教皇ベネディクト十六世の2010年5月16日の「アレルヤの祈り」のことば 主の昇天

教皇ベネディクト十六世は、主の昇天の祭日の5月16日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった20万人の信者とともに「アレルヤの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
教皇は5月11日(火)から14日(金)までのポルトガル司牧訪問を無事終え、14日夜ローマに戻りました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日、イタリアと他の諸国ではイエスの昇天が祝われます。イエスの昇天は復活祭後40日目に行われました。今日の主日は「世界広報の日」でもあります。今年の「世界広報の日」のテーマは「司祭とデジタル世界における司牧、みことばに仕える新しいメディア」です。典礼では主イエスの弟子たちとの最後の別れが語られます(ルカ24・50-51、使徒言行録1・2、9参照)。しかし、イエスは弟子たちを見捨てたのではありません。なぜなら、イエスは新たな形で弟子たちと――わたしたちと――永遠にとどまってくださるからです。クレルヴォーの聖ベルナルドゥス(Bernardus Claraevallensis 1090-1153年)はこう解説します。イエスの昇天は三つの段階で行われました。「第一は復活の栄光です。第二は裁きの力です。第三は御父の右の座に着かれることです」(『主の昇天についての説教』:Sermo de Ascensione Domini 60, 2, Sancti Bernardi Opera, t. VI, 1, 291, 20-21)。主の昇天の出来事に先立って、弟子たちの祝福が行われます。イエスは弟子たちが聖霊のたまものを受ける準備をなさったのです。それは、救いがあらゆるところでのべ伝えられるためです。イエスご自身が弟子たちにこういわれます。「あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る」(ルカ24・47-49参照)。
 主は使徒たちの目を――わたしたちの目を――天に向けさせます。それは、わたしたちが地上の生涯の間、どのようによい道を歩めばよいか示すためです。にもかかわらず、主は人間の歴史の歩みの中にとどまってくださいます。そして、わたしたち一人ひとりのそばにいて、わたしたちキリスト者の歩みを導いてくださいます。主は信仰のために迫害される人々とともに歩まれます。主は疎外された人々の心の中にいてくださいます。主は生存権を拒まれた人々のうちにおられます。わたしたちは教会の中で、とくにみことばと秘跡を通して、主イエスのことばを聞き、このかたを見、このかたに触れることができます。そのためわたしは、この復活節に堅信の秘跡を受ける子どもと青年の皆様に勧めます。神のことばと、学んだ教えを忠実に守ってください。また、ゆるしの秘跡と聖体とに熱心にあずかってください。自分たちが真理をあかしするために選ばれ、立てられた者であることを自覚しながら。さらにわたしは司祭職にある兄弟の皆様にとくにお願いします。「皆様の生活と活動が『福音の力強いあかし』を特徴とするようにしてください」(『「司祭年」開催を告示する手紙』)。また、コミュニケーション技術を賢明に用いてください。それは、教会生活に人々を導き入れ、現代人がキリストのみ顔を見いだすのを助けることができるためです(「第44回『世界広報の日』メッセージ(2010年1月24日)」参照)。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。天に昇られた主は、すでに地上において、わたしたちに神のいのちを前もって味わわせてくださいます。ある19世紀のロシアの著作家はその霊的遺言の中でこう述べています。「何度も星を見つめなさい。魂に重荷を負うとき、星に、あるいは青い空に目を向けなさい。悲しいとき、人々があなたを侮辱するとき、・・・・天と語らいなさい。そうすれば、あなたの魂は安らぎを見いだすでしょう」(N. Valentini, L. Žák [eds.], Pavel A. Florenskij. Non dimenticatemi. Le lettere dal gulag del grande matematico, filosofo e sacerdote russo, Milano 2000, p. 418)。数日前、ファティマの巡礼所でマリアを崇敬することができました。充実したポルトガル訪問の間、母として守ってくださったおとめマリアに感謝します。愛する御子の証人たちを見守ってくださるマリアに、信頼を込めて祈りをささげたいと思います。

PAGE TOP