教皇ベネディクト十六世の2010年10月24日の「お告げの祈り」のことば 中東特別シノドスの閉幕

教皇ベネディクト十六世は、年間第30主日の10月24日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。
この日、教皇は午前9時30分からサンピエトロ大聖堂で、10月10日(日)から24日(日)までバチカンで開催された第1回中東特別シノドスの閉会ミサをささげました。このミサとそれに続く「お告げの祈り」のことばの中で、教皇は、次回第13回シノドス(世界代表司教会議)通常総会を2012年に「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」をテーマとして開催することを発表しました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今朝、サンピエトロ大聖堂でささげた荘厳な感謝の祭儀をもって世界代表司教会議(シノドス)中東のための特別総会が終わりました。このシノドスのテーマは「中東のカトリック教会――交わりとあかし」でした。さらに今日の主日は「世界宣教の日」でもあります。今年の「世界宣教の日」のテーマは「教会の交わりを築くことが福音宣教の鍵」です。この二つの教会の行事のテーマが類似していることは印象的です。二つのテーマはともに、交わりの神秘である教会に目を向けるように招きます。教会は本来、すべての人、全人類へと向かうものです。神のしもべ教皇パウロ六世はこう述べます。「教会はまさに福音をのべ伝えるために存在しています。すなわち、神のことばを説き、教え、恩恵を与える手段となり罪人を神に立ち帰らせ、キリストの死と栄光ある記念であるミサによってキリストのいけにえを永続させるために教会は存在しているのです」(使徒的勧告『福音宣教(1975年12月8日)』14:Evangelii nuntiandi, AAS 68 [1976], p. 13)。そのため2012年のシノドス通常総会は「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」をテーマとして行われます。教会は、いつの時代にも、どのような場所においても(現代の中東においても)、すべての人を受け入れ、キリストによって完全ないのちを人々に与えるために存在し、活動します。イタリア・ドイツの神学者ロマーノ・グアルディーニ(1885-1968年)が次のように述べるとおりです。「『教会』という存在は、キリスト者であるということを完全に表す。『教会』は、神との関係のうちにある人間を完全に包含すればするほど、歴史の中で発展する」(Formazione liturgica, Brescia 2008, 106-107)。
 親愛なる友人の皆様。今日の典礼の中で、主が終わりの日に与えてくださる報いに関する聖パウロのあかしが朗読されます。主はこの報いを「主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます」(二テモテ4・8)。ここでいわれる期待は、何もせずに独りきりで期待することではありません。むしろその反対です。使徒パウロは復活したキリストとの交わりを体験しました。それは「福音があまねくのべ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるため」(二テモテ4・17)です。宣教活動は世界革命ではありません。むしろそれは、イエス・キリストに力づけられながら世界を造り変えることです。イエス・キリストは「わたしたちをことばの食卓と聖体の食卓へと呼び集めます。それは、わたしたちがご自身の現存というたまものを味わい、ご自身の学びやで陶冶され、わたしたちの師であり主であるご自身とますます親しく一致して生きるためです」(「第84回(2010年)『世界宣教の日』メッセージ」)。『ディオグネトスへの手紙』に書かれているように、現代のキリスト者も「驚くべき、そしてまったくのところ奇妙な性格の生き方を示している。地上にとどまってはいるが、天に市民権をもっている。定められた法律に従うが、自分の生活では法律に打ち勝っている。有罪とされており、殺されるが、生かされる。善事を行っているのに、・・・・迫害される。罰せられることによって、むしろ日ごとに増える」(『ディオグネトスへの手紙』:Epistula ad Diognetum V, 4. 9. 12; VI, 9, SC 33, Paris 1951, 62-66〔佐竹明訳、荒井献編『使徒教父文書』講談社、1998年、267―269頁〕)のです。
 おとめマリアは、十字架につけられたイエスから、イエスを信じ、イエスに従おうと望むすべての人の母となるという新しい使命を受けました。このかたに中東のキリスト教共同体とすべての福音の宣教者をゆだねます。

略号
AAS Acta Apostolicae Sedis
SC Sources Chrétiennes

PAGE TOP