教皇ベネディクト十六世の2011年2月6日の「お告げの祈り」のことば あなたがたは地の塩、世の光である

教皇ベネディクト十六世は、年間第五主日の2月6日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語 […]

教皇ベネディクト十六世は、年間第五主日の2月6日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「この数日間、わたしは愛するエジプト国民の微妙な状況を注意深く見守っています。わたしは神に願い求めます。聖家族の滞在によって祝福されたエジプトの地が、共通善への共通の取り組みのうちに、平静と平和的共存を回復することができますように」。
エジプトでは1月25日(火)から全土で大規模な反政府デモが発生してから2月6日で13日目を迎えました。事態の打開に向けて、6日、ムスリム同胞団などエジプトの野党勢力は政府と初めての対話を行いました。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日の主日の福音の中で、主イエスは弟子たちにいいます。「あなたがたは地の塩である。・・・・あなたがたは世の光である」(マタイ5・13、14)。この豊かな意味をもったたとえを通して、イエスは弟子たちに、彼らが行う宣教とあかしの意味を伝えようとします。中東文化の中で、塩はさまざまな価値あるものを思い起こさせます。たとえば、契約、連帯、いのち、そして希望です。光は造り主である神が造られた最初のものであり、いのちの源です。神のことばそのものが、光にたとえられます。詩編作者が告げるとおりです。「あなたのみことばは、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯(ともしび)」(詩編119・105)。今日の典礼で預言者イザヤもいいます。「飢えている人に心を配り、苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出で、あなたを包む闇は、真昼のようになる」(イザヤ58・10)。知恵は自らのうちに塩と光の恵みの力をまとめます。実際、主の弟子は、世に新たな「味」をもたらし、神の知恵をもって世を腐敗から守るよう招かれています。神の知恵は御子のみ顔の上に完全に輝きます。なぜなら、御子は「まことの光で・・・・すべての人を照らす」(ヨハネ1・9)からです。キリスト信者は、御子と一つに結ばれることにより、無関心と利己主義の闇のただ中で、神の愛の光を広めることができます。すべての人の人生と行動に意味を与える、まことの知恵を広めることができます。
  ルルドの聖母の記念日の2月11日に、わたしたちは「世界病者の日」を行います。「世界病者の日」は、病気の兄弟姉妹に対する教会共同体と市民社会の感覚を考察し、祈り求め、深めるよい機会です。今年の「世界病者の日」メッセージはペトロの手紙一のことば「そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」(同2・24)から着想を得て書かれました。わたしはこのメッセージの中で、すべての人を招きました。苦しみ、死んで、復活した神の子イエスを観想してください。神は、悪が力を振るうことに徹底的に逆らいます。主はあらゆる状況の人を心にかけ、苦しみを共有し、希望へと心を開いてくださいます。それゆえ、わたしはすべての医療従事者を促します。病者のうちに、弱さによって傷ついた身体だけでなく、何よりも人格を見いだしてください。この人格に対して、惜しみなく連帯し、適切かつ専門的な対応を行ってください。このことと関連して、わたしは、今日イタリアで「いのちを守るための日」を行うことも思い起こします。すべての人が、いのちの文化を成長させ、あらゆる状況において人間の価値を中心に置くよう努めてくださるようお願いします。信仰と理性に基づくなら、人格の尊厳は、その人が示すことのできる能力や力におとしめることができません。それゆえ、人が無力で、障害をもち、助けを必要とするときも、人格の尊厳を引き下げるようなことがあってはなりません。
  親愛なる兄弟姉妹の皆様。おとめマリアの母としての執り成しを祈り求めようではありませんか。どうか両親、祖父母、教師、司祭、そして教育に携わるすべての人が、若い世代を知恵ある心をもつよう教育することができますように。こうして若者が完全ないのちに達することができますように。

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