教皇ベネディクト十六世の221回目の一般謁見演説 マルタ司牧訪問を振り返って

4月21日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の221回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、4月17日(土)から18日(日)にかけて、聖パウロのマルタ島での難破1950周 […]


4月21日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の221回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、4月17日(土)から18日(日)にかけて、聖パウロのマルタ島での難破1950周年を記念して行ったマルタ司牧訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

この日の謁見には、髙見三明長崎大司教に率いられた日本の平和巡礼団も参加しました。謁見の終わりに、教皇は、髙見大司教が携えた長崎・浦上教会の被爆マリア像を祝福しました。被爆マリア像はこの後、スペインのゲルニカと、核拡散防止条約(NTP)再検討会議が行われる米国ニューヨークで展示される予定です。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。
 
 ご存じのように、先週の土曜日から日曜日までマルタへの司牧訪問を行いました。今日はこの司牧訪問について簡単に振り返ってみたいと思います。今回の司牧訪問は、使徒パウロのマルタ島海岸での難破と、約3か月間の同島滞在の1950周年を記念して行われました。この出来事は60年前後に起こり、とくに使徒言行録(同27~28章)の中で詳しく述べられています。聖パウロと同じく、わたしもマルタ国民から本当に特別な温かい歓迎を受けました。そのためわたしは(ジョージ・アベーラ)同国大統領と政府およびその他の国家機関にあらためて心から深く感謝申し上げます。また、マルタの司教の皆様と、ペトロの後継者とマルタ国民の記念すべき出会いの準備のためにご協力くださったすべてのかたがたに兄弟として御礼申し上げます。マルタ国民の約2000年の歴史はカトリック信仰と切り離すことができません。カトリック信仰はマルタの文化と伝統を特徴づけています。マルタには「1年のそれぞれの日のための」365の教会堂があるといわれます。これはマルタの深い信仰を目に見える形で示すしるしです。
 すべてはあの難破から始まりました。暴風によって14日間漂流した後、使徒パウロと多くの人々をローマに移送するための船はマルタ島の浅瀬に乗り上げました。ですから、首都バレッタでマルタ共和国大統領と心のこもった会見を行った後(この会見には、多くの子どもたちによるうれしい誕生祝いのあいさつの美しい花飾りが添えられました)、わたしはすぐに、ラバトの近くにある、いわゆる「聖パウロの洞窟」への巡礼を行い、深い祈りのときをもちました(4月17日)。わたしはそこでマルタの多くの宣教者のグループにもごあいさつすることができました。地中海の真中にあるこの小さな浅瀬と、福音の種がどのようにしてここにたどり着いたかを思うとき、神の摂理の不思議な計画に対して大きな驚きを感じずにはいられません。主と聖パウロに対する感謝が自然に湧き起こります。聖パウロは嵐の最中で信頼と希望を失わず、同乗する人々にもこの信頼と希望を伝えました。この難破と、あるいはもっと適切にいえば、それに続くパウロのマルタ滞在から、熱心で堅固なキリスト教共同体が生まれました。このキリスト教共同体は2000年の後も福音に忠実に従い、福音を現代の複雑な諸問題と結びつけようと努めています。もちろんそれは常に容易なことでも当然のことでもありません。けれども、マルタの人々は、キリスト教的な人生観のうちに新たな問題に対するこたえを見いだすことができます。たとえば、マルタの人々が、マルタの法体系の中に人工妊娠中絶と離婚を導入しない選択を行うことによって、生まれる前のいのちと、結婚の神聖性に対する深い尊重をしっかり守っていることが、このことを示すしるしです。
 そのため、わたしの訪問の目的は教会の信仰を強めることでした。マルタの教会の信仰は、マルタ地域とゴゾ地域に生き生きと根づいた形で見られます。この信仰共同体全体が、フロリアーナのグラナイ広場の聖プブリオ教会の前に集まり、そこでわたしのささげたミサにきわめて熱心にあずかりました(4月18日)。マルタの人々の特別な熱意に触れたことは、わたしにとって喜びと慰めとなりました。人々の熱意は、わたしたちが信仰とキリスト教的人生観によって結ばれた一つの大きな家族であることを感じさせてくれたからです。ミサの後、わたしは一部の聖職者から虐待を受けた数名の被害者のかたがたとお会いしました。わたしはこのかたがたと苦しみを分かち合い、心を揺さぶられながら彼らとともに祈り、教会が彼らの力になることを約束しました。
 マルタが一つの大きな家族であると感じさせてくれるからといって、マルタの人々が、その地理的状況のゆえに、世界から「孤立した」社会だと考えてはなりません。マルタは「孤立した」社会ではありません。そのことは、たとえば、マルタがさまざまな国と関係をもっていることや、多くの国にマルタの司祭がいることから分かります。実際、マルタの家庭と小教区は多くの若者に神と教会についての感覚を教えることができました。そのため、多くの若者がイエスの招きに寛大にこたえて司祭となったのです。これらの司祭の中で、多くの人が遠くの地で「諸国民への(ad gentes)」宣教を行う務めを引き受け、使徒的精神を受け継ぎました。この使徒的精神こそが、福音がまだ届いていないところへと福音をもたらすように聖パウロを駆り立てたのです。わたしが強調したかったのはこのことです。すなわち、「信仰は、他者に伝えられるときに強められます」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『救い主の使命』2)。この信仰の切り株から育ったマルタは、今やさまざまな経済的、社会的、文化的現実に向かって、貴重な貢献を行いつつあります。
 マルタが数世紀にわたってしばしば自国を守らなければならなかったことは明らかです。このことはマルタにある多くの要塞から分かります。小さな島国の戦略的位置が、さまざまな政治的・軍事的権力の注意を引いたのは当然のことです。にもかかわらず、マルタのもっとも深い使命はキリスト教的使命です。それは平和のための普遍的な使命です。すべての人がマルタ共和国と結びつける有名なマルタ十字の旗は、紛争や戦争の最中で何度もはためいてきました。しかし、ありがたいことに、このマルタ十字はそのまことの永遠の意味を失いませんでした。それは愛と和解のしるしです。これこそが、キリスト教のメッセージを受け入れ、自らのものとした人々の真の使命なのです。
 天然の十字路であるマルタは、人々が移動する航路の中心にあります。聖パウロと同じように、多くの人々がマルタ海岸に上陸します。これらの人々は時には厳しい生活条件や暴力や迫害によって移住を余儀なくされました。そのため、当然のことながら、この移住は人道的、政治的、法的な面で複雑な問題を含みます。こうした問題を解決するのは容易ではありませんが、国際レベルの介入と協力しつつ、忍耐強く解決の道を探っていかなければなりません。キリスト教的価値観を憲法と文化の根底にもつすべての国でこのような努力がなされることが適切です。
 現代の複雑な状況の中で福音の永遠の意味を生かすという課題は、すべての人の心を引きつけます。ことに若者にそれがいえます。実際、若い世代はこの使命をより強く感じます。そのためわたしは、短時間の訪問ながら、若者の皆様との集いを行うことを望みました(4月18日)。この集いは深く充実した対話のときでした。それは、この集いが行われた場所(バレッタの港)と、若者たちの熱心さによっていっそうすばらしいものとなりました。わたしは若者の皆様に聖パウロの青年時代の体験を思い起こさせました。それは特別な独自の体験です。しかしこの体験は、パウロが、復活したキリストとの出会いに続いて、徹底的に造り変えられたことによって、あらゆる時代の若者に語りかける力をもっています。それゆえわたしは、マルタの若者たちが、聖パウロの霊的体験を今後受け継いでくれると考えます。聖パウロと同じように、彼らはこう招かれています。イエス・キリストのうちに与えられた神の愛のすばらしさを見いだしなさい。十字架の神秘を受け入れなさい。試練と苦難の中でこそ勝利する者となりなさい。人生の「嵐」や難破を恐れてはなりません。神の愛の計画は、嵐や難破よりも偉大だからです。
 親愛なる友人の皆様。これが、わたしがマルタにもたらしたメッセージの要約です。けれども、すでに触れたとおり、わたしも多くのことをマルタの教会と、神に祝福されたマルタの人々から与えられました。マルタの人々は神の恵みと力強く協力することができたからです。使徒パウロと、最初のマルタの聖人である聖ゴルグ・プレカ(1880-1962年)と、マルタとゴゾの信者が深い信心をもって崇敬しているおとめマリアの執り成しによって、マルタの人々が平和と繁栄のうちにますます成長することができますように。

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