教皇ベネディクト十六世の236回目の一般謁見演説 ビンゲンの聖ヒルデガルト

9月1日(水)午前10時30分から、夏季滞在先のカステル・ガンドルフォ教皇公邸前の広場で、教皇ベネディクト十六世の236回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、「ビンゲンの聖ヒルデガルト」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 1988年、「マリア年」にあたって、尊者ヨハネ・パウロ二世は使徒的書簡『女性の尊厳と使命』(Mulieris dignitatem)を著しました。この使徒的書簡は、教会生活の中で女性が過去に果たし、今も果たしている貴重な役割を考察しています。そこにはこう書かれています。「教会は、歴史の中に、すべての人々と国々で見られる女性の『才能』の現れに感謝します。神の民の歴史の中で、聖霊が女性に与えたカリスマに対し、また、信仰、希望、愛によって得ることのできた勝利、女性の聖性のすべての実りのために感謝します」(同31)。
 普通「中世」と呼ばれる歴史の時代においても、生活の聖性と豊かな教えにおいて際立った幾人かの女性がいます。今日はそのうちの一人の紹介を始めたいと思います。すなわち、12世紀のドイツで生きた、ビンゲンの聖ヒルデガルト(Hildegard von Bingen; Hildegardis Bingensis 1098-1179年)です。ヒルデガルトは1098年、ラインラントのアルツァイ近郊のベルマースハイムで生まれました。そして、生涯を通して虚弱だったにもかかわらず、1179年に81歳で亡くなりました。ヒルデガルトは貴族の大家族に生まれました。両親はヒルデガルトを生まれたときから神への奉仕のためにささげました。8歳のとき、適切な人文教育とキリスト教教育を受けるために、シュパーンハイムのユッタ(Jutta 1084-1136年)のもとにゆだねられました。このユッタはベネディクト会ディジボーデンベルク修道院で隠世修道生活を始めていました。当時、聖ベネディクトゥス(Benedictus de Nursia 480頃-547/560年頃)の『戒律』(Regula)に従って禁域で生活する小さな女子修道院が形成されつつあったのです。ヒルデガルトはバンベルクの司教オットー(Otto 1065頃-1139年、在位1102-没年)のもとで誓願を立てました。そして、1136年に共同体の長上となっていた修母ユッタが亡くなると、姉妹たちはヒルデガルトが後継者となるよう願いました。この任務を果たす際、ヒルデガルトは、教養ある女性としてのたまものから実りを生み、霊的に高められ、隠世修道生活の管理上の問題に権威をもって対応できました。数年後、修道院に入会しようと望む若い女性の数がますます増えたため、ヒルデガルトはビンゲンの聖ルーペルト(Rupert von Bingen 9世紀中葉)ゆかりの地ルーペルツベルクに新たな共同体を設立しました。ヒルデガルトはこの共同体で余生を過ごします。ヒルデガルトが権威をもって職務を果たしたやり方は、あらゆる修道共同体の模範となるものです。ヒルデガルトは善行において聖なる競争を行うよう促しました。そのため、当時の証言から分かるとおり、修母と修道女は互いに尊敬し奉仕し合うことにおいて競ったのです。
 ヒルデガルトは、すでにディジボーデンベルク修道院の長上だったときから、自分がときどき受けた神秘的な幻視を、霊的指導者の修道士フォルマル(Volmar von Disibodenberg 1173年没)と、自分の秘書で、彼女が深い愛情を注いだ修道女のシュトラーデのリヒャルディス(Richardis 1152年没)に語り始めました。真の神秘家の生涯につねに見られるとおり、ヒルデガルトも、自分の幻視の起源を識別するために知識のある人の権威に従おうと望みました。それは、幻視が幻想の産物で、神から出たものでないことを恐れたためです。そこでヒルデガルトは、当時教会内で最高の名声を得ていた人物であるクレルヴォーの聖ベルナルドゥス(Bernardus Claraevallensis 1090-1153年)に書簡を送りました。聖ベルナルドゥスについてはすでに何度か講話の中でお話ししました。聖ベルナルドゥスはヒルデガルトを安心させ、また励ましました。しかし、1147年、彼女はもう一つのきわめて重要な承認を得ました。トリーア教会会議(1147-1148年)を主宰していた教皇エウゲニウス3世(Eugenius III 在位1145-1153年)は、マインツ大司教ハインリヒ(Heinrich I 1090頃-1153年、在位1142-没年)が提出した、ヒルデガルトの口述テキストを読みました。そして教皇は、神秘家ヒルデガルトに対して、自分の幻視を書きとめ、公に語ることを認可したのです。このときからヒルデガルトの霊的名声はますます高まり、同時代の人々が彼女を「ドイツの女預言者(professa teutonica)」という称号で呼ぶまでになりました。親愛なる友人の皆様。あらゆるカリスマの源である聖霊による真の経験のしるしはこれです。超自然的なたまものを与えられた人は、決して誇らず、自慢せず、むしろ教会の権威に対する完全な従順を示します。実際、聖霊によって与えられるあらゆるたまものは、教会を築くことを目指します。また教会は、その司牧者を通して、これらのたまものの真正性を承認します。
 わたしは来週の水曜日にあらためてこの偉大な「女性預言者」についてお話しするつもりです。この「預言者」はわたしたち現代人にも深く今日的な意味をもって語りかけます。すなわち、時のしるしを読み取る勇気ある力をもって。その被造物への愛、医学、詩、現代において再現された音楽をもって。キリストと教会への愛をもって。教会は当時も苦しんでいました。当時も教会は、司祭と信徒の罪によって傷つけられていましたが、ヒルデガルトはなおさらいっそう教会をキリストのからだとして愛したのです。このように聖ヒルデガルトはわたしたちに語りかけます。それはまた来週の水曜日にお話ししたいと思います。ご清聴有難うございます。

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