教皇ベネディクト十六世の2011年3月6日の「お告げの祈り」のことば わたしのことばを聞いて行いなさい

教皇ベネディクト十六世は、年間第九主日の3月6日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語 […]


教皇ベネディクト十六世は、年間第九主日の3月6日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「この数日間、アフリカとアジアの諸国で生じている緊張状態を深い懸念をもって見守り続けています。
主イエスに願い求めます。パキスタンのシャフバズ・バッティ大臣の痛ましいいのちの犠牲が、人々の良心のうちにすべての人の信教の自由を守るための勇気と取り組みを目覚めさせ、そこからすべての人の平等の尊厳を推進しますように。
 さらにわたしの悲しい思いはリビアに向かいます。リビアでは最近の衝突が多くの死者を生じ、人道危機を増大させています。すべての犠牲者と不安な状況を過ごしているかたがたのために祈り、寄り添うことを約束します。そして、損害を受けた人々への支援と救出活動を行ってくださることを呼びかけます」。
パキスタンでは3月2日(水)、イスラーム冒瀆罪に反対していたシャフバズ・バッティ少数者問題担当大臣(42歳)が武装した男らに銃撃されて死亡しました。
リビアでは2月15日(火)、北東部の都市ベンガジにおいて反政府デモが発生し、その後、東部地域一帯の海岸部にある主要都市をはじめとする各地にも反政府デモが拡大し、治  安当局との衝突により多数の死傷者が発生しています。反政府派は、カダフィ指導者の退陣を要求しており、反政府派と軍・治安当局との間で激しい衝突が起きています。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日の主日の福音は「山上の説教」の結びを示します。この中で主イエスは、岩の上と砂の上に建てた二つの家のたとえを通じて、弟子たちを招きます。わたしのことばを聞いて行いなさい(マタイ7・24参照)。主イエスはこのようなしかたで弟子たちとその信仰の歩みを契約の枠の中に位置づけます。契約は、神がわたしたちと交わりをもつために、ご自身のことばを与えることを通じて人間と結んだ関係によって立てられたものです。第二バチカン公会議はいいます。「見えざる神は、大きな愛によって、あたかも友に対するように、人間に話しかけ、彼らと住まいをともにしている。それは、彼らを自分との交わりに招き、これにあずからせるためである」(『神の啓示に関する教義憲章』2)。「このような見通しのうちに、すべての人は、神のことばによって語りかけ、問いかけられ、自由な応答によってこの愛の対話に入るよう求められる存在として現れます」(教皇ベネディクト十六世シノドス後の使徒的勧告『神のことば』22)。イエスは生きた神のことばです。イエスが教えたとき、人々はそのことばのうちに神の権威を認めました。主が近づいてくだったことを、主のあわれみ深い愛を感じ取りました。そして神をたたえました。あらゆる時代と場所において、とくに聖なる福音を聞くことを通じてイエスを知る恵みを得た人は皆、心を捕らえられます。そして次のことを見いだします。イエスは、説教とわざとご自身の存在そのもののうちに、まことの神のみ顔を現してくださいました。同時にイエスは、わたしたちにわたしたち自身を示してくださいました。わたしたちに天におられる父の子であることの喜びを感じさせ、自分の人生をその上に築く堅固な土台を教えてくださいました。
  しかし、人はしばしば自分の行動と人生をこのようなあるべき姿の上に築こうとしません。そして、イデオロギーと権力と成功と富という砂を選び、これらのもののうちに、安定と、自分が心に抱く幸福と自己実現への抑えがたい問いへのこたえを見いだせると考えます。ではわたしたちは、何の上に自分の生涯を築こうと望んでいるでしょうか。だれがわたしたちの心の不安に本当の意味でこたえることができるでしょうか。キリストはわたしたちの生涯の岩です。キリストは決定的な永遠のみことばです。このみことばによって、わたしたちはいかなる逆境も困難も不自由も怖れることがありません(教皇ベネディクト十六世シノドス後の使徒的勧告『神のことば』10参照)。神のことばがわたしたちの生活と思いと行動を満たすことができますように。申命記からとられた今日の典礼の第一朗読が語るとおりです。「あなたたちはこれらのわたしのことばを心に留め、魂に刻み、これをしるしとして手に結び、覚えとして額に付けなさい」(申命記11・18)。親愛なる兄弟の皆様。皆様に勧めます。日々、神のことばのために場所をあけてください。神のことばを糧としてください。神のことばを思いめぐらし続けてください。神のことばは、ある種の浅薄な活動主義から身を守るための貴重な助けともなります。こうした活動主義は一時的に傲慢を満足させるかもしれませんが、結局そこからもたらされるのは空虚と不満だけだからです。
  おとめマリアの助けを願い求めようではありませんか。マリアの生涯を特徴づけるのは神のことばへの忠実です。お告げを受け、十字架のもとに立ち、今や復活したキリストの栄光にあずかるマリアを仰ぎ見ようではありませんか。マリアと同じように、わたしたちもあらためて「はい」とこたえ、信頼をもってわたしたちの道である神に身をゆだねようではありませんか。

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