教皇ベネディクト十六世の254回目の一般謁見演説 ジェノヴァの聖カタリナ

1月12日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の254回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2010年9月1日から開始した「中世の女性の神秘家」に関する連続講話の第15回として、「ジェノヴァの聖カタリナ」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日は、シエナのカタリナとボローニャのカタリナに続いて、カタリナという名前をもつもう一人の聖人についてお話ししたいと思います。すなわち、何よりもその煉獄の幻視によって有名な、ジェノヴァのカタリナ(Catharina de Genua; Caterina da Gonova 1447-1510年)です。カタリナの生涯と思想について述べたテキストは1551年にリグリアの町で刊行されました。このテキストは3つの部分に分かれます。聖人自身についての『伝記』(Vita)、『煉獄についての説明と解明』(Dimostratione et dechiaratione del purgatorio)――本書はむしろ『煉獄論』(Trattato del purgatorio)として有名です――、そして『魂と肉体の対話』(Dialogo tra l’anima e il corpo)(1)です。カタリナの著作を最終的に編集したのは、聴罪司祭のカッタネオ・マラボット(Cattaneo Marabotto)です。
 カタリナは1447年、ジェノヴァで5人姉妹の末子として生まれました。幼いときに父ジャコモ・フィエスキ(Giacomo Fieschi)を失いました。母フランチェスカ・ディ・ネグロ(Francesca di Negro)は子どもたちにしっかりとしたキリスト教的教育を授けたため、姉妹のうち長女と次女は修道女となりました。カタリナは16歳のときジュリアーノ・アドルノ(Giuliano Adorno 1497年没)と結婚しました。アドルノは中東で貿易と兵役に従事した後、ジェノヴァに帰って結婚しました。結婚生活は容易ではありませんでした。理由の一つは、賭け事に熱中する夫の性格でした。カタリナも初めはきわめて世俗的な生活を送りました。しかし、彼女はこうした生活の中に落ち着きを見いだせませんでした。10年後、彼女は深い空しさと悲しみを心のうちに覚えました。
 1473年3月20日、ある特別な経験によって回心が始まりました。カタリナは告解を行うためにサン・ベネデット教会と恵みの聖母修道院に行きました。彼女自身が述べるところによれば、司祭の前にひざまずいていたとき、彼女は「神の限りない愛の傷を心に受けました」。そして、自分のみじめさと欠点とともに、神のいつくしみについてのはっきりとした幻視を受け、気を失いそうになりました。彼女は自分自身と、自分が送っていた空しい生活、そして神のいつくしみを知って、心を打ちのめされました。この体験から、彼女の全生涯を方向づける決断が生まれました。この決断は次のことばで表されます。「今後、世と罪を捨て去ること」(『伝記』:Vita mirabile, 3rv参照)。そしてカタリナは告解を中断してその場を離れました。家に帰ると、奥の部屋に入り、長い間泣きました。このとき彼女は心のうちで祈りについて教えられ、罪深い自分に対する神の限りない愛を知りました。この霊的体験は彼女がことばで言い表せないものでした(『伝記』:Vita mirabile, 4r参照)。十字架を担いながら苦しむイエスが彼女に現れたのもこのときです。カタリナの肖像画でしばしば描かれるとおりです。数日後、カタリナは司祭のもとに戻り、ついによい告解を終えました。ここから「清めの生活」が始まります。この「清めの生活」により、彼女は長期にわたって、自分が犯した罪について絶えざる悲しみを覚え、神に愛を示すために償いと犠牲を行うよう促されました。
 このような歩みの中で、カタリナはますます主に近づき、「一つに結ばれた生活」と呼ばれる状態に達しました。「一つに結ばれた生活」とは、神との深い一致です。彼女は『伝記』の中でこう述べます。わたしの魂は神の優しい愛のみによって内的に導かれ、しつけられました。神はわたしに必要なものをすべて与えてくださいました。カタリナは主のみ手に自分をすべてささげました。そのため(彼女が述べるところによれば)彼女は25年あまりの間「いかなる被造物も仲介とせずに、ただ神のみによって教えられ、支配されました」(『伝記』:Vita, 117r-118r)。そして何よりも絶えざる祈りと毎日の聖体拝領によって養われました。毎日の聖体拝領は当時、普通のことではありませんでした。何年も経った後に、ようやく主は彼女に霊的指導司祭を与えてくださいました。
 カタリナは、自分の神との神秘的一致の体験を打ち明け、語ることをつねにためらい続けました。それは何よりも彼女が主の恵みを前にして深い謙遜を感じたためです。神の栄光をたたえ、他の人の霊的な歩みの助けとなるために初めて彼女は回心のときから自分に起こったことを語るよう促されました。回心は彼女にとっての最初の根本的な体験でした。カタリナが霊的頂点に上った場所は、パンマトーネ病院です。パンマトーネ病院はジェノヴァ最大の総合病院でした。彼女はこの病院の責任者また指導者を務めました。それゆえカタリナは深い内的生活を送りながら、完全に活動的生活を生きたのです。パンマトーネでは、カタリナを囲んで、彼女の信仰生活と愛のわざに心を捕らえられて彼女に従う人、弟子、協力者のグループが形成されました。カタリナは夫のジュリアーノ・アドルノにも放蕩生活をやめさせ、フランシスコ会第三会会員とし、病院で自分の手伝いをさせることができました。カタリナは、病者を世話する活動を、1510年9月15日に地上の歩みを終えるまで行いました。回心から死のときまで、特別な出来事はありませんでした。しかし、二つの要素が彼女の全生活を特徴づけています。一つは彼女の神秘的生活、すなわち、彼女が花婿との一致として体験した、神との深い一致です。もう一つは、病者の世話、病院の運営、隣人、とくに困窮者と見捨てられた人への奉仕です。この二つの極――神と隣人――が彼女の生活を完全に満たしました。実際、彼女は病院の壁の中で生涯を過ごしたのです。
 親愛なる友人の皆様。次のことを忘れてはなりません。わたしたちは、神を愛すれば愛するほど、また絶えず祈れば祈るほど、自分のまわりにいる人、近くにいる人をいっそう真の意味で愛することができるようになります。なぜなら、わたしたちはすべての人のうちに主のみ顔を見いだすことができるからです。主はいかなる制限も区別もなしに愛するかただからです。神秘家は他の人との間に隔てを置くこともなければ、抽象的生活を作り上げることもありません。むしろ神秘家は他の人に近づきます。なぜなら、神秘家は神の目で、神の心でものを見、行動し始めるからです。
 カタリナを特別に有名にした、その煉獄についての思想は、初めに挙げた本の、うしろの二つの部分に凝縮されています。すなわち、『煉獄論』と『魂と肉体の対話』です。次のことに注目することは重要です。カタリナはその神秘体験の中で、煉獄や、煉獄で清められる霊魂についての特別な啓示を受けたわけではありません。しかし、聖カタリナが霊感を受けて書いた著作の中で、煉獄は中心的な要素であり、その煉獄の描き方は当時にあって独創的な性格を帯びたものでした。第一の独自の特徴は、霊魂が清められる「場所」とかかわります。当時、煉獄は、主として場所に結びついた想像に基づいて描かれました。煉獄が存在するのは、ある空間だと考えられたのです。これに対して、カタリナにおいて煉獄は地底の光景の一要素として示されるのではありません。煉獄は外的な火ではなく、内的な火です。煉獄は内的な火そのものです。聖カタリナは、神との完全な一致に向かう魂の清めの道について語ります。その際彼女が出発点とするのは、神の限りない愛に対して、自分の犯した罪を深く悲しんだ自らの体験です(『伝記』:Vita mirabile, 171v参照)。わたしは彼女の回心のときについてお話ししました。そのとき、カタリナは突然、神のいつくしみと、このいつくしみと自分の生活との限りない隔たりと、自分の中で燃える火を感じました。これこそが清めの火、煉獄の内的な火です。ここにも当時の思想に対する独自の特徴が見られます。実際、カタリナは、煉獄の苦しみについて語り、清めと回心のための道を示すために、(当時も、おそらく現代においても普通に行われるように)来世から出発しません。むしろこの聖女は、永遠のいのちへと歩む自分の生涯における自らの内的体験から出発するのです。カタリナはいいます。霊魂は、欲望や罪に由来する苦しみと結ばれたままの状態で神の前に立ちます。そのため霊魂は神の至福直観を得ることができません。カタリナはいいます。神は限りなく清く聖なるかたです。だから罪に汚れた霊魂は、御稜威(みいつ)の神の前に立つことができません(『伝記』:Vita mirabile, 177r参照)。わたしたちも、自分がどれほど神から離れ、多くのものごとでいっぱいになっているかを感じます。そのためにわたしたちは神を見ることができないのです。霊魂は神の限りない愛と完全な義を悟ります。その結果、霊魂は、この愛に正しく完全なしかたでこたえてこなかったことを悲しみます。そして、神の愛そのものが火となります。神の愛そのものが、霊魂を罪の屑(くず)から清めてくださるのです。
 カタリナの中には、当時普通に用いることのできた神学的・神秘主義的源泉資料が見いだされます。とくにカタリナは、ディオニュシオス・アレオパギテス(Dionysios Areopagites 500年頃)に典型的に見られるイメージを用います。すなわち、人間の心を神ご自身と結びつける金の糸というイメージです。神は人間を清めると、その人にきわめて細い金の糸を結びつけます。この金の糸は神の愛です。そして、強い愛情をもってその人をご自身へと引き寄せます。すると人間は「圧倒され、打ち勝たれ、完全にわれを失います」。こうして人間の心は神の愛に満たされます。神がその人の人生の唯一の導き手、唯一の原動力となるからです(『伝記』:Vita mirabile, 246rv参照)。カタリナは、糸というイメージを用いて、神へと上昇し、神のみ心に身をゆだねる状態を表現しました。それは、煉獄の霊魂に対する神の光の働きを表すためです。この光は霊魂を清め、神のきらめく光の輝きへと高めるのです(『伝記』:Vita mirabile, 179r参照)。
 親愛なる友人の皆様。聖人たちは、神との一致の体験により、神の神秘に関する深い「認識」を得ます。この「認識」において、愛と知は浸透し合います。それゆえ聖人たちは神学者の研究の助けにもなります。神学研究とは、「信仰の知解(intelligentia fidei)」、すなわち信仰の神秘の「知解(intelligentia)」です。それは、神秘、たとえば煉獄とは何かについての認識を真の意味で深めることなのです。
 聖カタリナはその生涯をもってわたしたちに教えてくれます。神を愛すれば愛するほど、また祈りによって神と親しくなればなるほど、神はご自身を知らせ、ご自身の愛でわたしたちの心を燃え立たせてくださいます。聖カタリナは、煉獄について述べることによって、信仰の根本的な真理を思い起こさせてくれます。この真理はわたしたちへの招きとなります。聖徒の交わりの中で、神の至福直観を得ることができるよう、死者のために祈るようにと(『カトリック教会のカテキズム』1032参照)。さらに、聖カタリナが生涯、パンマトーネ病院で行ったつつましく、忠実で、惜しみない奉仕は、すべての人にとって愛のわざの輝かしい模範です。それはとくに、自らの感性と、もっとも貧しい人、困窮した人へのまなざしに満たされた貴重な活動によって、社会と教会に根本的な貢献を行う女性にとって励ましとなるものです。ご清聴ありがとうございます。


(1)Cf. Libro de la Vita mirabile et dottrina santa, de la beata Caterinetta da Genoa. Nel quale si contiene una utile et catholica dimostratione et dechiaratione del purgatorio, Genova 1551.

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