教皇ベネディクト十六世の2010年4月11日の「アレルヤの祈り」のことば 神のいつくしみ

教皇ベネディクト十六世は、復活節第2主日(神のいつくしみの主日)の4月11日(日)正午に、復活祭後滞在しているカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日 […]


教皇ベネディクト十六世は、復活節第2主日(神のいつくしみの主日)の4月11日(日)正午に、復活祭後滞在しているカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「アレルヤの祈り」(復活祭から聖霊降臨の主日まで「お告げの祈り」の代わりに唱えられる祈り)を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「アレルヤの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「ご存じのように、昨日スモレンスクで悲惨な航空機事故が起こり、この事故でレフ・カチンスキ・ポーランド大統領とその夫人、多くのポーランド政府高官と、その随行員全員が亡くなりました。その中には(タデウス・プロスキ)軍事大司教区司教も含まれます。深い哀悼の意を表するとともに、犠牲者の霊魂の安息と、愛するポーランド国民に支えが与えられることを心から祈ることを約束します。
 昨日から、トリノで聖骸布の公開が始まりました。神が望まれるなら、わたしも来る5月2日にトリノにまいるつもりです。今回の公開が行われたことをうれしく思います。この公開は、多数の巡礼者を招くとともに、キリストの苦しみの神秘に関する研究と考察、何よりも特別な関心をあらためて呼び起こすからです。この崇敬がすべての人にとって神のみ顔を尋ねるための助けとなることを望みます。使徒とわたしたちはこの神のみ顔を心から渇望してきたからです」。
4月10日(土)午前11時(日本時間同日午後4時)頃、ロシア西部スモレンスクでポーランドのレフ・カチンスキ大統領(60歳)ら96人を乗せた政府専用機が着陸直前に墜落し、大統領を含む乗客乗員全員が死亡しました。乗客の中にはタデウス・プロスキ・ポーランド軍事大司教区司教(54歳)も含まれていました。
トリノで4月10日から始まった聖骸布の公開は5月23日(日)まで行われる予定です。聖骸布の公開が行われるのは2000年以来10年ぶりです。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の主日で復活の八日間が終わります。復活祭は「主が造られた」特別な日です。復活祭は、復活と、イエスと出会った弟子たちの喜びのしるしで特徴づけられます。古代から今日の主日は「白衣の(in albis)」主日と呼ばれてきました。「白衣の(in albis)」はラテン語の「白衣(alba)」に由来します。新受洗者は復活祭の夜の洗礼式でこの白衣を着、八日後にこれを脱いだからです。2000年4月30日、尊者ヨハネ・パウロ二世は、マリア・ファウスティナ・コヴァルスカ修道女(1905-1938年)の列聖にあたって、この主日を「神のいつくしみ(Divina Misericordia)の」主日と名づけました。
 今日の主日に読まれるヨハネによる福音書の個所(ヨハネ20・19-31)は神のあわれみといつくしみに満ちています。そこではこう語られます。イエスは復活の後、二階の広間の閉じられた戸を通り抜けて、弟子たちを訪れました。聖アウグスティヌス(354-430年)は注解していいます。「神性を宿すからだにとって、閉じられた戸は何の妨げにもならなかった。実際、母の処女性を損なわないまま生まれたかたは、戸を開けることなく入ることができたのである」(『ヨハネ福音書講解』:In Johannis Evangelium tractatus 121, 4, CCL 36/7, 667〔岡野昌雄訳、『アウグスティヌス著作集25 ヨハネによる福音書講解説教(3)』教文館、1993年、407頁〕)。また、大聖グレゴリウス(540頃-604年、教皇在位590-没年)は付け加えていいます。わたしたちのあがない主は、復活の後、朽ちることがないにもかかわらず触れることのできる本性をもつからだで、しかも栄光の状態のうちに現れました(『福音書講話』:Homiliae XL in Evangelia 21, 1, CCL 141, 219参照)。イエスは受難のしるしをお示しになり、不信仰のトマスにご自身に触れることを許されました。しかし、弟子たちはどうして疑うことができるのでしょうか。まことに神の計らいは、わたしたちが、信じた弟子たちからだけでなく、トマスの不信仰からさえも利益を引き出すことを可能にしてくださいます。実際、主の傷に触れることにより、信じることのできなかった弟子は、自分の疑惑だけでなく、わたしたちの疑惑をもいやしてくれるのです。
 復活した主の訪れる場所は、二階の広間に限られません。むしろそれは二階の広間を超えていきます。それは、すべての人が、「造り主の息」とともに、平和といのちのたまものを受けることができるためです。実際、イエスは弟子たちに2回、こういわれます。「あなたがたに平和があるように」。イエスは付け加えてこういわれます。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。こういわれてから、イエスは彼らに息を吹きかけていわれました。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたがゆるせば、その罪はゆるされる。だれの罪でも、あなたがたがゆるさなければ、ゆるされないまま残る」。喜びの知らせを、すなわち、神のあわれみ深い愛という喜ばしい現実を、すべての人にもたらすこと。弁護者(パラクレートス)である聖霊に支えられながら、教会が永遠に行う使命はこれです。それは、聖ヨハネがいうとおり、「あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名によりいのちを受けるため」(ヨハネ20・31)です。
 このことばの光に照らされながら、わたしは特にすべての司牧者を励まします。アルスの聖なる主任司祭の模範に従ってください。「アルスの主任司祭は、当時の時代にあって、多くの人の心と生活を造り変えることができました。それは、彼が人々に主のあわれみ深い愛を味わわせることができたからです。現代のわたしたちも、同じように愛の真理を告げ知らせ、あかしすることを必要としています」(『「司祭年」開催を告示する手紙』)。こうしてわたしたちは主をいっそう身近な、近くにいるかたにすることができます。わたしたちの目はこのかたをまだ見たことがありませんが、わたしたちがこのかたの限りないあわれみを必要としているのは疑いの余地のないことだからです。教会の使命を支えてくださるよう、使徒の元后であるおとめマリアに願い求めようではありませんか。そして、喜びの叫びをもってマリアに祈り求めようではありませんか。

略号
CCL Corpus Christianorum Series Latina

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