教皇ベネディクト十六世の232回目の一般謁見演説 侍者の守護聖人、聖タルシキウス

8月4日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の232回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、この日の謁見に参加した55,000人以上の国際侍者協会(Coetus Internat […]


8月4日(水)午前10時から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の232回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、この日の謁見に参加した55,000人以上の国際侍者協会(Coetus Internationalis Ministrantium=CIM)の巡礼者の子どもたちに向けて、特別にドイツ語で「侍者の守護聖人、聖タルシキウス」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語とドイツ語)。

謁見の終わりに、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「わたしの思いは、今、深刻な自然災害の被害を受けている人々に向かいます。この災害により、人命が奪われ、怪我人と損害が生じ、多くの人が家を失いました。とくにわたしはロシア連邦の大規模火災、パキスタンとアフガニスタンの大洪水のことを思います。わたしは犠牲者のために主に祈るとともに、この災害で苦しむ人々に霊的に寄り添います。神がこれらのかたがたの苦しみを和らげ、困難の中で支えてくださるよう願い求めます。さらにすべての人からの支援が不足しないことを願います」。
ロシア西部では7月末から大規模な森林火災が発生し、8月8日までに少なくとも52人が死亡しています。パキスタンでは洪水による死者が8月9日、推定2000人を超え、アフガニスタンでもカブール川が決壊するなどして9日までに100人以上が死亡しています。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日、皆様とともにこのサンピエトロ広場にいることができ、うれしく思います。皆様がこの一般謁見に喜びのうちに集まってくださったからです。ここには多数のヨーロッパの侍者の巡礼者が来ておられます。親愛なる少年少女と若者の皆様。ようこそおいでくださいました。ここにおられる侍者の大部分はドイツ語を話すため、まずこのかたがたにわたしの母国語でお話しします。(以上イタリア語。以下ドイツ語)
 親愛なる侍者の皆様。親愛なる友人の皆様。親愛なるドイツ語を話す巡礼者の皆様。ローマへようこそおいでくださいました。皆様と国務省長官のタルチジオ・ベルトーネ枢機卿にごあいさつ申し上げます。ベルトーネ枢機卿の名は、皆様の守護聖人と同じく「タルチジオ」です。皆様はベルトーネ枢機卿をご丁寧に招いてくださいました。聖タルシキウス(タルキシウス)の名をもつベルトーネ枢機卿も、世界の侍者およびドイツの侍者の皆様とともにここにいられることを喜んでおられます。この謁見にご参加くださった、親愛なる司教職、司祭職、助祭職にある兄弟の皆様にもごあいさつ申し上げます。ごあいさつとともに、聖タルシキウスの像とスカーフをくださった、バーゼル補佐司教で国際侍者協会会長のマルティン・ゲヒター司教に心より感謝致します。スカーフはわたし自身が侍者だったときのことを思い起こさせてくれます。ゲヒター補佐司教が皆様のもとで指導しておられる活動にも感謝申し上げます。ゲヒター補佐司教の協力者の皆様、この喜ばしい集会の開催を可能にしてくださったすべてのかたがたにも感謝します。スイスの後援者の皆様と、聖タルシキウスの大きな像の完成にさまざまな形でお力添えくださったかたがたにも感謝申し上げます。
 なんと多くのかたがたがここにおられることでしょう。わたしは、ヘリコプターでこの広場上空に飛んできたときから、広場を埋めたさまざまな色と喜びを目の当たりにしました。それゆえ、皆様はこの広場を喜ばしい空気で満たしてくださっただけでなく、わたしの心をも喜びでいっぱいにしてくれました。有難うございます。タルシキウスの像は長い旅をしてきました。この像は2008年9月、スイスで、8000人の侍者が参列する中、除幕されました。そのとき参列されたかたもきっと皆様の中におられると思います。像はスイスからルクセンブルクを経てハンガリーに運ばれました。わたしたちは今日、この像を喜びのうちに迎えます。そして、教会の初期の時代に生きたこの人物をもっとよく知ることができることをうれしく思います。ゲヒター司教が述べられたとおり、この像はこの後、聖タルシキウスの墓のあるカリストゥスのカタコンベに安置されます。皆様に願うことはこれです。このカリストゥスのカタコンベという場所とタルシキウスの像が、侍者の皆様と、司祭、修道者、宣教者としてイエスに直接従おうと望むすべての人の基準となりますように。これらの人々が皆、この勇敢で力強い少年を仰ぎ見、主との友愛を新たにすることができますように。つねに神とともに生き、神がみことばと多くの聖人・殉教者のあかしを通して示してくださる道を歩むことができますように。わたしたちは洗礼によってこれらの聖人・殉教者の兄弟となったのです。
 聖タルシキウスとはいかなる人物だったのでしょうか。聖タルシキウスについてあまり多くのことは知られていません。聖タルシキウスは教会史の初期の時代、正確には3世紀に生きた人です。伝えられるところによれば、少年タルシキウスはここローマのカリストゥスのカタコンベに規則正しく通い、キリスト信者としての務めをきわめて忠実に果たしました。タルシキウスは聖体を深く愛していました。そしていくつかの理由から、彼はおそらく教会奉仕者(侍祭)であり、祭壇奉仕者であったと考えられます。当時、皇帝ウァレリアヌス(在位253-260年)がキリスト信者を激しく迫害していました。キリスト信者は個人の家や、場合によってカタコンベにひそかに集まって、神のことばを聞き、互いに祈り、ミサをささげなければなりませんでした。囚人や病人に聖体を運ぶこともますます危険になりました。ある日、司祭がいつものように尋ねました。「聖体を望む兄弟姉妹に聖体を運んでくれる者はいませんか」。すると少年タルシキウスが立ち上がっていいました。「わたしを派遣してください」。けれども少年は、これほど重大な任務を果たすには若すぎるように思われました。タルシキウスはこたえていいました。「わたしの若さは聖体を守るのに最適です」。このことばに納得した司祭は、貴いいのちのパンをタルシキウスにゆだねていいました。「タルシキウスよ。天上の宝があなたの弱々しい手に託されていることを思いなさい。人の多い通りを避けなさい。神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならないことを忘れないように。あなたは聖なる秘密を忠実かつ確実に守りますか」。タルシキウスはきっぱりと答えました。「秘密を失うならば、死んだほうがましです」。道の途中でタルシキウスは何人かの友人と出会いました。彼らはタルシキウスに近寄ると、自分たちと一緒に行かないかと誘いました。友人たちは異教徒でした。タルシキウスが誘いを断ると、不審に思った友人たちはしつこく誘いました。そのとき彼らはタルシキウスが何かを胸に隠していることに気づきました。彼がそれを守ろうとしたからです。友人たちはそれを彼から奪おうとしましたが、奪うことができませんでした。争いはいっそう激しいものとなりました。彼らはタルシキウスがキリスト信者であることを知ったからです。彼らはタルシキウスを足で蹴り、石を投げつけましたが、タルシキウスは屈しませんでした。ひそかにキリスト信者となっていた、クアドラトゥスという名の近衛兵が瀕死のタルシキウスを司祭のもとに運びました。タルシキウスはすでに息絶えていましたが、聖体を入れた小さな亜麻布は胸に抱えたままでした。その後ただちにタルシキウスはカリストゥスのカタコンベに葬られました。教皇ダマスス(在位366-384年)は聖タルシキウスの墓に墓碑銘を書きました。この墓碑銘によれば、タルシキウスは257年に亡くなりました。『ローマ殉教者録』はタルシキウスが死んだ日を8月15日と確定し、すばらしい口頭伝承を伝えています。この伝承によれば、聖体は聖タルシキウスの亡骸とともに見つかりませんでした。それは聖人の手の中にも、衣服の中にも見つからなかったのです。その意味はこうです。年若い殉教者がいのちをかけて守った、聖別されたホスチアは、彼の肉の中の肉となり、そこから、彼自身のからだは、神にささげられた、非の打ちどころのない唯一のささげものと一つにされたのです。
 親愛なる侍者の皆様。聖タルシキウスのあかしと、このすばらしい伝承は、わたしたちが聖体に対して深い愛と崇敬の心を抱かなければならないことを教えてくれます。聖体は貴い富です。かけがえのない価値をもった宝です。聖体はいのちのパンです。聖体はイエスご自身です。イエスはわたしたちのための糧となられます。イエスはわたしたちが日々道を歩むための支え、また力です。永遠のいのちへと導く道です。聖体はイエスが残してくださった偉大なたまものです。
 そこでわたしは、ここにお集まりくださった皆様と、皆様を通して、世界中の侍者の皆様に呼びかけます。聖体のうちに現存されるイエスに寛大な心で仕えてください。これは重大な務めです。この務めは、皆様が特別に主に近づき、主との深く真実な友愛を深めることを可能にしてくれます。聖タルシキウスと同じように、この友情をひたすら心の中で保ってください。イエスがすべての人のところに来てくださるよう、努力し、戦い、いのちをささげる覚悟を抱いてください。喜びと熱意をもって、恐れることなく、この友愛のたまものを同世代の人々に伝えてください。それは、皆様がこのたまものをよく知っていること、このたまものが真実であり、皆様がこの神秘を愛していることを、彼らが知るようになるためです。皆様は祭壇に近づくたびに、神の偉大な愛のわざに奉仕する恵みを与えられます。神は今日も、わたしたち一人ひとりにご自身を与え、わたしたちに近づき、わたしたちを助け、わたしたちが正しく生きるための力を与えようと望まれます。ご存じのとおり、聖変化のとき、この小さな一片のパンがキリストのからだとなり、ぶどう酒がキリストの血となります。皆様はこの言い表しがたい神秘を間近で体験できるという、大きな恵みを与えられています。愛と敬虔な心と忠実をもって、この務めを果たしてください。上の空で聖堂に入るのではなく、ミサにあずかる準備を心の中でしてください。皆様が祭壇の奉仕を通じて司祭の手助けをするなら、イエスはもっと身近なものとなります。人々は、イエスがここにおられることをもっと感じ、知ることができるようになります。イエスはこの世界、日常生活、教会の中に、そしてあらゆるところにますます現存できるようになります。親愛なる友人の皆様。皆様はイエスに自分の手と思いと時間を与えます。イエスも皆様に報いを与えてくださいます。イエスはまことの喜びを皆様に与え、本当の幸いがどこにあるかを感じさせてくださるからです。聖タルシキウスはわたしたちに次のことを示しました。すなわち、人は愛に基づいて、まことの富のため、真実の善のため、主のために自分のいのちをささげることができるということです。
 おそらくわたしたちが殉教を要求されることはないでしょう。けれどもイエスは小さなことに忠実であるように求めます。心を集中させること。心からミサにあずかること。信じること。日常生活の中で聖体という宝を守るよう努めることを求めます。イエスはわたしたちに求めます。日々の務めを忠実に果たすこと。イエスの愛をあかしすること。イエスがそこにおられるという心からの確信と喜びをもって教会に行くことを。こうしてわたしたちも、友人たちに、イエスが生きておられることを体験させることができるのです。聖ジャン・マリー・ヴィアンネの執り成しがわたしたちを助けてくださいますように。今日はこの聖人の記念日です。このフランスのつつましい主任司祭は、小さな共同体を造り変えることを通して、世に新たな光を注ぎました。聖タルシキウスと聖ジャン・マリー・ヴィアンネの模範は、わたしたちが日々、イエスを愛し、そのみ心を果たすよう促します。おとめマリアが死に至るまで御子に忠実に従われたのと同じように。あらためて心から皆様に感謝申し上げます。よい日をお過ごしください。無事に帰られるようお祈りします。

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