教皇ベネディクト十六世の215回目の一般謁見演説 バニョレージョの聖ボナヴェントゥラ(二)

3月10日(水)午前10時30分から、サンピエトロ大聖堂とパウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の215回目の一般謁見が行われました。教皇はまずサンピエトロ大聖堂で、ドン・カルロ・グノッチ基金の巡礼者のグループとの謁 […]


3月10日(水)午前10時30分から、サンピエトロ大聖堂とパウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の215回目の一般謁見が行われました。教皇はまずサンピエトロ大聖堂で、ドン・カルロ・グノッチ基金の巡礼者のグループとの謁見を行いました。その後、パウロ六世ホールに移動し、そこで、2009年2月11日から開始した「中世の東方・西方教会の偉大な著作家」に関する連続講話の第31回として、前週に続いて「バニョレージョの聖ボナヴェントゥラ」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「わたしは最近トルコで起きた地震の被害に遭われたかたがたとそのご家族に深く寄り添います。わたしは皆様一人ひとりのために祈ることを約束するとともに、国際社会にお願いします。迅速に、かつ寛大な心をもって支援の手を差し伸べてください。
 ナイジェリアを血で染め、無防備な幼児までも容赦しなかった、恐ろしい暴力の犠牲者を心から悼みます。わたしはあらためて心からの悲嘆をこめて申し上げます。暴力は紛争を解決せず、むしろより多くの悲劇をもたらすだけです。ナイジェリアの国家・宗教の責任者のかたがたに呼びかけます。全国民の安全と平和共存のために努めてください。最後にわたしはナイジェリアの司牧者と信者の皆様との連帯を表明しつつ、皆様が堅固で力強い希望のうちに真の和解をあかししてくださることを願います」。
トルコ東部では現地時間3月8日(月)午前4時32分(日本時間同日午前11時32分)にマグニチュード6.0の地震が発生し、当局者によると少なくとも51人が死亡しています。
アフリカのナイジェリア中部プラトー州の州都ジョスでは3月7日(日)未明にイスラーム教徒とキリスト教徒の衝突が発生し、同州関係者は8日、死者が少なくとも500人に達したことを明らかにしました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 先週わたしはバニョレージョの聖ボナヴェントゥラの生涯と人となりについてお話しました。今日はその続きとして、ボナヴェントゥラの著作と教えについて考察したいと思います。
 すでに申し上げたとおり、聖ボナヴェントゥラのさまざまな功績の一つは、アッシジの聖フランチェスコの人物像を真正かつ忠実に解釈したことです。ボナヴェントゥラは深い愛情をもってフランチェスコを敬い、研究したからです。とくに聖ボナヴェントゥラの時代に、「聖霊派」と呼ばれる「小さき兄弟会」の一派がこう主張していました。聖フランチェスコをもって歴史のまったく新しい段階が始まり、「永遠の福音」が現れた。黙示録に語られるこの「永遠の福音」が新約に取って代わるのだと。このグループはいいました。教会はその歴史的役割をもはや終えた。この教会に代わるのが、聖霊によって内的に導かれた自由な人間のカリスマ的な共同体、すなわち「フランシスコ会聖霊派」である。このグループの思想の基盤となったのは、1202年に没したシトー会の修道院長フィオーレのヨアキム(Joachim da Fiore 1135頃-1202年)の著作でした。フィオーレのヨアキムはその著作の中で、歴史には三位一体的な段階があると主張しました。彼は旧約を父の時代と考えました。これに子の時代、すなわち教会の時代が続きます。さらに、第三の時代である聖霊の時代を待望しなければなりません。こうして歴史全体は進歩の歴史として解釈されました。それは、厳格な旧約から、比較的自由な、教会における子の時代に向かい、ついに聖霊の時代における神の子の完全な自由へと至る進歩です。聖霊の時代は、最終的に、諸国民の平和と、諸民族・諸宗教の和解の時代でもあります。フィオーレのヨアキムは、新しい時代の始まりは新しい修道制によって到来するという希望をかき立てました。ここから、フランシスコ会の一グループが、アッシジの聖フランチェスコを新たな時代の創始者とみなし、フランシスコ会を新しい時代の共同体と考えたわけを理解できます。この聖霊の時代の共同体は、位階的教会を後にして、もはや古い組織に縛られない、新しい聖霊の教会を開始するのです。
 それゆえ、そこには、へりくだりのうちに福音と教会に従った聖フランチェスコのメッセージを深刻な形で誤解する危険がありました。そして、この誤解はキリスト教全体に関する誤った考え方を含んでいました。
 1257年にフランシスコ会総長となった聖ボナヴェントゥラは、会内部の深刻な対立に直面しました。この対立の原因となったのは、フィオーレのヨアキムに倣う、上述の「フランシスコ会聖霊派」を支持する人々です。聖ボナヴェントゥラは、まさしくこのグループにこたえ、会の一致を回復するために、フィオーレのヨアキムの真正な著作とヨアキムが書いたとされる著作を入念に研究しました。そして、敬愛する聖フランチェスコの人物とメッセージを正しく提示しなければならないことを考慮しつつ、歴史に関する正しい神学思想を示そうと望みました。聖ボナヴェントゥラは最後の著作の中でこの問題に取り組みました。この著作はパリで学ぶ修道士への講話をまとめたものです。講話は未完のまま残され、講話を聞いた写字生によって編集されて、『ヘクサエメロン講解』(Collationes in Hexaëmeron)という標題がつけられました。「ヘクサエメロン」とは創造の六日間についての寓意的解釈のことです。教父たちは、創造物語の六日間ないし七日間を、世界の歴史、すなわち人類の歴史の預言と考えました。教父の考えでは、七日間は歴史の七つの時代を表します。後に七日間は七千年とも解釈されました。わたしたちはキリストとともに歴史の最後の時代、すなわち第六の時代に入りました。この時代の後には、神の大いなる安息が続きます。聖ボナヴェントゥラは創造の六日間に関する記述についてのこうした歴史的解釈を前提とはしますが、しかしそれをきわめて自由かつ革新的な形で用います。聖ボナヴェントゥラの考えでは、当時の二つの現象は、歴史の進行についての新たな解釈を必要とします。
 第一の現象は、聖フランチェスコです。聖フランチェスコは、聖痕を共有するまでに完全にキリストと一致した、いわば「もう一人のキリスト(alter Christus)」です。そして、この聖フランチェスコと並んで、彼が造り出した新しい共同体です。この共同体はそれまで知られていた修道制とは異なるものでした。この現象は新しい解釈を必要とします。すなわち、それはこの時代に現れた、神からの新しい要素と解釈されます。
 第二の現象はこれです。フィオーレのヨアキムは、新約の啓示を超えた、新しい修道制と、歴史のまったく新しい時代を告げました。この立場に応答しなければなりません。
 聖ボナヴェントゥラはフランシスコ会総長としてただちに気づきました。すなわち、フィオーレのヨアキムから霊感を受けた聖霊派の思想によって会を統治することは不可能であり、むしろそれによって会はかならずや無政府状態に陥ります。そこから彼は二つの結論を導き出します。
 第一はこれです。現実の教会である位階的教会の組織と、この位階的教会との結合が実践的な意味で必要です。この必要性は、神学的な基盤を必要とします。それは、対する聖霊派の信奉者たちが、見かけの上で神学的な基盤を示しているためでもあります。
 第二はこれです。すなわち、現実的な態度が必要なことを考慮に入れながらも、聖フランチェスコの新しさを見失うべきではないということです。
 聖ボナヴェントゥラはこの実践的かつ理論的な必要性にどのようにこたえたのでしょうか。彼の応答に関して、ここではきわめて図式的かつ不完全な要約の形でいくつかの点を示すことしかできません。
 (一)聖ボナヴェントゥラは歴史の三位一体的な段階という思想を否定します。神は歴史全体を通じて唯一であって、三つの神に分けられません。したがって、歴史も唯一です。たとえ歴史は歩みであり、それも、聖ボナヴェントゥラの考えでは進歩の歩みであるとしてもです。
 (二)イエス・キリストは神が語られた最後のことばです。神はイエス・キリストのうちにすべてを語られました。すなわち、ご自身を与え、語られました。神はご自身以上のことを語ることも与えることもできません。聖霊は父と子の霊です。キリストも聖霊についてこういわれます。聖霊は「あなたがたに・・・・わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネ14・26)。「わたしのものを受けて、あなたがたに告げる」(ヨハネ16・15)。それゆえ、期待すべき別のより崇高な福音とか、別の教会は存在しません。だから聖フランチェスコの修道会も、現実の教会とその信仰と位階的秩序と結合しなければならないのです。
 (三)このことは、教会が不動で、過去に固定され、その中で新しいことは実践できないことを意味しません。「キリストの働きは衰える(後退する)のではなくて、前進する(Opera Christi non deficiunt, sed proficiunt)」。聖ボナヴェントゥラはこのように『無名の教師に宛てた三つの問題についての書簡』(Epistola de tribus quaestionibus ad magistrum innominatum〔三上茂訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成12 フランシスコ会学派』平凡社、2001年、446頁〕)で述べています。こうして聖ボナヴェントゥラは進歩の観念をはっきりと定式化します。そしてこれは教父や彼と同時代の大部分の人々と比べて新しいことでした。聖ボナヴェントゥラにとって、キリストはもはや、教父たちにとってそうであったのと同じようなしかたで終わりなのではなく、むしろ歴史の中心です。キリストをもって歴史が終わるのではなく、むしろ新たな時代が始まるのです。ここから生じるもう一つの帰結はこれです。当時までは、教父は神学の絶対的な頂点であり、後に続くすべての世代の人は教父の弟子となりうるにすぎないとする考えが支配的でした。聖ボナヴェントゥラも教父を永遠の教師として認めます。しかし、聖フランチェスコという現象は彼に次の確信を与えました。すなわち、キリストのことばの豊かさはくみ尽くすことのできないものです。だから、新たな世代においても新しい光が現れることが可能です。キリストの唯一性は、歴史のあらゆる時代における新しさと刷新をも保証するのです。
 聖ボナヴェントゥラはいいます。たしかにフランシスコ会はイエス・キリストの教会に、すなわち使徒継承の教会に属するのであって、自らをある種のユートピア的聖霊主義に基づいて築き上げることはできません。しかし、同時に、古典的な修道制に対するこの会の新しさは正当なものです。そして、先の講話で申し上げたとおり、聖ボナヴェントゥラはパリの在俗司祭の攻撃に対してこの新しさを擁護しました。フランシスコ会士は定住的な修道院をもちません。福音をのべ伝えるためにどんなところにも行くことができるためです。新たな機動性のために、修道制の特徴である定住性を捨てたことこそが、教会に宣教的な活力を回復させたのです。
 おそらくここで次のことを述べることは有益かもしれません。現代においても、第二千年期における教会史全体は変わることなく衰退だったという見方が存在します。一部の人はすでに新約の直後から衰退を見いだします。実際には、「キリストの働きは後退するのではなくて、前進する(Opera Christi non deficiunt, sed proficiunt)」のです。シトー会、フランシスコ会、ドミニコ会の新しい霊性がなかったなら、アビラの聖テレサ(Teresa de Ávila 1515-1582年)、十字架の聖ヨハネ(Juan de la Cruz 1542-1591年)などの霊性がなかったなら、教会はどうなっていたでしょうか。「キリストの働きは後退するのではなくて、前進する(Opera Christi non deficiunt, sed proficiunt)」すなわち進歩するということばは現代にも当てはまります。聖ボナヴェントゥラは、識別の必要性をあますところなく教えてくれます。識別は場合によって厳しいものでもあります。そして、冷静な現実的態度と、聖霊のうちにキリストによって教会に与えられる新しいカリスマに開かれた態度を教えてくれます。先に述べた衰退の思想が繰り返し現れる一方で、もう一つの思想も存在します。すなわち、繰り返し現れる「聖霊主義的ユートピア思想」です。実際、ご承知のように、第二バチカン公会議後、一部の人々はこう確信しました。すべてのことが新しくなった。別な教会が存在するようになった。公会議前の教会は終わり、われわれは別の、完全に「違う」教会をもつことになった。それは一種の無政府主義的ユートピア思想です。神の助けにより、ペトロの舟の賢明な舵取りである教皇パウロ六世とヨハネ・パウロ二世は、公会議の新しさを擁護すると同時に、教会の唯一性と連続性をも擁護しました。教会はつねに罪人の教会であり、またつねに恵みの場なのです。
 (四)このことと関連して、フランシスコ会総長としての聖ボナヴェントゥラは次の統治方針を採用しました。この統治方針において、明らかなことはこれです。新しい会が、共同体として、聖フランチェスコと同じ「終末論的な崇高さ」を生きることはできません。聖ボナヴェントゥラはこの「終末論的な崇高さ」のうちに来るべき世の先取りを見いだします。しかし新しい会は、同時に健全な現実的態度と霊的勇気に導かれながら、「山上の説教」の最大限の実現へと可能なかぎり近づいていかなければなりません。「山上の説教」は聖フランチェスコにとって戒律そのものだったからです。ただし、その際、原罪によって記された人間の限界をも考慮しなければなりません。
 そこからわたしたちは、聖ボナヴェントゥラにとって、統治することは、単なる行動ではなく、何よりも思考と祈りだったことに気づきます。彼の統治の基盤にはつねに祈りと思考が見いだされます。彼の行ったあらゆる決断は、深い考察、すなわち祈りに照らされた思考から出てきたものです。彼の総長としての仕事にはつねにキリストとの深いかかわりが伴いました。だからこそ彼は多数の神学的・神秘的著作を著したのです。これらの著作は彼の統治の精神を表します。すなわち、フランシスコ会を内的に導こうとする意図を示します。つまり彼は、命令や組織を通じてだけでなく、魂を導き、照らし、キリストへと方向づけることを通して統治しようとしたのです。
 聖ボナヴェントゥラの著作は彼の統治の精神であり、個人として、また共同体として進むべき道を示します。これらの著作の中で、わたしは一つのものだけに触れたいと思います。すなわち彼の傑作である『魂の神への道程』(Itinerarium mentis in Deum)です。これは神秘的観想の「手引き書」です。この書物の構想は深い霊性の場所で生まれました。すなわち、聖フランチェスコが聖痕を受けたラ・ヴェルナ山です。著者は序文の中でこの著作が生み出された状況を明らかにしています。「心のうちで神へのある精神的上昇について思いを凝らしておりますと、他のこともさりながら、とくにかの奇蹟のことが思い浮かびました。かの奇蹟というのは今しがたいった場所で幸いなるフランチェスコその人自身に起こった、十字架にかけられたおかたの形をした翼をもつ熾天使(セラフィム)の幻視のことであります。この奇蹟について深く考えてみますと、ただちに次のことがわたしに分かりました。すなわち、かの幻視は、師父自身が観想中に宙に浮いて脱我の状態にあったことと、そこに至る道とを示唆しているということです」(『魂の神への道程』:Itinerarium mentis in Deum, prologus, 2, in Opere di San Bonaventura. Opuscoli Teologici/1, Roma 1993, p. 499〔長倉久子訳、『魂の神への道程 註解』創文社、1993年、6頁。ただし文字遣いを一部改めた〕)。
 こうして熾天使(セラフィム)の六つの翼は、人間を神の認識へと次第に導く六つの段階の象徴となります。この段階は、世と被造物の観察、魂自身の能力の探究を経て、アッシジの聖フランチェスコに倣う、キリストを通じての三位一体の神との満ち足りた一致に至ります。聖ボナヴェントゥラの『魂の神への道程』の最後のことばは、どうしたらこのような神との神秘的一致に達することができるのだろうという問いに答えます。このことばは、人を心の深みにまで下らせます。「どうしてこれらのこと(すなわち神との神秘的一致)が起こるのだろうと尋ねるのなら、知識ではなく恩寵を求めなさい。理解ではなく願望を、読書に励むことではなく祈り嘆くことを、師ではなく花婿を求めなさい。人間ではなく神を、明るさではなく暗さを、光ではなくむしろ火を、・・・・塗油と燃え立つ情動によって神のうちへと運び行く火を求めなさい。・・・・そして闇の中に入ろうではありませんか。もろもろの気遣いと欲望と感覚的表象とを鎮めましょう。十字架にかけられたキリストとともに、『この世を去って御父のもとへ』行こうではありませんか。そうしてこそ、御父がわたしたちに示されたとき、フィリポとともに『それでわたしたちに十分です』ということができるでしょう」(同:ibid. VII, 6〔前掲長倉久子訳、84-85頁。ただし文字遣いを一部改めた〕)。
 親愛なる友人の皆様。熾天使的博士、聖ボナヴェントゥラがわたしたちに示す招きを受け入れようではありませんか。神である師の学びやに入ろうではありませんか。わたしたちの心の奥深くに鳴り響く、いのちと真理のみことばに耳を傾けようではありませんか。わたしたちの思いと行動を清めようではありませんか。それは、神がわたしたちのうちに住まわれ、わたしたちが神の声を聞けるようになるためです。神の声こそが、わたしたちを真の幸福へと引き寄せてくださるからです。

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