教皇ベネディクト十六世の241回目の一般謁見演説 大聖ゲルトルート

10月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の241回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、大聖ゲルトルートについて解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。 […]


10月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の241回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、大聖ゲルトルートについて解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

なお、謁見の終わりに、イタリア語を話す巡礼者に向けたあいさつの中で、教皇は次のように述べました。
「最後に、若者、病者、新郎新婦の皆様にごあいさつ申し上げます。明日、教会はロザリオの聖母の記念日を祝います。10月はロザリオの月です。ロザリオの月は、キリスト者の民が深く愛してきたこの祈りを大切にするようにわたしたちを招きます。親愛なる若者の皆様。ロザリオを毎日の祈りとしてください。親愛なる病者の皆様。ロザリオを唱えることによって、ますます信頼をもって神のみ手に身をゆだねてください。親愛なる新郎新婦の皆様。ロザリオを通してキリストの神秘を絶えず観想してくださることを勧めます」。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日わたしが皆様にお話ししたい大聖ゲルトルート(Gertrud von Helfta; Gertrud die Große; Gertrudis de Helfta 1256-1301/1302年)は、今週もわたしたちをヘルフタ修道院に導きます。ヘルフタ修道院では女性によるラテン語とドイツ語の宗教文学の傑作のいくつかが生み出されました。ゲルトルートもこの世界に属します。ゲルトルートはもっとも有名な女性の神秘家の一人です。彼女は文化と福音の人だったがゆえに、ドイツで「大」を付して呼ばれる唯一の女性です。ゲルトルートの生涯と思想はキリスト教的霊性に独自の影響を与えました。ゲルトルートは特別な女性でした。彼女は特別な生まれつきの才能とともに、たぐいまれなたまものを与えられていました。すなわち、恵み、深い謙遜、隣人の救いのための熱意、観想による神との深い一致、貧しい人を進んで助けるたまものです。
 ゲルトルートはヘルフタで、師であるハッケボルンのメヒティルトといわば一貫して並び称されます。ハッケボルンのメヒティルトについては先週の水曜謁見でお話ししました。ゲルトルートはもう一人の中世の神秘家、マクデブルクのメヒティルトともかかわります。ゲルトルートは修道院長である(ハッケボルンの)ゲルトルートの優しくかつ厳しい母としての教育を受けて成長しました。この三人の修道女から、ゲルトルートはさまざまな経験と知恵の宝を与えられました。彼女は、主への限りない信頼をもって修道生活の道を歩むことによりこの宝を総合しました。ゲルトルートは豊かな霊性を、修道院の世界の中だけでなく、同時に何よりも聖書と典礼と教父とベネディクト会の世界の中で表現しました。それも、個人的な刻印と深い伝達力をもってです。
 ゲルトルートは1256年1月6日の公現祭の日に生まれました。けれども両親や生地についてはまったく知られていません。ゲルトルートはこう述べています。主ご自身が、わたしが初め根無し草となった意味を示してくださいました。「わたしは自分の住まいとして彼女を選んだ。なぜなら、彼女のうちにある好ましいものが皆、わたしのわざであることをわたしは喜びとするからだ。・・・・だからこそわたしは彼女をすべての親族から引き離した。なぜなら、だれも血のつながりのゆえに彼女を愛さず、わたしだけが彼女を動かす愛の理由となるためである」(『神の愛の使者』:Le Rivelazioni, I, 16, Siena 1994, pp. 76-77)。
 ゲルトルートは1261年、5歳のとき、当時の習慣に従って、養成と勉学のために修道院に入りました。ゲルトルートは終生、修道院で過ごしました。彼女は自分の人生のもっとも重要ないくつかの段階を指摘しています。回想録の中で、彼女はこう思い起こします。主は寛大な忍耐と限りない憐れみをもってわたしを守ってくださいました。そして、幼年と少女と青年の頃のことを大目に見てくださいました。彼女は述べます。この年月は「このように愚かに盲目に過ぎ去った。・・・・このように生まれながらにわたしに植えつけられていた悪に対する嫌悪と善の喜びによって、あるいは隣人たちの戒めによって、あなたがわたしをお守りくださらなかったら、・・・・わたしは何ごとにおいても本能の誘惑に従い、どこであれ許されるままに、思考とことばと行いになんら良心の悔いも抱かずにいたことだろう。わたしはそのように異教徒の一人として生きていただろう。・・・・ところが幼い頃、5歳の頃から、聖なる信仰の住まいに、つまりあなたのもっとも敬虔なる友の間に入る資格をわたしに与えようと、あなたは定めてくださったのだった」(同:ibid., II, 23, pp. 140s.〔小竹澄栄訳、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成15 女性の神秘家』平凡社、2002年、658頁〕)。
 ゲルトルートは並はずれた生徒でした。彼女は当時教えられた三学と四科の学科から学びうるすべてのことを学びました。彼女は学問に心を引きつけられ、熱心に根気強く世俗的な勉学に打ち込みました。そして期待をはるかに上回る成績を上げました。たとえその出自は何も分からなくても、彼女は若い頃、情熱を傾けたことについて多くを語ってくれます。文学、音楽と歌、細密画が彼女の心を捕らえました。彼女は強く、はきはきして、気短かで、向こう見ずな性格でした。自分はしばしば怠惰だったと彼女は述べています。彼女は自分の欠点を認め、謙遜にゆるしを願います。へりくだりのうちに、助言と、回心のための祈りを求めます。彼女の気性と欠点は、最後まで変わりませんでした。ある人が、なぜ主が彼女をそれほどまでに愛されるのかと不思議がったほどです。
 学生として過ごした後、彼女は修道生活に入って神に完全に自分をささげました。20年間は何も特別なことは起こりませんでした。勉学と祈りが彼女のおもな活動でした。その才能のゆえに、ゲルトルートは修友の中で際立っていました。彼女はさまざまな分野で粘り強く教養を深めました。しかし、1280年の待降節の間、彼女はこれらすべてのことに嫌気を覚え始めました。彼女は空しさを感じました。そして聖母の清めの祝日(2月2日、現在の主の奉献の祭日)の数日前の1281年1月27日、終課の頃、主は彼女の深い闇を照らしました。優しく甘美に、主は彼女を苦しめていた動揺を静めました。ゲルトルートはこの動揺は神が与えたものだと考えます。「この動揺は、わたしが担ってきた修道会の名と衣とに背いたわたしの傲慢さが心のうちに育んだ虚栄と好奇の塔を打ち倒そうとなさる、あなたのみ心によってかき立てられたものであった。このようにしてあなたはご自分の救いを示そうとなさったのだと、わたしは信じている」(同:ibid., II, 1, p. 87〔前掲小竹澄栄訳、614頁〕)。ゲルトルートは一人の若者の幻を見ました。この若者は彼女を手で抱え、導いて、彼女の魂を悩ませていた茨の垣を乗り越えさせてくれました。ゲルトルートはこの若者の掌に「あらゆる証書を廃棄したあの傷痕の輝かしい至宝」(同:ibid., II, 1, p. 89〔前掲小竹澄栄訳、615頁〕)を認めました。ゲルトルートは、十字架上でご自身の血によってわたしたちを救ってくださったかた、イエスを見いだしたのです。
 このときからゲルトルートの主と深く一致した生活は深まりました。この深まりは、待降節と降誕節、四旬節と復活節、聖母の祝日などの特に重要な典礼の季節に見られました。彼女が病気で歌隊席に行くことができない場合でもそうでした。典礼という「土壌」はゲルトルートの教師のメヒティルトと同じです。しかしゲルトルートはもっと単純かつ直線的、現実的なイメージ、象徴、ことばを用いて表現しました。そして、聖書、教父、ベネディクト会の著作をより直接に引用します。
 ゲルトルートの自伝は、彼女の固有の「回心」を定義づけるための二つの方向性を示します。一つは勉学です。勉学において、ゲルトルートは世俗的な人文的学問から神学へと徹底的に移行します。もう一つは修道生活です。修道生活において、ゲルトルートは自ら怠惰だったという生活から、特別な宣教的情熱を伴う、深く神秘的な祈りの生活へと移行します。主は彼女を母の胎内にいるときから選び、幼いときから修道生活の宴にあずからせました。この主が、恵みによって、「外的な事物から内的生活へと、地上的な関心から霊的なことがらへと」彼女をあらためて招いたのです。ゲルトルートは自分が主からかけ離れていることを悟りました。聖アウグスティヌスはこれを「似ても似つかぬ境地」と呼びます。自由学芸、すなわち人間の知恵をあまりにも熱心に学んでいた彼女は、霊的な学知をないがしろにし、まことの知恵の味わいを奪われていました。今や彼女は観想の山へと導かれます。この観想の山で、彼女は古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着けます。「彼女は文法学者から神学者になり、自分が所有し、入手しうるかぎりのあらゆる聖なる書物をうむことなく熱心に読んだ。そして彼女は聖書のもっとも有益で甘美な意味によって心を満たした。それゆえ彼女は、霊感を受けた教えのことばをいつも使うことができた。このことばによって、彼女は助言を求めて来る人を満足させた。また彼女は、あらゆる誤った意見に反論し、反対する者の口を黙らせるのにふさわしい聖書のことばも知っていた」(同:ibid., I, 1, p. 25)。
 ゲルトルートはこれらすべてのことを使徒職に生かしました。彼女は信仰の真理をはっきりと単純な形で、恵みと説得力をもって、書き、伝えようと努めました。そして愛と忠実をもって教会に仕えました。こうして彼女は神学者にも敬虔な人々にも役立ち、受け入れられました。ゲルトルートの多くの著作のうちで現存するものはわずかです。その一つの原因は、ヘルフタ修道院を破壊に導いた出来事です。『啓示』(Revelationes Gertrudianae et Mechtildianae)とも呼ばれる『神の愛の使者』(Legatus divinae pietatis)のほかには、『霊的修行』(Exercitia spiritualia)という、珠玉の霊的・神秘的著作が伝存しています。
 修道生活において聖ゲルトルートは「揺るぎない柱・・・・正義と真理のもっとも堅固な擁護者」(同:ibid., I, 1, p. 26)でした。伝記作者が述べるとおりです。ゲルトルートはことばと模範をもって他の人々の熱意をかき立てました。ゲルトルートは、修道規則に定められた祈りと悔い改めに、神に献身し、信頼をこめて身をゆだねることを加えました。ゲルトルートに会い、彼女のうちに主の現存を感じた人々に、彼女はこうした態度を促しました。そして実際に、神ご自身が、ご自分の恵みの道具として彼女を招いたことを彼女に悟らせました。ゲルトルートは自分が神の貴い宝にふさわしくないと感じました。彼女は自分がこれを守り、大切にしてこなかったと告白しています。彼女は大声で叫んでいいます。「このように取るに足りないわたしは、たとえあなたの形見として麻の屑糸しか賜わらなかったとしても、最大の注意と敬意とを払ってそれを取り扱わねばならなかったであろうに」(同:ibid., II, 5, p. 100〔前掲小竹澄栄訳、624頁〕)。しかし、自分が貧しくふさわしくないことを認めながら、彼女は神のみ心に従います。ゲルトルートはいいます。「わたしがあなたのたまものをいかばかり役立てられなかったかを思うにつけ、そのたまものがただわたし一人にだけこのように授けられていたなどとは、どうしても信じられなかった。なぜなら、あなたの永遠の神智は、どんな人からも遠ざけられえないからである。それゆえ、たまものの贈り主よ、あなたはこのように無償に惜しみなくわたしを満たしてくださったが、さらに、少なくともあなたの友人たちの一人の心がこれを読み、魂への献身的な愛ゆえにあなたがかくも久しくわたしの汚泥のうちに王にもふさわしいこの貴い宝玉を置き続けられたことを知って、あなたに同情の思いを抱くのをお許しください」(同:ibid., II, 5, pp. 100s.〔前掲小竹澄栄訳、625頁〕)。
 ゲルトルートは他の何ものにもまして特に二つのたまものを愛しました。ゲルトルート自身が次のように述べているとおりです。「わたしの心にあなたの救いの傷の輝かしい刻印を刻みつけてくださったこと、そしてこれに加えて、愛の傷痕をかくも明らかに、かくも効果的にわたしの心に印してくださったことである。というのも、眼に見える形であれ内面的にであれ、ほかにこれ以上の慰めを授けてくださらなかったとしても、これら二つのたまものだけですでにあなたは、万一わたしが千年生きようとも、一瞬ごとにそのたまものの汲み尽くせぬほど溢れ出る慰めと教えと感謝とを受けられるであろうという、限りない至福をわたしにお与えになっておられるからだ。そのうえあなたはわたしの歓びをいっそう高めるためにさまざまな好意溢れる方法であのもっとも貴い神性の小匣(こばこ)を授けてくださり、これらのたまものにあなたのかけがえない友情の親密さを付け加えられたのだった。つまり、あなたの神のみ心・・・・が分かち与えられたのである。・・・・あなたはこれらの恵みをさらに積み重ねられるために、あなたの最愛の母、至福なる聖母マリアをわたしの監督者となさった。そして実に繁くわたしを彼女の愛情に優しく託された。まるで誠実なる夫が己の母親に愛する妻をゆだねるがごとくに」(同:ibid., II, 23, p. 145〔前掲小竹澄栄訳、661-662頁〕)。
 終わりのない交わりを待ち望みながら、ゲルトルートは1301年ないし1302年の11月17日に地上の生涯を終えました。亨年約46歳でした。死の準備である第7の修行の中で、聖ゲルトルートはこう述べます。「ああイエスよ。わたしがこよなく愛するかた。いつもわたしとともにいてください。わたしの心がいつもあなたのもとにとどまり、あなたの愛がわたしを隈なく満たし、わたしの臨終があなたによって祝福されますように。こうしてわたしの霊は肉のきずなから解き放たれ、ただちにあなたのうちに安らぎを見いだすことができるのです。アーメン」(『霊的修行』:Esercizi, Milano 2006, p. 148)。
 次のことは明らかだと思われます。以上述べたことは単なる過去のことではありません。むしろ、聖ゲルトルートの生涯は、キリスト教的生活と正しい道の学びやであり続けます。そして、わたしたちに次のことを示してくれます。幸福な生活、まことのいのちの中心は、主イエスとの友愛です。わたしたちはこの友愛を、聖書を愛すること、典礼を愛すること、深く信じること、マリアを愛することによって学びます。こうしてわたしたちはますます神ご自身を本当に知るようになり、そこから、わたしたちの人生の目的である、まことの幸福を知るようになるのです。ご清聴有難うございます。

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