教皇ベネディクト十六世の2010年8月29日の「お告げの祈り」のことば キリストのへりくだり

教皇ベネディクト十六世は、年間第22主日の8月29日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第22主日の8月29日(日)正午に、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸の窓から、中庭に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、各国語で行われたあいさつの中で、教皇はスペイン語を話す巡礼者に向けて、スペイン語で次のように述べました。
「今日のマリアへの祈りにご参加くださった、スペイン語を話す巡礼者の皆様に心からごあいさつ申し上げます。わたしは特別な愛をこめて、チリのアタカマ地方のサンホセ鉱山に閉じ込められた鉱山労働者の皆様を思い起こしたいと思います。このかたがたとそのご家族の保護を聖ラウレンティウスの執り成しにゆだねます。そして、このかたがたに霊的に寄り添い、祈り続けることを約束します。救出活動が成功裡に終わるのを待つ間、皆様が平静を保つことができますように。ここにおられる皆様にお願いします。信仰と謙遜と寛大な心を深めるために、今日のキリストのたとえ話を受け入れてください。よい主日でありますように」。
南米チリ北部のサンホセ鉱山で8月5日に起きた落盤事故では、事故から17日後の22日に、閉じ込められた鉱山労働者33人全員の無事が確認されました。鉱山労働者は地下700メートルの避難所におり、救出作業が進められています。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の主日の福音(ルカ14・1、7-14)で、わたしたちは、イエスがファリサイ派のある議員の家で食事をされる姿と出会います。イエスは、招待された客が食卓の上席を選ぶ様子に気づいて、婚宴を舞台とした一つのたとえ話を語られます。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『このかたに席を譲ってください』というかもしれない。・・・・招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい」(ルカ14・8-10)。主は、礼儀作法に関する教訓を述べたのでも、さまざまな権威の序列に関する教訓を述べたのでもありません。むしろ主がいいたかったのは、へりくだりという決定的なことがらです。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14・11)。このたとえ話は、さらに深い意味において、人間が神との関係において占める位置についても考えさせてくれます。実際、「末席」は、罪によっておとしめられた人間性の状態を表すことができます。この状態から人間を救い出すことができるのは、独り子の受肉だけです。そのためキリストご自身が「世のもっとも低いところ――すなわち十字架――に身を置きました。そして、このような徹底的なへりくだりによって、キリストはわたしたちをあがない、またこれからもずっとわたしたちの助けとなってくださいます」(教皇ベネディクト十六世回勅『神は愛』35)。
 たとえ話の終わりに、イエスはファリサイ派の議員に勧めます。食事のために、友人も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。むしろ、貧しい人、除(の)け者にされた人を招きなさい。彼らはお返しができないので(ルカ14・13-14参照)、無償で与えることができるからです。実際、真の報いを与えてくださるのは神です。「世界を治めるのは神であって、・・・・わたしたちは、自分にできるかぎりの範囲で、また、主がその力を与えてくださる間、わたしたちの奉仕を主にささげます」(回勅『神は愛』35)。それゆえ、わたしたちはあらためて、へりくだりと無償の愛の模範であるキリストを仰ぎ見ます。わたしたちはキリストから学びます。誘惑のときに耐え忍ぶことを。侮辱されたときに柔和であることを。苦しみのときに神に従順に従うことを。わたしたちを招かれた主が、こういってくださることを待ち望みながら。「友よ、もっと上席に進んでください」(ルカ14・10参照)。実際、まことの善とは、主の近くにいることです。先週の水曜日(8月25日)に記念した、フランス王聖ルイ(1214-1270年、フランス王在位1226-没年)は、シラ書に書かれた次のことを実践しました。「偉くなればなるほど、自らへりくだれ。そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる」(シラ3・18)。『王子にあてた霊的遺言』の中で、聖ルイは述べます。「主が順境を与えてくださるならば、謙遜に感謝して受け、傲慢やその他の過ちに陥ってそのために悪くならないように警戒しなさい。神に反抗してはならず、恵みを受けたために罪を犯してしまうことのないようにしなければなりません」(Acta Sanctorum Augusti 5 [1868], 546)。
 親愛なる友人の皆様。今日わたしたちは洗礼者聖ヨハネの殉教も記念します。洗礼者聖ヨハネはもっとも偉大なキリストの預言者です。彼は救い主に場所を空けるために自分を捨てることができ、真理のために苦しみ、死んだからです。洗礼者聖ヨハネとおとめマリアに祈り求めようではありませんか。へりくだりの道を歩み、神の報いを受けるのにふさわしい者となれますように、わたしたちを導いてください。

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