教皇ベネディクト十六世の260回目の一般謁見演説 聖ロベルト・ベラルミーノ

2月23日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の260回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2011年2月2日から開始した「教会博士」に関する連続講話の第4回として、「イエズス会士、枢機卿、司教、教会博士聖ロベルト・ベラルミーノ」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

 今日お話ししたい聖ロベルト・ベラルミーノ(Roberto Francesco Romolo Bellarmino; Robertus Bellarminus 1542-1621年)は、わたしたちに西方キリスト教の悲しむべき分裂の時代のことを思い起こさせます。この時代の政治と宗教の深刻な危機は、すべての国家と使徒座の分離を引き起こしました。
 ロベルト・ベラルミーノは1542年10月4日、シエナ近郊のモンテプルチアーノに生まれました。彼は教皇マルケルス2世(Marcellus II 在位1555年4月9日-5月1日)の母方の甥です。ベラルミーノは1560年9月20日にイエズス会に入会する前、優れた人文教育を受けました。コレギウム・ロマヌム(ローマ学院)、パドヴァ、ルーヴァンで行った哲学と神学の研究は聖トマス(Thomas Aquinas 1224/1225-1274年)と教父を中心としたもので、彼の神学を決定的に方向づけました。1570年3月25日司祭叙階を受け、数年間、ルーヴァンで神学教授を務めました。その後、コレギウム・ロマヌムの教授となるためローマに呼ばれ、「討論神学」の教授に任命されました。この任務に当たった10年間(1576-1586年)に作成した講義録が後に『異端反駁信仰論争』(Disputationes de controversiis Christianae fidei adversus huius temporis haereticos, Ingolstadt 1586, 1588, 1593)にまとめられました。この著作は、その明快さと、内容の豊かさと、歴史的方法が優先されていることのゆえに、すぐに有名になりました。トリエント公会議(1545-1563年)が終わったばかりのカトリック教会にとっては、プロテスタント宗教改革に対して自らのアイデンティティを強化し、確認することが必要でした。ベラルミーノの活動はこのような状況の中に位置づけられます。1588年から1594年まで、彼はコレギウム・ロマヌムのイエズス会神学生の最初の霊的指導者となりました。この神学生の中で、ベラルミーノは聖アロイシウス・ゴンザーガ(Aloysius Gonzaga 1568-1591年)と出会い、彼を指導しました。その後ベラルミーノは同学院の修道院長になりました。教皇クレメンス8世(Clemens VIII 在位1592-1605年)はベラルミーノを教皇庁神学者、教皇庁顧問、サンピエトロ大聖堂聴罪学院院長に任命しました。1597年から1598年にかけての2年間に、彼のもっとも有名な著作となった『小公教要理』(Dottrina cristiana breve, Roma 1597)がまとめられました。
 1599年3月3日、教皇クレメンス8世により枢機卿に親任され、1602年3月18日、カプア大司教に任命されました。同年4月21日に司教叙階を受けました。教区司教を務めた3年間、彼は司教座聖堂において熱心に説教を行い、毎週、小教区を訪問し、3回の教区会議と1回の管区総会を開催したことにおいて際立ちました。教皇レオ11世(Leo XI 在位1605年4月1日-27日)とパウロ5世(Paulus V 在位1605-1621年)を選出したコンクラーベに参加した後、彼はローマに呼ばれ、禁書聖省、典礼聖省、司教聖省、布教聖省といった教皇庁聖省の委員を務めました。彼はまたヴェネツィア共和国とイギリスとの外交に従事し、使徒座の権利を擁護しました。晩年は霊性に関するさまざまな著作を著し、その中に毎年行った霊操の実りを要約しました。現代においてもキリスト者の民はこれらの著作を読んで多くのことを学ぶことができます。ベラルミーノは1621年9月17日にローマで亡くなりました。教皇ピウス11世(Pius XI 在位1922-1939年)は彼を1923年に列福、1930年に列聖し、1931年に教会博士と宣言しました。
 聖ロベルト・ベラルミーノは16世紀の最後の数十年間から17世紀初頭にかけて、教会において重要な役割を果たしました。彼の『異端反駁信仰論争』は、啓示、教会の本性、秘跡、神学的人間論といった問題に関するカトリックの教会論の基準となりました。それは今なお意味を失っていません。この著作の中では、教会の制度としての側面がはっきりと強調されます。当時こうした問題に関して誤謬が広まっていたからです。しかし、ベラルミーノは、神秘体である教会の目に見えない側面も明らかにしました。彼はそれを肉体と霊魂との類比によって説明します。それは、教会の内的豊かさと、この豊かさを感じとらせる外的側面の間の関係を示すためです。当時のさまざまな神学論争を体系化することを目指して書かれたこの記念すべき著作の中で、ベラルミーノは、論争的・攻撃的な言葉遣いを用いて宗教改革の思想と対決することを避けます。むしろ彼は、理性と教会の聖伝に基づく議論を使いながら、カトリックの教えを明快で力強いしかたで示したのです。
 しかし、ベラルミーノの遺産は、彼がその中で著作を生み出した生き方のうちに見いだされます。実際、彼にとって、重い統治の職務を担っていることは、修道者、司祭、司教としての自らの身分に求められる務めを忠実に果たし、日々、聖性を目指すことの妨げとはなりませんでした。この忠実さから、彼の説教への献身が生じました。司祭また司教として何よりもまず霊魂の牧者であったベラルミーノは、熱心に説教を行わなければならならないと感じました。数百の『説教』(Sermones)が残されています。これらの説教はフランドル地方、ローマ、ナポリ、カプアで典礼のときに行われたものです。彼は小教区の主任司祭、修道者、コレギウム・ロマヌムの学生のための『注解』(Expositiones)、『解説』(Explanationes)も多数著しました。しばしば注解の対象となったのは、聖書、とくに聖パウロの手紙です。ベラルミーノの説教とカテケージスの特徴は、彼がイグナティウス的教育から学んだ、ことがらの本質を示すやり方です。すべては魂の力を主イエスに集中させることを目指します。わたしたちは主イエスを知り、愛し、倣(まな)ばなければなりません。
 ベラルミーノは著作の裏に自らの感情を隠していますが、この教育者の著作にはっきり窺われるのは、著者がキリストの教えを第一に考えていることです。こうして聖ベラルミーノは祈りの模範を示します。祈りはあらゆる活動の魂です。祈りは主のことばに耳を傾けます。神の偉大さを観想することによって満たされます。自分のうちに閉じこもらず、むしろ自らを神にゆだねることを喜びとします。ベラルミーノの霊性の顕著な特徴は、神の限りないいつくしみについての生き生きとした個人的な感覚です。この感覚のゆえに、この聖人は自分が本当に神に愛された子であると感じました。この感覚こそが、落ち着きと単純さをもって、祈りと神の観想に専心する深い喜びの源となりました。聖ボナヴェントゥラ(Bonaventura 1217/1221-1274年)の『魂の神への道程』(Itinerarium mentis in Deum)の枠組みに従って書いた著作『被造物の階梯による神への精神の飛翔』(De ascensione mentis in Deum per scalas rerum creatarum, Roma 1615)の中で、ベラルミーノは叫んでいいます。「おお霊魂よ、あなたの範型は神、限りない美であり、『そのうちに闇はまったく存在しない』かたであって、太陽も月もその美しさをたたえる。今精神のまなざしを神に向けて注ぐがよい。そこに万物の理法が秘められているかた、あたかも限りない肥沃さの泉から湧き出るように、そこからほとんど無限なる多様性が流れ出るかたに向けて。であるから霊魂よ、あなたは『神を見いだす者、彼はすべてを見いだす。神を失う者、彼はすべてを失う』ということを確固とした結論となすがよい」(秋山学訳、『中世思想原典集成20 近世のスコラ学』平凡社、2000年、665、677、680頁)。
 このテキストの中に、わたしたちは聖イグナティウス・デ・ロヨラの『霊操』の有名な「愛に達するための観想(contemplatio ad amorem obtineundum)」がこだましているのを聞きとります。ベラルミーノは1500年代末から1600年代初頭の華美でしばしば不健全な社会の中で生活しました。しかし彼はこの観想から実践的な意味を引き出し、生き生きとした司牧的霊感をもって当時の教会の状況に立ち向かったのです。たとえば『美しく死ぬ術について』(De arte bene moriendi, Roma 1620)の中で、彼はいいます。よく生き、またよく死ぬための確かな規則はこれです。自分の行いと生き方についていつか神に報告しなければならないことを、しばしば真剣に黙想しなさい。そして、地上に富を積もうとせず、単純に、愛をもって、天に宝を積みながら生きるように努めなさい。『鳩の鳴き声あるいは涙のたまもの』(De gemitu columbae, sive de bono lacrymarum, Roma 1617)――鳩は教会を表します――の中で、ベラルミーノは聖職者とすべての信者に強く呼びかけます。聖書と聖人の教えに従って、おのおの自分の生き方を具体的なしかたで変革しなさい。彼が聖人として挙げるのは、とくにナジアンゾスの聖グレゴリオス(Gregorios Nazianzenos 325/330-390年頃)、聖ヨアンネス・クリュソストモス(Ioannes Chrysostomos 340/350-407年)、聖ヒエロニュムス(Eusebius Hieronymus 347-419/420年)、聖アウグスティヌス(Aurelius Augustinus 354-430年)です。また聖ベネディクトゥス(Benedictus de Nursia 480頃-547/560年頃)、聖ドミニクス(Dominicus 1170頃-1221年)、聖フランチェスコ(Francesco; Franciscus Assisiensis 1181/1182-1226年)などの偉大な修道会創立者です。ベラルミーノははっきりと、自分の生き方をもってこう教えました。まずおのおの自分を変革し、自ら心の回心を行わなければ、真の意味で教会を改革することはできません。
 ベラルミーノは聖イグナティウスの『霊操』から、信仰の神秘のすばらしさを、もっとも素朴な人々にも深く伝えなさいという勧告を与えられました。ベラルミーノは述べます。「それゆえもしあなたに知恵が備わっているのならば、あなたが神の栄光に向けて創られ、あなたの救いが永遠なるものであるように創造されているのだということを理解するがよい。これこそがあなたの目的であり、あなたの霊魂の中心であり、あなたの心の宝なのである。したがって、あなたをその目標へと導いてくれるようなことこそ真なる善であり、一方あなたをその目標から落伍させるようなことこそ真の悪であると判断せよ。順境と逆境、裕福と貧困、健康と病弱、誉れと無名さ、生と死は知者たちにとっては、それ自体として求められるべきものでも避くべきものでもないのである。だが神の栄光に貢献し、あなたの永遠なる幸福に寄与するものであれば、それは善であり求められるべきものである。そしてもし同じそれらのことの妨げになるようなことがあれば、それは悪であり、避くべきものなのである」(『被造物の階梯による神への精神の飛翔』:De ascensione mentis in Deum per scalas rerum creatarum, gradus 1〔前掲秋山学訳、671-672頁〕)。
 これは過去の古びたことばではありません。わたしたちが地上の歩みを方向づけるためにこのことばを沈思黙考すべきであることは明らかです。このことばはわたしたちに思い起こさせてくれます。わたしたちの人生の目的は主です。イエス・キリストのうちにご自身を示してくださった神です。神はイエス・キリストのうちにわたしたちを招き、ご自身との交わりを約束し続けてくださいます。このことばはわたしたちに思い起こさせてくれます。大事なのは主に信頼することです。福音に忠実に従いながら生涯を送ることです。あらゆる状況と、生涯のあらゆる行いを、信仰と祈りをもって受け入れ、照らすことです。つねに主と一致しようと努めながら。ご清聴ありがとうございます。

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