教皇ベネディクト十六世の246回目の一般謁見演説 スペイン司牧訪問を振り返って

11月10日(水)午前10時30分から、サンピエトロ大聖堂とパウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の246回目の一般謁見が行われました。教皇はまずサンピエトロ大聖堂で、カルピネト・ロマーノとチェコ共和国からの巡礼者との謁見を行いました。その後、教皇はパウロ六世ホールに移動し、そこで、11月6日(土)から7日(日)に行ったスペイン司牧訪問を振り返りました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日は、先週の土曜日から日曜日にかけて行うことができたサンティアゴ・デ・コンポステーラとバルセロナへの使徒的訪問を、皆様とともに振り返りたいと思います。同地へ赴いたのは、わたしの兄弟たちの信仰を強めるためでした(ルカ22・32参照)。わたしは復活したキリストの証人として、希望の種をまく者として、同地にまいりました。希望は失望させることも欺くこともありません。希望の源は、すべての人に対する限りない神の愛だからです。
 まず訪れたのはサンティアゴでした(11月6日)。歓迎式典のときから、わたしは、スペイン国民がペトロの後継者に抱いている愛情を感じることができました。わたしは本当に深い興奮と熱意をもって迎え入れられました。今年の「コンポステーラ聖年」に、わたしは、有名な巡礼所であるサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう大勢の人々とともに巡礼者となることを望みました。わたしは「使徒大ヤコブの家」を訪れることができました。使徒大ヤコブは、恵みを求めてこの地を訪れる人々に繰り返して述べ続けます。神はキリストにおいて世に来られました。それは、罪をとがめることなく、人々をご自分と和解させるためです。
 わたしは壮麗なコンポステーラ大聖堂で、感動をもって伝統的な聖人の抱擁を行いながら思いました。この歓迎と友愛の仕草が、どれほど聖人のことばに従い、その宣教に参加することをも表していることかと。それは、使徒のメッセージに力づけられることを望むしるしです。このメッセージは、使徒たちが伝えた福音を忠実に守り、それを変えたり、縮めたり、他の利害に屈服させたりする誘惑に負けないようにと促します。同時にそれはわたしたち皆を、社会のあらゆる領域で、ことばと生活のあかしによって、キリストへの信仰をうむことなく知らせる者に造り変えます。
 わたしは深い喜びをもってサンティアゴで荘厳なミサをささげました。ミサにあずかった多くの巡礼者を前にして、わたしは次のことを考察しました。多くの人に、日々の仕事を捨てて、コンポステーラへの悔い改めの道を(この道は時には長く労苦が多いにもかかわらず)歩ませたのは何か。それは、キリストの光に達したいという望みです。たとえことばで十分に言い表すことができなくても、人々はこのキリストの光に心の奥底からあこがれているからです。失意のとき、何かを探し求めるとき、困難なときに、また、信仰を強め、より一貫した生き方をしたいと望んで、サンティアゴ巡礼者たちはキリストへの回心のための長い旅路を歩みます。キリストは、人類の弱さと罪と世の苦しみを身に負って、それらを、悪がもはや力を振るうことができず、いつくしみの光がすべてのものを照らすところへともたらします。世界中から来た、沈黙のうちに歩む巡礼者が、カトリック信仰に満たされた村や町を回りながら、巡礼というキリスト教中世以来の伝統を再発見しています。
 多くの信者が深い信心をもってあずかった荘厳な感謝の祭儀の中で、わたしは心をこめて願い求めました。サンティアゴ巡礼者がキリストのまことの証人となる恵みを得ることができますように。彼らは、コンポステーラに向かう意味深い道で、キリストを再発見したからです。わたしはまたこう祈りました。何世紀にもわたって「サンティアゴへの道」を歩んできた多くの聖人の跡に従う巡礼者が、真の意味での宗教、霊性、悔い改めを生き生きと保ち続け、凡庸、逸脱、流行に屈することがありませんように。広大な地域を走る道が織りなす「サンティアゴへの道」は、イベリア半島とヨーロッパ全体を結ぶネットワークを形づくります。この道は、昔も今も、さまざまなところから来る人々の出会いの場となっています。そして、信仰と自己に関する真理への探求で結ばれた彼らのうちに、分かち合いと友愛と連帯の精神を呼び覚まします。
 キリストへの信仰こそが、コンポステーラという特別な霊的場所に意味を与えます。だからコンポステーラは、新たな形と展望をもつ現代ヨーロッパにとっての基準であり続けます。超越への開かれた心を保ち、強めること、信仰と理性、政治と宗教、経済と倫理の間で豊かな対話を行うこと――このことによって、ヨーロッパは、欠くことのできない自らのキリスト教的起源に忠実に従いながら、世における自己の召命また使命に完全にこたえることができるのです。だからわたしは、ヨーロッパ大陸の大きな可能性と、希望に満ちた未来に確信と信頼を抱きながら、ヨーロッパにこう願ったのです。神にますます心を開いてください。そこから、他の大陸の人と文明との、尊敬と連帯心に満ちた真の出会いを可能にしてください。
 続く日曜日(11月7日)、バルセロナで、わたしは本当に深い喜びをもってサグラダ・ファミリア聖堂の献堂式を司式しました。わたしはこの聖堂を「小バシリカ」と宣言したのです。この建造物の壮麗さと美しさ(それは人が目と魂を天におられる神へと上げるように招きます)を仰ぎ見ながら、わたしはさまざまな偉大な宗教建築を思い起こしました。たとえば中世のカテドラルです。カテドラルはヨーロッパの主要都市の歴史と外観を深く特徴づけました。アントニ・ガウディ(1852-1926年)の深い信仰と霊的感性と芸術的才能が生み出した、大きな石の彫刻ともいえる、この壮大な作品(それは宗教的象徴に満ち、形の組み合わせにおいて優れ、光と色彩効果によって心を奪います)は、人をまことの巡礼所へと、すなわち、まことの礼拝をささげる場である天へと導きます。キリストはこの天に入り、わたしたちのために神のみ前に現れてくださったのです(ヘブライ9・24参照)。天才芸術家ガウディは、この偉大な神殿の中で、教会の神秘を驚くべき形で示すことができました。洗礼を受けた信者は、生きた石としてこの教会に組み入れられ、霊的な家を造り上げます(一ペトロ2・5参照)。
 ガウディは、サグラダ・ファミリア聖堂をイエス・キリストについての大カテケージスとして、創造主への賛歌として構想し、設計しました。ガウディはこの壮麗な建物において、自分の才能を美への奉仕のためにささげました。実際、美的な形とモチーフのもつ特別な象徴的表現力と、革新的な芸術・彫刻技術は、あらゆる美の最高の源泉であるかたへと目を向けさせてくれます。有名な建築家ガウディはこの作品を使命と考え、全人格をそこに投入しました。この聖堂を建設する任務を引き受けたときから、ガウディの生き方は大きく変わりました。こうしてガウディは祈りと断食と清貧を熱心に実践し始めました。物質によって神のはかりしれない神秘を表現するために、自らを霊的に整えなければならないと感じたからです。こういうこともできます。ガウディが聖堂建設のために働いていたとき、神は彼のうちに霊的な建物を建て(エフェソ2・22参照)、彼の信仰を強め、ますますキリストに近づかせたのです。絶えず造り主のわざである自然から霊感を受け、熱心に聖書と典礼を知ろうと努めたガウディは、バルセロナの町の中心に、神にふさわしく、それゆえ人間にもふさわしい建物を造り上げることができたのです。
 わたしはバルセロナで、「神なる幼子(ネン・デウ)」社会福祉事業も訪れました。これは、大司教区との深い結びつきのもとに、100年以上前に設立された事業です。そこでは能力の異なる子どもと若者が、専門的技術と愛をもって世話を受けています。この子どもと若者のいのちは神のみ前で尊いものです。彼らのいのちは、わたしたちが絶えず利己主義から遠ざかるように招きます。わたしはこの家で、聖心のフランシスコ姉妹会の喜びと深く限りない愛、そして、この施設でほむべきしかたで献身的に働く医師、教師、多くの専門家とボランティアの惜しみない活動に触れました。わたしはこの施設の一部となる新しい居住棟の礎石を祝福しました。この施設ではすべてのものが、愛と、人格とその尊厳の尊重と、深い喜びとを語ります。なぜなら、人間の価値は存在することにあるのであって、何を行うかにあるのではないからです。
 バルセロナにいる間、わたしは家庭のために心から祈りました。家庭は社会と教会の生きた細胞であり、希望だからです。わたしは特にこの深刻な経済不況の中で苦しむ人々のことも思い起こしました。わたしは若者の皆様にも心をとめました。若者たちはサンティアゴとバルセロナ訪問の間中、熱意と喜びをもってわたしに同伴してくださったからです。どうか彼らが結婚のすばらしさと価値と務めを見いだすことができますように。男と女は結婚によって家庭を築きます。家庭は寛大な心をもって新しいいのちを受け入れ、受精から自然死に至るまでこのいのちとともに歩むのです。結婚と家庭を支えること、貧しい人を助けること、人間の偉大さとその不可侵の尊厳を守ること――これらすべてのことが、社会を完成するために役立ちます。これらのことに関連して行ういかなることもむだにはなりません。
 親愛なる友人の皆様。サンティアゴ・デ・コンポステーラとバルセロナで充実した日々を過ごせたことを神に感謝します。(フアン・カルロス一世)スペイン国王と(ソフィア・デ・グレシア)王妃、(フェリペ)アストゥリアス公とすべての政府当局者にあらためて感謝申し上げます。サンティアゴ・デ・コンポステーラとバルセロナの二つの部分教会の兄弟である大司教とその協力者のかたがた、これら二つのすばらしい町へのわたしの訪問が実り豊かなものとなるために惜しまず働いてくださったかたがたにもあらためて心から感謝します。この忘れることのできない二日間はわたしの心にいつまでも残ることでしょう。特に二回の感謝の祭儀(この注意深く準備された感謝の祭儀には信者全員が熱心にあずかりました。信者たちはまた、教会の偉大な音楽的伝統からとった聖歌と、現代の才能ある作曲家の作った聖歌を歌ってくださいました)は、真の心の喜びのときでした。神がご自身のみがご存じのしかたですべてのかたがたに報いを与えてくださいますように。至聖なる神の母と使徒聖ヤコブがそのご保護をもってこのかたがたとともに歩んでくださいますように。神が望まれるなら、来年、わたしはWYD(ワールドユースデー)のために再びスペインのマドリードにまいります。今からわたしは、この摂理的な行事を皆様の祈りにゆだねます。WYD(ワールドユースデー)が多くの若者にとって信仰を深める機会となりますように。

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