教皇ベネディクト十六世の212回目の一般謁見演説 パドヴァの聖アントニウス

2月10日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の212回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2009年2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第29回として、「パドヴァの聖アントニウス」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  二週間前、アッシジのフランチェスコをご紹介したのに続いて、今日は「小さき兄弟会」 の第一世代に属するもう一人の聖人である、パドヴァの聖アントニウス(Antonius Patavinus 1195-1231年)についてお話ししたいと思います。パドヴァの聖アントニウスは、生まれた町にちなんで、リスボンの聖アントニウスとも呼ばれます。聖アントニウスはカトリック教会全体の中でもっとも有名な聖人の一人です。彼はパドヴァだけでなく(パドヴァには聖人の遺骸を納めた壮大な聖堂が建てられました)、全世界で崇敬されています。彼は純潔の象徴である百合をもつ姿、あるいは、一部の文献資料が述べる不思議な顕現を思い起こさせる、幼子イエスを腕に抱えた姿の画像ないし彫像で信者に親しまれています。
  アントニウスは、知性、平衡感覚、使徒的情熱、そしてとくに神秘的な熱意という際立った天分によって、フランシスコ会の霊性の発展に顕著な形で寄与しました。
  アントニウスは1195年頃、リスボンの貴族の家庭に生まれ、洗礼を受けてフェルディナンド(Ferdinando)と名づけられました。彼は聖アウグスティヌスの修道規則に従う修道参事会に入りました。最初に入ったのはリスボンのサン・ヴィンセンテ修道院、次に入ったのはコインブラの聖十字架修道院でした。コインブラはポルトガルの有名な文化の中心でした。彼は興味と関心をもって聖書と教父の勉学に努め、神学を身に着けました。こうして彼は実り豊かな教育・説教活動を行うことができました。コインブラで彼の生涯を決定的に変えた事件が起こります。モロッコに行って殉教を遂げた最初の5人のフランシスコ会の宣教者の聖遺物が1220年にこの地で顕示されたのです。この宣教者たちの生き方は青年フェルディナンドのうちに、彼らに倣ってキリスト教的完徳の道を歩みたいという望みを生み出しました。こうして彼は、アウグスティヌス修道参事会を去り、小さき兄弟会の会員になることを願い出ました。願い出を許された彼は、アントニウスを名乗って、自分もモロッコに向けて出発しました。しかし、神の摂理は別のことを命じました。彼は病気にかかった後、イタリアに戻ることを余儀なくされました。そして1121年、有名なアッシジの「筵(むしろ)の総会」に参加しました。このとき彼は聖フランチェスコとも出会いました。その後彼はしばらくの間、北イタリアのフォルリ近郊の修道院でまったく隠れた形で過ごしました。ここで主は彼を別な使命へと招きました。まったく偶然に、司祭叙階式での説教を頼まれた彼は、豊かな学識と雄弁の才能があることを示しました。そこで長上たちは彼を説教者に任じました。こうして彼はイタリアとフランスで活発で効果的な使徒的活動を開始しました。それは、教会から離れた少なからぬ人々に自らの道に戻るよう説得するためでした。彼は小さき兄弟会の(最初のではないまでも)初期の神学教師の一人でもあります。アントニウスはフランチェスコの祝福を受けて、ボローニャで教え始めました。アントニウスの徳を認めたフランチェスコは、彼に短い手紙を送りました。手紙は次のことばで始まります。「あなたが兄弟たちに神学を教えるのは・・・・わたしにとって喜ばしいことです」(庄司篤訳、『アシジの聖フランシスコの小品集』聖母の騎士社、1988年、60頁。ただし表記を一部改めた)。アントニウスはフランシスコ会神学の基礎を築きました。この基礎が他の有名な思想家によって耕され、バニョレージョの聖ボナヴェントゥラや福者ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus 1265/1266-1308年)によって頂点に達したのです。
  アントニウスは、北イタリアの小さき兄弟会の管区長となっても、統治職を説教職に変えて、説教の奉仕職を続けました。管区長職を終えると、彼は別の機会に訪れたことのあるパドヴァ近郊に退きました。そのわずか1年後の1231年6月13日、彼はパドヴァの近くで亡くなりました。生前のアントニウスを愛情と尊敬をもって迎え入れたパドヴァは、彼にいつまでも敬意と信心を示しました。教皇グレゴリウス9世(Gregorius IX 在位1227-1241年)も、アントニウスの説教を聞いた後、彼を「契約の箱」と呼び、1232年に列聖しました。それはアントニウスの取り次ぎによって起こった奇跡の結果でもありました。
  アントニウスは最晩年に二種類の『説教集』を著しました。二つはそれぞれ『主日説教集』(Sermones dominicales)と『祝日説教集』(Sermones festivi)と名づけられます。これらは、フランシスコ会の説教者と、神学を研究する教師のために書かれたものです。この『説教集』の中でアントニウスは、典礼の中で朗読される聖書のテキストを注解します。その際彼は、教父と中世において行われた、4つの意味の解釈を用います。すなわち、字義的ないし歴史的意味、寓意的ないしキリスト的意味、比喩的ないし道徳的意味、そして永遠のいのちを目指す上昇的意味です。『説教集』は神学と説教の著作です。そこには、アントニウスがキリスト教的生活の真に固有な歩みを示すために行った生き生きとした説教がこだましています。『説教集』の中に含まれた豊かな霊的教えのゆえに、尊者教皇ピオ十二世(Pius XII 在位1939-1958年)は1946年にアントニウスを「教会博士」と宣言し、彼に「福音的博士」の称号を与えました。なぜなら、アントニウスの『説教集』からは福音の新鮮さと美しさが流れ出るからです。現代のわたしたちも、この著作を読んで霊的実りを得ることができます。
  『説教集』の中でアントニウスは、祈りは愛の関係だといいます。愛は人間に主との甘美な対話を行うよう促します。そして、言い表しがたい喜びを生み出します。この喜びが祈りの中で魂を優しく包みます。アントニウスはわたしたちに、祈りが沈黙の雰囲気を必要とすることを思い起こさせてくれます。沈黙は、外的喧騒からの離脱というよりは、むしろ内的な経験です。この内的な経験は、魂の不安が引き起こす散心から解放されることを目指します。この優れたフランシスコ会の教会博士の教えによれば、祈りは欠くことのできない4つの態度から成ります。この4つの態度はアントニウスの用いたラテン語でこう述べられます。すなわち、オブセクラティオ(obsecratio)、オラティオ(oratio)、ポストゥラティオ(postulatio)、グラティアルム・アクティオ(gratiarum actio)です。これを次のように訳すことができます。すなわち、信頼をもって心を神に開くこと、愛情をこめて神に語りかけること、自分の必要とすることを神に示すこと、神を賛美し、感謝することです。
  この祈りに関する聖アントニウスの教えのうちに、フランシスコ会神学の特徴を見いだすことができます(聖アントニウスはこのフランシスコ会神学の創始者でもあります)。すなわち、神の愛が果たす役割です。神の愛は、感情と意志と心の領域に入って来ます。神の愛はまた、あらゆる知識を超えた霊的知識がそこから生まれる源泉でもあります。
  アントニウスはまた、こう述べています。「愛は信仰の魂です。愛は信仰を生かします。愛がなければ信仰は死んでしまいます」(『主日説教集/祝日説教集』:Sermones Dominicales et Festivi II, Messaggero, Padova 1979, p. 37)。
  魂は祈ることによって初めて霊的生活を深めることができます。これが聖アントニウスの説教が特にいいたかったことです。アントニウスは、人間本性の欠点である、罪に陥る傾向を熟知していました。だからこそ彼は常にこう勧めたのです。欲望、高慢、不純への傾きと戦いなさい。むしろ、清貧、寛容、謙遜、従順、貞潔、純潔の徳を実践しなさい。13世紀初頭、都市が復興し、商業が盛んになった状況の中で、貧しい人々が必要とすることに無関心な人が増えていました。そのためアントニウスは何度も、信者が真の富、すなわち心の富について考えるよう招きました。心の富は信者をいつくしみとあわれみに満ちた者とし、天に宝を積ませます。アントニウスは勧告します。「ああ豊かな人々よ、・・・・貧しい人々の友となりなさい。彼らをあなたがたの家に迎え入れなさい。そうすれば、これらの貧しい人々はあなたがたを永遠の聖櫃に迎え入れてくれるでしょう。そこにあるのは、すばらしい平和と、信頼できる安らかさと、永遠に満ち足りる豊かな静けさです」(同:ibid., p. 29)。
  親愛なる友人の皆様。これは現代においても大切な教えではないでしょうか。金融危機と深刻な経済格差が多くの人々を貧しくし、悲惨な状況を生み出しているからです。回勅『真理に根ざした愛』の中で、わたしはこう述べました。「経済が正しく機能するには倫理が必要です。どんな倫理でもよいわけではありません。むしろ、人格を中心とする倫理が必要です」(同45)。
  フランチェスコに学んだアントニウスは、常にキリストを生活と思想、行動と説教の中心に置きました。キリストを中心とすること。これがフランシスコ会神学のもう一つの典型的な特徴です。フランシスコ会神学は、主の人性の神秘、とりわけ降誕の神秘を観想し、また、人々がこれを観想するよう招きました。降誕の神秘は、神のいつくしみに対する愛と感謝の心を生み出すからです。
  人類に対するキリストの愛の中心である降誕だけでなく、十字架につけられたキリストを仰ぎ見ることも、アントニウスのうちに神への感謝の思いと、人間の人格の尊厳への尊重の念を呼び起こしました。それは、信者も信者でない人も含めて、すべての人が、十字架につけられたキリストとその像のうちに、生活を豊かにする意味を見いだせるためです。聖アントニウスは述べます。「あなたのいのちであるキリストが、あなたの前で十字架につけられています。それは、あなたが自分を十字架のうちに鏡に映すように見ることができるためです。あなたはそこで、あなたの傷がどれほど致命的なものであるか知ることができるでしょう。神の子の血のほかには、どんな医者もこの傷をいやすことはできません。よく見るなら、あなたは、自分の人間としての尊厳と自分の価値がどれほど偉大であるかを悟るでしょう。・・・・十字架ほど、そこで人が自分の価値を悟れるところはありません。人は十字架という鏡のうちに自らを見いだすからです」(『主日説教集/祝日説教集』:Sermones Dominicales et Festivi III, pp. 213-214)。
 わたしたちは、このようなことばを黙想することにより、キリスト教信仰から生まれたわたしたちの文化と人間性にとって、十字架のキリスト像がもつ重要な意味をもっとよく理解できるようになります。聖アントニウスがいうとおり、わたしたちは、まさに十字架につけられたキリストを仰ぎ見ることによって、人間の尊厳と価値の偉大さを見いだすのです。十字架のキリストほどわたしたちに人間の価値を悟らせてくれるものはありません。なぜなら、神は、わたしたちを本当に大切なものとし、大事なものと考えます。だから神は、わたしたちのために苦しむのは当然だとお考えになったのです。それゆえ、人間の尊厳のすべては、十字架につけられたキリストという鏡のうちに現れます。そして、キリストを仰ぎ見ることは、人間の尊厳の認識を生み出す永遠の源泉なのです。
  親愛なる友人の皆様。信者から深く愛されたパドヴァのアントニウスが、全教会のために、特に説教に努める人々のために執り成してくださいますように。主に祈りたいと思います。わたしたちが聖アントニウスから説教のしかたを少しでも学べるよう助けてください。アントニウスの模範から霊感を受けた説教者は、堅固で健全な教えと、真実で熱心な愛と、深い交わりを一つに結びつけようと努めます。「司祭年」にあたり、祈りたいと思います。司祭と助祭が、特にミサの説教を通じて、神のことばを信者に告げ、実現するという務めを熱心に果たすことができますように。説教が、キリストの永遠の美しさを生き生きと示すことができますように。アントニウスが勧めたとおりです。「あなたがイエスを説教するなら、イエスは固い心をやわらげてくださいます。あなたがイエスを呼び求めるなら、あなたが欲望を愛する心は鎮まります。あなたがイエスを思うなら、あなたの心は照らされます。あなたがイエスについて語るなら、イエスはあなたの心を満たしてくださいます」(『主日説教集/祝日説教集』:Sermones Dominicales et Festivi III, p. 59)。

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