教皇ベネディクト十六世の2010年8月1日の「お告げの祈り」のことば まことのいのち

教皇ベネディクト十六世は、年間第18主日の8月1日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第18主日の8月1日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次のように述べました。
「今日、『クラスター爆弾禁止条約』が発効したことに深い喜びを表したいと思います。クラスター爆弾は市民に『容認し難い害』をもたらすからです。わたしの思いはまず多くの犠牲者に向かいます。このかたがたは、この罠として仕掛けられた危険な装置によって、深刻な身体的・精神的被害を受け、また今も受け続けており、いのちを落としています。クラスター弾が地上に存在することは、共同体全体の日常的活動の再開をしばしば長期にわたって妨げます。わたしは新しい条約に加盟することをすべての国に促します。この条約の発効により、国際社会は、知恵と、先見の明と、軍縮と国際的人道法の領域において重要な成果を追求する力を示しました。わたしは願い、また励まします。ますます大きな力をもってこのような道を歩み続けてください。それは、人間のいのちの尊厳を守り、全面的な人間性の発展を推進し、世界の平和的秩序を堅固なものとし、すべての個人と民族の共通善を実現するためです」。
「クラスター爆弾禁止条約(正式には「クラスター弾に関する条約」)」は2008年12月にノルウェーのオスロで署名のために開放され、2010年8月1日に発効しました。7月30日現在、108か国が署名し、38か国が批准していますが、大量のクラスター弾を保有するアメリカ合衆国、ロシア、中国は未加盟です。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 この数日間、わたしたちは幾人かの聖人を記念します。昨日はイエズス会の創立者である聖イグナティウス・デ・ロヨラ(1491-1556年)を記念しました。聖イグナティウス・デ・ロヨラは16世紀に生きた人です。聖イグナティウスは、戦争で受けた傷のため長く入院していたとき、イエスと聖人の伝記を読んで回心しました。彼はこの伝記から強い感銘を受け、主に従おうと決心しました。今日わたしたちはレデンプトール会の創立者である聖アルフォンソ・マリア・デ・リグオーリ(1696-1787年)を記念します。聖アルフォンソは18世紀に生きた人で、尊者ピオ十二世により聴罪司祭の守護聖人と宣言されました。聖アルフォンソは、神がすべての人が(いうまでもなく、おのおの自分の身分に従って)聖なる者となることを望んでおられることを自覚しました。さらに今週の典礼は(ヴェルチェリの)聖エウセビウス(4世紀初頭-371年)を示します(8月2日)。聖エウセビウスはピエモンテの最初の司教であり、キリストが神であることを勇敢に擁護しました。そして最後に、アルスの主任司祭、聖ジャン・マリー・ヴィアンネ(1786-1859年)の姿が示されます(8月4日)。聖ヴィアンネは、その模範によって、終わったばかりの「司祭年」を導いてくれました。わたしは教会のすべての司牧者をあらためて聖ヴィアンネの執り成しにゆだねます。これらの聖人が共通して努力したのは、人々の霊魂を救い、それぞれのカリスマに従って教会に奉仕し、教会を刷新し、豊かにすることでした。これらの人々は「知恵ある心」(詩編90・12)を得ました。彼らは朽ちることのないものを集め、時とともに移ろうほかないものを退けました。すなわち、権力、富、はかない楽しみです。彼らは神を選ぶことによってあらゆる必要なものを所有しました。こうして彼らは地上の生涯のときから永遠のいのちを前もって味わいました(コヘレト1~5章参照)。
 今日の主日の福音の中で、イエスの教えはまことのいのちについて述べます。イエスの教えは、群衆の一人の願いから始まります。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟にいってください」(ルカ12・13)。イエスはこたえて、愚かな金持ちのたとえ話により、聴衆が地上の富を望むことに注意するように求めます。愚かな金持ちは、自分のために有り余るほどの作物を集めると、働くのをやめ、自分の財産を用いて楽しみ、死を遠ざけることができるとまで錯覚します。「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前のいのちは取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』といわれた」(ルカ12・20)。聖書で述べられた愚かな人とは、目に見えるものを経験することを通じて、永遠に続くものは何もなく、すべては過ぎ去ることを学ぼうとしない人のことです。若さも身体の力も、快適な暮らしも高い地位も、過ぎ去ります。それゆえ、はかない存在に頼って生きることは愚かです。これに対して、主により頼む人は、人生の逆境も、避けがたい死さえも恐れません。このような人は、聖人たちのように、「知恵ある心」を得たのです。
 至聖なるマリアに祈りをささげるにあたり、他の重要な記念日も思い起こしたいと思います。明日(8月2日)わたしたちは、ポルティウンクラの免償、あるいは「アッシジのゆるし」を受けることができます。「アッシジのゆるし」は聖フランチェスコ(1181/1182-1226年)が1216年に教皇ホノリウス3世(在位1216-1227年)から得たものです。8月5日(木)、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の献堂を記念して、わたしたちは神の母をたたえます。「神の母」という称号は431年のエフェソ公会議で採用されました。教皇パウロ6世の命日祭である、今週の金曜日(8月6日)、わたしたちは主の変容の祝日を祝います。夏の光が頂点に達する日と考えられる8月6日は、キリストのみ顔の輝きが全世界を照らすことを表すために選ばれたのです。

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