教皇ベネディクト十六世、復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)(2010.4.4)

4月4日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は、復活祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ(ウルビ・エト・オルビ)」と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されています。以下はその全訳です(原文イタリア語)。
この日、教皇は、午前10時15分からサンピエトロ広場で復活の主日のミサをささげました。


 親愛なるローマと全世界の兄弟姉妹の皆様。

 「主をほめ歌おう。主はまことに栄光に満ちておられるかた(Cantemus Domino: gloriose enim magnificatus est)」(教会の祈り、復活祭の読書の答唱)。

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 この典礼のことばをもって、わたしは皆様に主の復活を告げます。このことばは、イスラエルの人々が紅海を渡った後に歌った古(いにしえ)の賛歌をこだましています。出エジプト記(出エジプト15・19-21参照)はこう語ります。イスラエルの人々が海の中の乾いたところを進み、エジプト人たちが水に沈んだのを見たとき、モーセとアロンの姉のミリアムと、他の女たちが、踊りながら次の喜びの歌を歌いました。
 「主に向かって歌え。
 主は大いなる威光を現し
 馬と乗り手を海に投げ込まれた」。 
世界中のキリスト信者が、復活徹夜祭にこの歌を繰り返して歌います。そして特別な祈りがその意味を解き明かします。わたしたちは今や復活の完全な光の中で、この祈りを喜びをもって自分のものとします。「救いのわざを、今もわたしたちの間に続けてくださる全能の神よ、選ばれた民をファラオの迫害から解放されたように、あなたは今、洗礼の水によって人々を救いに導いてくださいます。アブラハムの子孫に約束された栄光に、全世界の人々があずかることができますように」。
 福音はわたしたちに旧約の予型が実現したことを示してくれます。イエス・キリストはその死と復活によって、深い罪による奴隷状態から人間を解放し、まことの約束の地に至る道を開いてくださいました。まことの約束の地とは、神の国です。正義と愛と平和が世界を支配する国です。この「出エジプト」はまず人間自身の中で行われます。それは聖霊のうちに新たに生まれることです。それは、キリストが過越の神秘によってわたしたちに与えてくださった洗礼がもたらす恵みです。古い人は新しい人にとって代わられます。以前のいのちは過ぎ去り、新しいいのちが始まることが可能になります(ローマ6・4参照)。しかし、「出エジプト」は完全な解放の始まりにすぎません。それは人間、人格、社会のあらゆる次元を刷新することができるからです。
 兄弟の皆様。そうです。過越は人類のまことの救いです。もし神の小羊であるキリストがわたしたちのためにご自身の血を流されなかったなら、わたしたちは希望をもつことができませんでした。わたしたちと世界の向かうところは死のほかにありませんでした。しかし、過越は流れを逆に変えました。キリストの復活は新しい創造です。それは樹木全体を生き返らせることのできる接ぎ木に似ています。復活という出来事は歴史の向かう方向を根底から変えました。歴史の向かう方向を完全に善といのちとゆるしによって転換させたのです。わたしたちは自由です。わたしたちは救われたのです。だからわたしたちは、心の底から叫びます。「主をほめ歌おう。主はまことに栄光に満ちておられるかた」。
 キリスト信者の民は、洗礼の水から出て、全世界へと派遣されます。それは、この救いをあかしし、過越の実りをすべての人にもたらすためです。過越の実りとは、新しいいのちです。罪から解放され、いのち本来の善、すなわちいつくしみと真理を回復したいのちです。キリスト信者、特に聖人たちは、二千年の間、過越の生き生きとした経験をもって歴史に実りをもたらし続けてきました。教会は出エジプトの民です。なぜなら、教会はたえず過越の神秘を生きながら、あらゆる時代と場所において、すべてのものを新たにする過越の力を広めるからです。現代の人類も「出エジプト」を必要としています。それも、表面的な調整ではなく、霊的、道徳的な回心を必要としています。人類は福音による救いを必要としています。それは深刻な危機から脱出するためです。そのためには、良心から出発した、深い心の変化が求められます。
 わたしは主イエスに祈ります。中東、特に主の死と復活によって聖なるものとされた地に住む人々が、戦争と暴力から平和と和解への、真に決定的な「出エジプト」を実現することができますように。特にイラクで試練と苦しみを味わっているキリスト教共同体の皆様に向けて、復活した主は慰めと励ましに満ちたことばを繰り返していわれます。それは二階の広間で使徒たちにいわれたことばです。「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・21)。
 ラテンアメリカとカリブ海諸国は、麻薬売買に関連する犯罪が再燃する危機に見舞われています。これらの国々にとって、キリストの過越が、平和的共存と共通善の尊重が勝利することのしるしとなりますように。地震の大きな被害を受けたハイチの愛する人々が、国際社会の連帯に支えられながら、悲しみと絶望から新たな希望への「出エジプト」を行うことができますように。もう一つの深刻な災害に遭った、愛するチリの国民の皆様が、信仰に支えられて、ねばり強く復興作業に取り組むことができますように。
 復活したイエスの力のうちに、アフリカにおける紛争が終わりますように。これらの紛争は破壊と苦しみをもたらし続けているからです。そして、平和と和解が実現しますように。平和と和解は発展の保証だからです。わたしは特にコンゴ民主共和国、ギニア、ナイジェリアの未来を主にゆだねます。
 復活した主が、信仰のために迫害され、場合によって殺害されるキリスト信者を支えてくださいますように。たとえばパキスタンのキリスト信者です。テロと社会的・宗教的差別に苦しむ国々に、復活した主が対話と平和的共存の道を歩み始める力を与えてくださいますように。すべての国家指導者に、キリストの過越が光と力を与えてくださいますように。それは、経済・金融活動が最終的に真理と正義と友愛による助け合いという基準に従って行われるためです。キリストの復活の救いをもたらす力が人類全体を満たしてくださいますように。それは、人類が、ますます広がりつつある「死の文化」のさまざまな悲惨な形を乗り越え、愛と真理に基づく未来を築くためです。そこではすべての人間のいのちを尊重し、迎え入れなければなりません。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。過越は魔法のように行われるのではありません。イスラエルの人々が紅海の先に砂漠を見いだしたように、教会は常に、主の復活の後も、歴史が喜びと希望だけでなく、悲しみと不安のうちにあるのを見いだします。にもかかわらず、この歴史は変わりました。歴史は新しい永遠の契約のしるしを帯びています。歴史は本当に未来に開かれています。だから、希望によって救われたわたしたちは、旅路を歩み続けようではありませんか。古く、かつ常に新しい歌を心に携えて。「主をほめ歌おう。主はまことに栄光に満ちておられるかた」。

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