教皇ベネディクト十六世の2011年1月2日の「お告げの祈り」のことば みことばの受肉

教皇ベネディクト十六世は、1月2日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語とスペイン語) […]


教皇ベネディクト十六世は、1月2日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語とスペイン語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「昨夜、エジプトのアレキサンドリアで起きた、コプト・キリスト教会共同体に対する大規模な攻撃の知らせを聞き、悲しみを覚えています。この卑劣な殺害行為は、退去を余儀なくさせるために今やイラクのキリスト者の家の近くにも仕掛けられた爆弾による殺害と同様、神と人類全体に背くものです。人類は昨日、平和を祈りながら、希望をもって新年を始めたばかりだからです。キリスト信者を対象とし、結果としてすべての人に被害を与えたこの暴力的な戦略を前にして、わたしは犠牲者とご遺族のために祈るとともに、教会共同体を励まします。福音に由来する信仰と非暴力のあかしのうちに忍耐強くとどまってください。わたしは2010年に世界のさまざまな場所で殺害された数多くの司牧者にも思いを致します。わたしたちは彼らのことも同じように主の前で愛をもって思い起こします。わたしたちの希望であり平和であるキリストのうちに一致し続けようではありませんか」。
エジプトのアレキサンドリアでは1月1日(土)午前0時半頃、新年のミサのために信者約1000人が集まっていたコプト教会前で自爆テロと見られる爆発があり、21人が死亡しました。イラクのバグダッドでも12月30日(木)夜、キリスト教徒の住宅などをねらった連続爆弾テロが起こり、少なくとも2人が死亡しました。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 あらためて皆様に新年のごあいさつを申し上げるとともに、霊的なお心遣いをこめたメッセージをお送りくださった多くのかたがたに御礼申し上げます。今日の主日の典礼は、主の降誕の祭日に荘厳に朗読された、聖ヨハネによる福音書の序文を再び示します。この驚くべきテキストは、受肉の神秘を賛歌の形式で述べます。受肉の神秘は、それを見た証人、使徒たち、とくにヨハネによって告げられました。使徒ヨハネの祝日が12月27日に祝われるのは偶然ではありません。アクイレイアの聖クロマティウス(407年頃没)はいいます。「ヨハネは主の弟子全員のなかでもっとも若かった。彼は年齢においてもっとも若かったが、信仰においてはすでに年長者であった」(『説教二』:Sermo II, 1 De Sancto Iohanne Evangelista, CCL 9a, 101)。福音書記者聖ヨハネは伝統的に鷲にたとえられます。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ヨハネ1・1)。聖ヨハネがこのことばを述べるとき、彼は人類の歴史を超えて高められ、神の深みを究めます。しかし彼はすぐに師であるかたに従って、地上の次元に戻っていいます。「ことばは肉となった」(ヨハネ1・14)。みことばは「生きた現実です。みことばは、人間となることによってご自分を知らせてくださった神です」(J. Ratzinger, Teologia della liturgia, Libreria Editrice Vaticana, 2010, p. 618)。実際、ヨハネはあかししていいます。「ことばは・・・・肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」(ヨハネ1・14)。大聖レオ(400頃-461年、教皇在位440-没年)は解説していいます。「みことばは、その御稜威(みいつ)をいささかも減らすことなしに、卑しいわたしたちの条件を取るまでに降られた」(『説教二一』:Tractatus XXI, 2, CCL 138, 86-87)。序文はまたこう述べます。「わたしたちは皆、このかたの満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、さらに恵みを受けた」(ヨハネ1・16)。「わたしたちが受けた第一の恵みは何であろうか」。聖アウグスティヌス(354-430年)は自らにこう問うた後、こたえます。「それは信仰である」。彼はすぐに付け加えていいます。第二の恵みは「永遠のいのち」(『ヨハネ福音書講解』:In Johannis Evangelium tractatus III, 8; 9, CCL 36, 24; 25) であると。
 ここで、行事のためにマドリードに集まっておられる数千人の家族の皆様にスペイン語でごあいさつ申し上げます。(以上イタリア語、以下スペイン語)
 結婚と家庭の喜びと価値を記念するためにマドリードのコロン広場に集まっておられる多くの司牧者と信者の皆様に愛情をこめてごあいさつ申し上げます。皆様の今年のテーマは『ヨーロッパの希望である、キリスト者の家庭』です。親愛なる兄弟姉妹の皆様。皆様にお願いします。力強い愛をもって、主の降誕の神秘をへりくだって観想してください。主の降誕の神秘はわたしたちの心に語りかけ続けます。そしてそれは、家庭生活と兄弟愛に基づく生活の学びやとなります。おとめマリアの母としてのまなざしと、聖ヨセフの愛情深いご保護と、わたしたちとともにいてくださる優しい幼子イエスが、すべてのキリスト者の家庭のあるべき姿の模範を示してくださいますように。キリスト者の家庭は、忠実と尊敬と理解のまことの神殿です。この神殿において、信仰が伝えられ、希望が強められ、愛が燃え立たせられます。皆様に勧めます。家庭の中で新たな熱意をもってキリスト者としての召命を実行してください。いのちを迎え入れ、いのちに同伴し、いのちを守る愛のまことの奉仕者となってください。皆様の家庭を、美徳の本当の苗床、落ち着いた輝かしい信頼の場としてください。このような場でこそ、神の恵みに導かれながら、ご自分に従うようつねに招いておられる主の呼びかけを識別することが可能となるからです。このような思いをもって、皆様の集会の目的と実りを心からナザレの聖家族にゆだねます。ますます多くの家庭を、喜びと助け合いと惜しみない心が支配しますように。(以下イタリア語)
 主はおとめマリアを「愛する弟子」(ヨハネ19・26)に母としてゆだねました。わたしたちが「神によって生まれた」(ヨハネ1・13参照)子として行動し、互いに受け入れ合い、こうして兄弟愛を示すことができる力が与えられますよう、おとめマリアに願おうではありませんか。

略号
CCL Corpus Christianorum Series Latina

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