教皇ベネディクト十六世の230回目の一般謁見演説 聖ジュゼッペ・カファッソ

6月30日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の230目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、イタリアの司祭、聖ジュゼッペ・カファッソについて解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 すこし前に「司祭年」が終わりました。この恵みのときは、教会に貴重な実りをもたらしましたし、これからももたらします。それは、司祭職という特別な召命にこたえたすべての人を祈りのうちに思い起こす機会でもありました。アルスの聖なる主任司祭と、他の聖なる司祭たちが、模範また執り成し手として、司祭の道を歩むわたしたちに同伴してくれます。これらの人々は教会の歴史の中でまことの光です。先週の水曜日にお知らせしたとおり、今日はもう一人の司祭についてお話ししたいと思います。すなわち、19世紀のトリノの「社会的聖人」のグループの中で際立っている、聖ジュゼッペ・カファッソ(Giuseppe Cafasso 1811-1860年)です。
 この聖人を思い起こすのは適切だと思われます。なぜなら、1週間前、わたしたちは聖人の没後150周年を記念したからです。カファッソは1860年6月23日、ピエモンテ州の州都トリノで没しました。亨年49歳でした。さらに、次のことを思い起こせることをうれしく思います。教皇ピオ十一世(在位1922-1939年)は1924年11月1日、聖ヨハネ・マリア・ビアンネの列聖のための奇跡を承認するとともに、カファッソの列福を認める教令を発布する際、二人の司祭を次のことばで結びつけました。「神のいつくしみの特別な恵み深い計らいにより、わたしたちはカトリック教会の地平に新たな星が上るのを目にしました。すなわち、アルスの主任司祭と、尊者・神のしもべジュゼッペ・カファッソです。このすばらしく、愛すべく、摂理的に時宜を得た二人の人物を、今日、わたしたちの前に示さなければなりません。アルスの主任司祭の、小さく謙遜で、貧しく単純でありながら、輝かしい姿と、司祭・教師・司祭養成者である尊者ジュゼッペ・カファッソのすばらしく、偉大で、複雑かつ豊かな姿です」。このようなわけで、この聖人の生涯から発する生きた現代的なメッセージを知る機会が与えられました。カファッソはアルスの主任司祭のような主任司祭ではありませんでしたが、何よりもまず彼は小教区・教区司祭、中でも、聖ジョヴァンニ・ボスコ(Giovanni Bosco 1815-1888年)のような聖なる司祭を養成しました。カファッソは、19世紀のピエモンテ州の他の聖なる司祭のように、修道会は創立しませんでした。彼は「司祭の生活と聖性の学校」を「創立」したからです。この教育は、トリノの「アッシジの聖フランチェスコ研修学院」において、模範と教えを通じて実現しました。
 ジュゼッペ・カファッソは1811年1月15日、聖ジョヴァンニ・ボスコの生地と同じ、カステルヌオヴォ・ダスティで生まれました。4人の子どもの3番目でした。末の妹のマリアンナは、コンソラータ宣教会を創立したジュゼッペ・アラマーノ(Giuseppe Allamano 1851-1926年)の母となります。カファッソが生まれたピエモンテ州を特徴づけていたのは、大きな社会問題と、この社会問題を解決しようと努めた多くの聖人たちです。これらの聖人たちは、キリストへの徹底した愛と、貧しい人への深い愛のわざによって互いに結ばれていました。主の恵みは、聖性の種を広め、ふやすことができるのです。カファッソはキエリの学院で中等教育と2年間の哲学を修めた後、1830年に神学校に入学し、そこで1833年に司祭に叙階されました。4か月後、彼は、自分の司祭生活の基本的で唯一の「宿営」となる場所に入りました。すなわち、トリノの「アッシジの聖フランチェスコ研修学院」です。カファッソがここに入ったのは、自分の司牧養成を完成させるためでしたが、彼はそこで自らの霊的指導の力と大きな愛の精神を用いることになりました。実際、研修学院は単なる倫理神学の学校――すなわち、とくに農村部から来た若い司祭が聴罪と説教のしかたを学ぶところ――ではありませんでした。むしろそれは、真に固有の意味での司祭生活の学校でした。そこでは司祭たちが、聖イグナティウス・デ・ロヨラ(Ignatius de Loyola 1491-1556年)の霊性と、偉大な司教アルフォンソ・マリア・デ・リグオーリ(Alfonso Maria de’Liguori 1696-1787年)の倫理・司牧神学に基づく養成を受けました。カファッソが研修学院の中で見いだし、彼自身が(とくに院長として)その強化に貢献した司祭像は、豊かな内的生活を送り、司牧的配慮に対する深い熱意を備えたまことの司牧者でした。この司牧者は忠実に祈り、説教と信仰教育に励み、感謝の祭儀と聴罪の奉仕職を心をこめて果たします。その際、聖カルロ・ボロメオ(Carlo Borromeo 1538-1584年)や聖フランソア・ド・サル(François de Sales 1567-1622年)が体現し、トリエント公会議が推進した模範に従います。聖ジョヴァンニ・ボスコの適切なことばは、この共同体の教育活動の意味を次のようにまとめています。「この研修学院で、人は司祭であることを学びました」。
 聖ジュゼッペ・カファッソはこの若い司祭の養成理念を実現しようと努めました。それは、特別な力強い連鎖に従って、養成された若い司祭たちが他の司祭、修道者、信徒の養成者となるためです。自らの倫理神学講座で、よい聴罪司祭また霊的指導者となるようにカファッソは司祭たちを教育しました。よい聴罪司祭また霊的指導者とは、人間の真の霊的な善に配慮し、神のあわれみとともに、罪への鋭く生き生きとした感覚を感じさせるための優れた平衡感覚に促される人です。教育者としてのカファッソのおもな美徳が三つあります。聖ジョヴァンニ・ボスコが述べているとおりです。すなわち、落ち着き、慎重さ、そして賢明です。カファッソの考えでは、教えられた内容を証明するのが、ゆるしの秘跡の奉仕職です。カファッソ自身が、ゆるしの秘跡の奉仕職に一日の数時間を用いました。司教、司祭、修道者、地位のある信徒、そして単純な人々が彼のもとを訪れました。彼はすべての人に必要な時間をささげることができました。さらに、聖人や修道会の創立者となった多くの人々に、彼は知恵に満ちた霊的助言を与えました。彼の教えは、当時用いられた書物のみに基づいた抽象的なものではありませんでした。むしろそれは、神のあわれみの生きた体験と、告白場と霊的指導で過ごした長い時間に得た、人間の霊魂に関する深い知識から生まれたものです。カファッソの教えは司祭生活のまことの学びやでした。
 カファッソの教えの秘訣は単純です。すなわち、神の人となること、そして、日々の小さな行いにおいて「神のより大いなる栄光と、霊魂の利益に役立つこと」を行うことです。カファッソは神を徹底的に愛しました。彼を促したのは、長時間にわたる深い祈りに支えられ、自らのうちに根ざした信仰でした。そして彼はすべての人に心から愛のわざを行いました。カファッソは倫理神学の知識をもっていましたが、人々の状況と心情もよく知っていました。そして、よい牧者として人々の善を追求しました。カファッソに近づくことができた人は皆、同じようなよい牧者、また有能な聴罪司祭に造り変えられました。カファッソはすべての司祭に、司牧的奉仕職そのものにおいて聖性に達するべきことをはっきりと示しました。聖ヨゼフ修道女会を創立した福者クレメンテ・マルキーシオ(Clemente Marchisio 1833-1903年)は次のように述べています。「司祭とはどういう者かを知らずに、腕白で無思慮な思いをもって研修学院に入っても、必ずや司祭の品位を完全に理解し、完全な別人となって卒業することになりました」。この研修学院でどれほど多くの司祭がカファッソの養成を受け、やがて霊的に彼に従う者となったことでしょうか。すでに触れたとおり、このような人々の一人が聖ジョヴァンニ・ボスコ(ドン・ボスコ)です。聖ボスコは1835年から1860年までの25年間にわたってカファッソの霊的指導を受けました。初めは侍者として、次いで司祭として、最後は創立者として。聖ジョヴァンニ・ボスコは生涯のすべての根本的な決断を聖ジュゼッペ・カファッソの助言と指導のもとに行いました。しかし、それは特別な形によってでした。カファッソはドン・ボスコを「自分の像と似姿に従って」弟子とすることを求めませんでした。ドン・ボスコもカファッソの真似をしませんでした。たしかにドン・ボスコは人間的徳・司祭の徳においてカファッソに倣いました(ドン・ボスコはカファッソを「司祭生活の模範」と呼んでいます)。しかしその際、彼は、自分個人の態度と特別な召命に従いました。これは霊的指導者の知恵と弟子の知性を示すしるしです。霊的指導者は弟子に自らを押しつけません。むしろ、弟子の個性を尊重し、弟子が自らに対する神のみ心を読み取るための手助けを行うのです。親愛なる友人の皆様。これは、若者の養成・教育に携わるすべての人にとって貴重な教えです。それはまた、自分の人生において霊的指導者をもつことの大きな重要性を強く思い起こさせてくれます。霊的指導者は、神がわたしたちに何を望んでおられるかを知るための手助けをしてくれるからです。聖カファッソは単純に、しかし深い意味をこめて次のように述べます。「聖性と完徳と個人の進歩のすべては、神のみ心を完全に果たすことのうちにあります。・・・・こうして自分の心を神の心のうちに注ぎ、自分の望みと意志を神のみ心と一致させ、一つの心、一つの意志とすることができたなら、わたしたちは幸いです。それは、神が望まれることを望むことです。神が望まれるしかたと時と状況でそれを望むことです。そして、神が望まれるからという理由のみによって、これらすべてのことを望むことです」。
 しかし、聖カファッソの奉仕職を特徴づけるもう一つの要素があります。それは、底辺の人、とくに囚人への気遣いです。19世紀のトリノの囚人は非人間的で劣悪な環境に置かれていました。20年以上にわたり行われたこのむずかしい奉仕においても、カファッソはつねに理解と共感に満ちたよい牧者であり続けました。このような共感を感じ取ることのできた囚人は、ついには、神ご自身に由来する、この真実の愛に捕らえられました。カファッソは、ただそこにいるだけで善を行うことができました。カファッソの存在は、人生の浮き沈みによって頑なになった心に触れてそれを元気づけ、何よりも冷えきった良心を照らし、奮い立たせました。囚人に対する奉仕職を行った初めの頃、カファッソはしばしば長い説教を行いました。ほとんどすべての囚人がこの説教に耳を傾けました。時がたつにつれて、彼は、対話と個人的面会を通じて単純な信仰教育を行うことを優先するようになりました。それぞれの人の事情を考慮しながら、彼はキリスト教生活の重大なテーマを取り上げました。そして、神への信頼、神のみ心との一致、祈りと秘跡が有益であることを語りました。信仰教育の目的は、ゆるしの秘跡です。ゆるしの秘跡は、わたしたちのために限りないあわれみとなられた神との出会いだからです。死刑囚は人間的・霊的配慮の特別な対象となりました。カファッソはゆるしの秘跡と聖体を授けた後、57名の死刑囚に処刑台まで同伴しました。地上の生涯における最後の息を引き取るまで、深い愛をもって死刑囚に付き添ったのです。
 カファッソは、すべてを主に奉献し、隣人のためにささげ尽くした生涯を終えて、1860年6月23日に亡くなりました。わたしの先任者である尊者・神のしもべピオ十二世(在位1939-1958年)は1948年4月9日にカファッソをイタリアの囚人の守護聖人と宣言し、1950年9月23日の使徒的勧告『メンティ・ノストラエ』をもって、彼をゆるしの秘跡と霊的指導に献身する司祭の模範として示しました。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。聖ジュゼッペ・カファッソが、キリスト教的生活の完徳と聖性に向けて歩む努力を強めるようにすべての人を招いてくれますように。とくに司祭に、ゆるしの秘跡と霊的指導に献身することの重要性を思い起こさせてくれますように。そして、もっとも貧しい人々に注意を向けるべきことをすべての人に思い起こさせてくれますように。聖ジュゼッペ・カファッソは聖なるおとめマリアに深い信心をささげ、マリアを「愛すべきわたしたちの母、わたしたちの慰め、わたしたちの希望」と呼びました。このかたの執り成しがわたしたちを助けてくださいますように。 

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