいつも神「とともに」、神「について」語りました。聖人たちの生涯の中では、主への愛と隣人への愛、神の栄光の追求と、霊魂の救いの追求が、いつもともに歩みます。
  ドミニクスは1170年頃、スペインのカレルエガで生まれました。彼は旧カスティリャの貴族の家に属し、司祭の伯父の支えのもとに、パレンシアの有名な学校で教育を受けました。ドミニクスはすぐに聖書研究への関心と、貧しい人への愛で有名になりました。彼は当時きわめて高価な財産だった本を売り、その代金で飢饉の犠牲者を助けました。
  司祭に叙階されると、故郷のオスマ教区の司教座聖堂参事会の会員に選ばれました。この任命は彼に教会と社会におけるある種の名声をもたらすこともありえました。しかしドミニクスは、この任命を、個人的な名誉とも、教会における輝かしい経歴の始まりとも思わず、むしろ献身と謙遜をもってささげるべき奉仕と考えました。教会の指導や統治の役務を果たす人々さえも、経歴や権力への誘惑から免れないことがあるのではないでしょうか。わたしはこのことを数か月前、司教叙階式のときに思い起こしました。「わたしたちは自分のために権力や名誉や名声を求めるのではありません。責任を与えられた者が、共同体のためにではなく自分のために働くことによって、市民社会が害を受けることをわたしたちは知っています。これはしばしば教会においても見られます」(「サンピエトロ大聖堂における5名の新司教の叙階式ミサ説教(2009年9月12日)」)。
  オスマの司教ディエゴ(Diego d’Azevedo 1207年没)は、真に熱心な司牧者でしたが、間もなくドミニクスの霊的素質に気づき、その協力を得ることを望みました。二人はともに北ヨーロッパに赴き、カスティリャ王からゆだねられた外交任務を果たしました。旅の間、ドミニクスは、当時の教会が抱える二つの大きな問題に気づきました。一つは、ヨーロッパ大陸の北辺にまだ福音宣教の行われていない人々が存在したことです。もう一つは、南フランスでキリスト教生活の弱体化を招いている、宗教分裂です。南フランスでは一部の異端集団の活動が、混乱と、信仰の真理からの離反を引き起こしていました。こうして、福音の光を知らない人々のための宣教活動と、キリスト教共同体への再宣教が、ドミニクスが果たそうとする使徒的目標となりました。司教ディエゴとドミニクスは教皇のところに赴いて助言を求めました。教皇はドミニクスにアルビ派への説教に努めるよう命じました。アルビ派は、善なる者と悪しき者という二つの対等な力をもつ創造原理によって、現実を二元論的に理解した異端集団です。したがってこの集団は、悪の原理に由来するものとして物質を軽蔑し、結婚も拒絶し、キリストの受肉と秘跡(主は秘跡のうちに物質を通してわたしたちに「触れる」からです)とからだの復活を否定するに至りました。アルビ派は清貧で禁欲的な生活を尊び(その意味で彼らは模範的でもありました)、当時の聖職者の富を批判しました。ドミニクスはこの使命を感激をもって受け入れ、自らの清貧で禁欲的な生活の模範と、福音の説教と、公の討論をもってこの使命を果たしました。ドミニクスはこの福音の説教という使命に後半生をささげました。彼の弟子たちは聖ドミニクスが抱いたもう一つの夢も実現しました。すなわち、「諸国民への(ad gentes)」、つまりイエスをまだ知らない人への宣教と、都市、とくに大学都市の住民への宣教です。大学では新たな思潮が教養人の信仰に戦いを挑んでいたからです。
 偉大な聖人ドミニクスは、教会の中心でいつも宣教の炎が燃えていなければならないことを思い起こさせてくれます。宣教の炎は、福音の最初の告知を行い、必要であれば、新しい福音宣教を行うようにとたえず促します。実際、キリストは、すべての時代と場所の人が知り、愛する権利をもつ、もっとも貴い善です。喜ばしいことに、現代の教会においても、多くの人――司牧者と信徒、昔からある修道会と新しい運動団体の会員――が、喜びをもって、福音を告げ、あかしするという崇高な理想に自らの生涯をささげています。
  後に、同じ望みに引き寄せられた他の人々がグスマンのドミニクスに加わりました。こうして、トゥールーズにおける創立から、次第に「説教者兄弟会」が生まれました。実際ドミニクスは、当時の教皇インノケンティウス3世とホノリウス3世に完全に従って、古来の『聖アウグスティヌスの修道規則』(Regula sancti Augustini)を採用し、これを使徒的生活の必要に適用しました。使徒的生活の中で、ドミニクスとその仲間は説教のために方々を移動した後、自分たちの修道院に戻ります。修道院は勉学と祈りと共同生活の場所です。とくにドミニクスは福音宣教を成功させるために不可欠な意味をもつものとして、二つのことを重視しようと望みました。すなわち、清貧な共同生活と、勉学です。
  何よりもまずドミニクスと説教者の兄弟たちは、自らを托鉢者として示しました。つまり、彼らは管理すべき広大な土地を所有しませんでした。このことは、より自由に勉学と移動説教を行うことを可能にし、人々に対する具体的なあかしともなりました。ドミニコ会の修道院および管区の内部統治は参事会制度に基づいて構成されます。参事会は自分たちの長上を選出し、選出された長上は後に上級長上によって認証されます。それゆえ、組織は、共同体のすべての構成員による、兄弟愛に基づく生活と責任を刺激するとともに、個人の強い確信を要求しました。こうした制度を選択したのは、まさにドミニクスが、神の真理の説教者として、自分の告げることと一貫した生活を送らなければならなかったためです。兄弟愛のうちに真理を学び、分かち合うことは、もっとも深い喜びの基盤となります。ザクセンの福者ヨルダヌスは聖ドミニクスについてこう述べます。「彼は大きな愛の心をもってすべての人を受け入れた。そして、彼がすべての人を愛したので、すべての人が彼を愛した。彼は、喜ぶ人とともに喜び、悲しむ人とともに悲しむという、自分のための法を作っていた」(『ドミニクス小伝』:Libellus de principiis Ordinis Praedicatorum, autore Iordano de Saxonia, ed. H. C. Scheeben, Monumenta Historica Sancti Patris Nostri Dominici, Romae 1935)。
  第二に、ドミニクスは勇気ある行動をもって、自分の弟子が堅固な神学養成を受けることを望みました。そこで彼は、ためらうことなく当時の諸大学に弟子たちを派遣しました。しかし、多くの教会聖職者はこの大学という文化機関を別な目で見ていたのです。説教者兄弟会の会憲は、使徒職のための準備として勉学をきわめて重視します。ドミニクスは、会の修道士が、努力を惜しまず、勤勉かつ熱心に勉強することを望みました。この勉学は、あらゆる神的知識の中心、すなわち聖書を基盤とするとともに、理性が発する問いを尊重します。文化の発展は、さまざまなレベルでみことばへの奉仕を行う者に、十分な準備を行うことを求めます。それゆえわたしは、司牧者も信徒も含め、すべての人に勧めます。この信仰の「文化的次元」を深めてください。それは、キリスト教の真理のすばらしさをよりよく理解し、また、信仰を真の意味で深め、強め、さらには擁護することができるためです。「司祭年」にあたり、神学生と司祭の皆様にお願いします。勉学がもつ霊的価値を大事にしてください。司祭の奉仕職の質は、啓示された真理の勉学にどれほど惜しみない心で打ち込むかにもかかっています。
  ドミニクスは説教者と神学者から成る修道会を創立することを望みました。ですから彼は、神学が、霊魂と生活を豊かにするための、霊的・司牧的次元をもつことを思い起こさせてくれます。司祭と奉献生活者のみならず、すべての信者は、神から来る真理の美しさを観想することに、深い「内的な喜び」を見いだすことができます。神から来る真理は、つねに生き生きとした現代的意味をもっているからです。さらに、「観想したことを伝える(contemplata aliis tradere)」という、説教者兄弟会のモットーによって、わたしたちは、神から来る真理の観想的な勉学のうちに司牧的な望みを見いだすことができます。観想の実りは、他の人に伝えなければならないからです。
  ドミニクスが1221年にボローニャで亡くなったとき(ボローニャはドミニクスを守護聖人としました)、彼の活動はすでに大きな成功を収めていました。説教者兄弟会は、聖座の支援を受けて、ヨーロッパの多くの国に広まり、教会全体に善益をもたらしていました。ドミニクスは1234年に列聖されました。ドミニクスは、その聖性によって、使徒的活動が効果を上げるために不可欠な二つの手段を示します。何よりもまず、マリアへの信心です。ドミニクスは真心をこめてマリアへの信心を深めるとともに、それを自らの霊的弟子に貴い遺産として残しました。ドミニクスの霊的弟子は、教会史の中でロザリオの祈りを普及する上で大きな貢献を果たしました。キリスト者の民にこよなく愛されているロザリオは、豊かな福音的価値をもっています。ロザリオは信仰と敬虔のまことの学びやです。第二に、フランスとローマでいくつかの女子修道院を指導したドミニクスは、使徒職の成功のために執り成しの祈りが重要な意味をもつことを深く信じていました。わたしたちは楽園において初めて、隠世修道者の祈りがどれほど力強く使徒的活動を支えるかを悟ることでしょう。すべての隠世修道者の皆様にわたしは心から感謝の思いを表します。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。グスマンのドミニクスの生涯に促されて、わたしたちが皆、熱心に祈り、勇気をもって信仰を生き、イエス・キリストに深く心を捕らわれた者となることができますように。ドミニクスの執り成しを通じて神に願います。いつも教会に多くの真の福音の説教者をお与えください。

PAGE TOP