教皇ベネディクト十六世の2010年11月14日の「お告げの祈り」のことば 農業労働について

教皇ベネディクト十六世は、年間第33主日の11月14日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタ […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第33主日の11月14日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「このときにあたり、わたしは愛するハイチ国民にあらためて寄り添いたいと思います。今年1月、恐るべき地震に見舞われたハイチ国民は、今、コレラの流行で苦しんでいるからです。この新たな緊急事態に対応しようと努めるすべての人を励まします。そして、ハイチ国民をわたしが祈りの中でとくに心にとめることを約束するとともに、彼らを惜しみない心で支援してくださるよう国際社会に呼びかけます。
 来る11月27日の土曜日、サンピエトロ大聖堂で、わたしは待降節第一主日前晩の祈り、また『出生前のいのちのための祈り』を司式します。この祈りは全世界の部分教会とともに行われます。わたしはこの祈りを小教区、修道共同体、キリスト信者の会、運動団体でも行ってくださるよう勧めます。聖なる降誕を準備する時期は、この世に生まれるよう招かれたすべての人間を神が守ってくださるよう祈り求め、また、両親から受けたいのちのたまものを神に感謝するためのよい機会です」。
2010年1月12日に巨大地震に見舞われたハイチでは、コレラの感染が拡大し、ハイチ保健省によるとコレラによる死者は796人に達しています。国連は、感染者が20万人に達する可能性を想定し、11月12日、約1億6400万ドル(約135億円)の援助を国際社会に要請しました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日の典礼の第二朗読の中で、使徒パウロは、人間の生活にとっての労働の重要性を強調します(二テサロニケ3・7-12参照)。わたしたちはこのことを「感謝の日」によっても思い起こさせられます。イタリアでは、収穫期の終わりに神に感謝するために、恒例に従い、今日の11月の第二日曜日にこの「感謝の日」を祝います。もちろん他の地域では収穫の時期は異なりますが、今日わたしは聖パウロのことばを手がかりとして、とくに農業労働についてすこし考えてみたいと思います。
 最近(11月11日から12日まで韓国・ソウルで)行われたいわゆるG20 会議(20か国・地域首脳会合)でも取り上げられた今の経済危機を、きわめて深刻なものとして考えなければなりません。経済危機には多くの原因があります。またそれは世界経済の発展モデルの深い見直しを強く求めています(回勅『真理に根ざした愛』21参照)。経済危機という新たな症状は、すでによく知られた、きわめて深刻な症状に新たに付け加えられたものだといえます。すなわち、変わることのない貧富の格差、飢餓の問題、生態系の危機、そして今やどこにでも見られる失業問題です。こうした状況の中で、農業戦略の見直しが決定的に重要になっています。実際、産業化の過程はときとして農業分野を覆い隠してきました。こうして農業分野は、現代の科学技術から恩恵を得ているにもかかわらず、文化の次元においても重要性を失いました。わたしは、今は農業を再評価すべき時だと思います。それは懐古的な意味でいうのではなく、それが将来のために不可欠な手段だからです。
 現在の経済状況において、経済の活性化にとって誘惑となるのは、有利な同盟関係を結ぶことです。しかし、それは、多くの人々の極度の貧困状況を長期化し、地球の天然資源を枯渇させることによって、他の貧困国に深刻な影響をもたらす可能性があります。天然資源は、創世記が述べるとおり、人間がそれを耕し、守るよう(創世記2・15参照)、創造主である神が人間にゆだねたものです。さらに、経済危機にもかかわらず、すでに産業化した国々では、持続不可能な消費を特徴とする生活様式が相変わらず奨励されています。こうした生活様式は環境にも貧困にも悪影響を与えます。それゆえ、真に一致したしかたで、農業と産業とサービスの新たな均衡を目指す必要があります。それは、発展を持続可能なものとし、だれもパンと仕事にこと欠くことがなく、空気と水を初めとした一次資源が普遍的な富として保全されるためです(回勅『真理に根ざした愛』27参照)。そのために不可欠なのは、現代のきわめて複雑な諸問題に対応しうる、明確な倫理意識を深め、広めることです。すべての人は、より賢明で責任ある消費に向けて自らを教育すべきです。農業活動という社会的次元を含み、人々の受け入れ、連帯、労働の分担といった永遠の価値に根ざした、個人の責任感を推進しなければなりません。少なからぬ若者がすでにこうした道を選択しています。大学を卒業した多くの人も農業事業へと戻ってきています。彼らはこう感じています。自分は単に個人や家族の必要にこたえているだけではない。むしろ、「時のしるし」、すなわち「共通善」の具体的な感覚にこたえているのだと。
 おとめマリアに祈りたいと思います。この考察が国際社会への刺激として役立ちますように。そして、大地と人間の労働の実りを神に感謝したいと思います。

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