教皇ベネディクト十六世の249回目の一般謁見演説 イングランドの神秘家、ノリッジのジュリアン

12月1日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の249回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2010年9月1日から開始した「中世の女性の神秘家」に関する連続講話の第12回 […]


12月1日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の249回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2010年9月1日から開始した「中世の女性の神秘家」に関する連続講話の第12回として、「イングランドの神秘家、ノリッジのジュリアン」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇はイタリア語で次のように中国の教会のための祈りを呼びかけました。
「皆様と全世界のカトリック信者の祈りに中国の教会をゆだねたいと思います。ご存じのように、中国の教会は特別に困難なときを体験しています。キリスト信者の助けである聖なるおとめマリアに願い求めたいと思います。わたしが心から愛する中国の全司教を支えてください。彼らが勇気をもって信仰をあかしし、わたしたちが待ち望んでいる救い主にまったき希望を置くことができますように。さらにおとめマリアに、愛する中国のすべてのカトリック信者をゆだねたいと思います。マリアの執り成しによって、彼らが普遍教会との交わりのうちに真のキリスト教的生活を実現することができますように。そして、高貴な中国国民の一致と共通善にも貢献することができますように」。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 わたしは今も大きな喜びをもって、9月に行った英国司牧訪問を思い起こします。イングランドは多くの有名な人々を生み出した地です。この人々はそのあかしと教えによって教会史を美しく飾りました。これらの人々の一人で、カトリック教会からも聖公会からも崇敬されているのが、神秘家ノリッジのジュリアン(Julian of Norwich 1342-1416年以降)です。今日はこの神秘家についてお話ししたいと思います。
 ノリッジのジュリアンの生涯についての(多くはない)情報は、おもにある書物から得られます。『神の愛の啓示』(Revelations of Divine Love)という標題のこの本の中に、この優しく敬虔な女性は自分の幻視の内容をまとめました。ジュリアンは1342年から1430年頃まで生きたことが知られています。それは教会にとっても民衆の生活にとっても苦難の時期でした。教会は、アヴィニョンからローマに教皇が帰還した後、教会分裂によって引き裂かれたからです。また民衆は、イングランド王国とフランス王国の間の長い戦争の惨禍をこうむっていたからです。しかし神は、試練のときにも、ノリッジのジュリアンのような人物を生み出し続けます。それは、人々を平和と愛と喜びへと呼び戻すためです。
 本人が述べているとおり、1373年5月のおそらく13日に、ジュリアンは突然重い病気にかかり、3日間の間、死んでいたかのように思われました。病床を訪れた司祭が十字架を示すと、ジュリアンはただちに健康を回復しただけでなく、16の啓示を受けました。彼女はそれらの啓示を次々に自分の著作『神の愛の啓示』に書き記し、解説を加えました。そしてまさに主ご自身が、これらの特別な出来事が起きてから15年後、啓示の意味を彼女に示しました。「あなたは、あなたの主が何をいおうとしたかを知りたいか。この啓示の意味を理解したいか。よく知りなさい。主がいおうとしたのは愛である。このことをあなたに示したのはだれか。愛である。主はなぜあなたにこれを示したのか。愛のゆえにである。・・・・それゆえ、わたしたちの主とは愛であることを学びなさい」(『神の愛の啓示』:Il libro delle rivelazioni, cap. 86, Milano 1997, p. 320)。
 ジュリアンは神の愛に促されて、徹底的な決断を行いました。古代の隠遁者と同じように、彼女は、ノリッジの町の聖ジュリアンにささげられた聖堂のそばにある修室の中に住もうと決めました。当時ノリッジはロンドンの近くにある重要な中心都市でした。死ぬまでの長い間この聖堂のそばに住んだジュリアンは、おそらくこの聖堂がささげられた聖人の名からジュリアンという名前をとったと思われます。わたしたちは(当時の呼び方に従って)「隠遁者」として生きるというこの決断に驚き、とまどいすら覚えるかもしれません。しかし、このような生き方を選んだのはジュリアンだけではありませんでした。中世期、多くの数の女性が、自分たちのために作られた戒律――たとえば、リーヴォーのアエルレドゥス(Aelredus Rievallensis 1110-1167年)が書いた戒律――を守りながら隠遁生活を行いました。隠遁修道女ないし「隠遁者」は、自分の修室の中で、祈りと黙想と研究に身をささげました。こうして彼女たちは繊細な人間的・宗教的感性を深め、そのために人々から崇敬されました。男女を問わず、助言と慰めを必要とするあらゆる世代と身分の人々が彼女たちのもとを熱心に訪ねました。それゆえ、隠遁生活は個人主義的な生き方ではありませんでした。このように主のそばにいることによって、隠遁者のうちで、多くの人に助言を与え、この世で困難を抱えている人々を助ける力も強められたのです。
 ジュリアンも多くの人の訪問を受けたことが知られています。当時のもう一人の熱心なキリスト信者の女性マージェリー・ケンプ(Margery Kempe 1373頃-1438年以降)の自伝が述べているとおりです。マージェリー・ケンプは、自分の霊的生活に関する助言を受けるために1413年にノリッジに赴きました。そのため、ジュリアンは生前から、その亡骸を納めた墓の墓碑銘に書かれているように、「マザー・ジュリアン(Mother Julian)」と呼ばれました。ジュリアンは多くの人にとっての母となったのです。
 神の友として生きるために隠世する人々は、まさにこの決断によって、他の人々の悲しみと弱さに共感する深い感覚を身に着けます。神の友である彼らは、自分たちがそこから離れた世がもっていない知恵をもち、自分たちのもとを訪れる人々にこの知恵を寛大に分かち与えます。それゆえわたしは、感嘆と感謝の念をもって男子・女子の隠世修道院に思いを致します。隠世修道院は、現代にあってこれまでにまして平和と希望のオアシスとなり、全教会の貴重な宝となっています。それはとくに、これらの修道院が、神を第一に優先すべきこと、信仰の歩みにとって絶えざる深い祈りが大切であることを思い起こさせてくれるからです。
 ノリッジのジュリアンはまさに神とともに独住生活を送る中で、『神の愛の啓示』を著しました。『神の愛の啓示』には2つの版があります。おそらくより古いと思われる短い版と、長い版です。この書物の内容は、神に愛され、神の摂理に守られているという確信に基づく楽観的なメッセージです。この書物には次のような驚くべきことばが書かれています。「わたしには絶対的な確信をもって次のことが分かった。・・・・神はわたしたちをお造りになる前から、絶えることも消えることもない愛をもってわたしたちを愛してくださった。また神は、この愛のうちにすべてのわざを行われた。この愛のうちに、すべてのものがわたしたちに役立つようにしてくださった。そして、この愛のうちにわたしたちのいのちは永遠に続くのである。・・・・この愛のうちにわたしたちは始まる。わたしたちはこのことをすべて終わりのない神のうちに見いだす」(『神の愛の啓示』:op. cit., cap. 86, p. 320)。
 神の愛というテーマは、ノリッジのジュリアンの幻視の中にしばしば現れます。彼女はある種の大胆さをもって、神の愛を母の愛にたとえることもためらいません。これはジュリアンの神秘神学のきわめて特徴的なメッセージの一つです。わたしたちに対する柔和で気遣いに満ち、優しい神のいつくしみはきわめて深いので、それは地上を旅するわたしたちにわが子に対する母の愛を思い起こさせます。実際、聖書の預言者も、ときには、神の愛が優しく、深く、すべてに及ぶということばを用いることがあります。神の愛は創造と救いの歴史全体の中で示されます。そして、御子の受肉において頂点に達しました。しかし、神はつねにあらゆる人間的な愛を凌駕します。預言者イザヤがいうとおりです。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子をあわれまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」(イザヤ49・15)。ノリッジのジュリアンは霊的生活にとっての中心的なメッセージを理解していました。神は愛です。そして、わたしたちが完全に、まったき信頼をもってこの愛に心を開き、人生の唯一の導きとするとき、初めてすべてのことが造り変えられます。わたしたちはまことの平和と喜びを見いだします。そしてこのことを自分の周りに広げることができるようになるのです。
 もう一つのことを強調したいと思います。『カトリック教会のカテキズム』は、すべての信者にとって怒りのもととなり続ける一つの問題に関するカトリック信仰を解説する際に、ノリッジのジュリアンのことばを引用します(同304-314参照)。もし神が最高善で最高の知恵であるなら、なぜ悪や罪もない人の苦しみが存在するのでしょうか。聖人も、そして聖人であればこそ、この問いを自らに問いかけました。聖人たちは信仰に照らされて、次の答えをわたしたちに与えてくれます。この答えはわたしたちの心を信頼と希望へと開きます。摂理の不思議な計画の中で、神は悪からさえもいっそう大きな善を引き出します。ノリッジのジュリアンが述べたとおりです。「神の恵みによって学んだことですが、わたしは信仰をしっかり守り、最後はすべてがよくなることを固く完全に信じなければなりません」(『神の愛の啓示』:op. cit., cap. 32, p. 173)。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。そうです。神の約束はつねにわたしたちの期待よりも偉大です。神に信頼してください。わたしたちの心のもっとも純粋で深い望みである、神のはかりしれない愛に信頼してください。そうすれば、わたしたちは決して失望することがありません。「すべてはよくなります」。「すべてのことは善のために存在します」。これが、ノリッジのジュリアンがわたしたちに伝える最終的なメッセージです。わたしも今日これを皆様に示します。ご清聴ありがとうございます。

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