教皇ベネディクト十六世の2011年3月20日の「お告げの祈り」のことば 主の変容

教皇ベネディクト十六世は、四旬節第二主日の3月20日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリ […]


教皇ベネディクト十六世は、四旬節第二主日の3月20日(日)正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」を行いました。以下は、祈りの前に教皇が述べたことばの全文の翻訳です(原文イタリア語)。

「お告げの祈り」の後、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「この数日間、リビアから届く憂慮すべき知らせが、わたしのうちにも深い不安と恐れをかきたてています。このことのゆえに、わたしは一週間の黙想の間、主に特別な祈りをささげました。
  今わたしは、最近の出来事を深い懸念をもって見守っています。リビアで悲惨な状況に巻き込まれた人々のために祈ります。そして政治・軍事指導者に緊急の呼びかけを行います。どうか何よりもまず市民の無事と安全に配慮し、彼らが人道支援を得られることを保障してください。わたしは愛するリビア国民に心をこめて寄り添うことを約束するとともに、神に祈り願います。リビアと北アフリカ全土の上に平和と和解の展望が速やかに開けますように」。
国連安全保障理事会は3月17日(木)午後、リビア上空に飛行禁止区域を設けることを中心とした対リビア追加制裁決議を賛成多数で採択しました。これを受けて、19日(土)夕、米国、英国、フランスなどで構成する多国籍軍が、リビア政府軍の部隊・施設に対する空爆による軍事攻撃を開始しました。


  親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  この数日間、黙想を行う恵みを与えてくださったことを主に感謝します。祈りをもってわたしに寄り添ってくださったかたがたにも御礼申し上げます。今日の四旬節第二主日は「変容の主日」と呼ばれます。福音がキリストの生涯における変容の神秘を語るからです。キリストは弟子たちにご自分の受難について前もって語った後、「ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(マタイ17・1-2)。感覚によれば、太陽の光はもっとも強力です。このことは自然に分かります。しかし、霊によれば、弟子たちはわずかの間、それよりも強い輝きを見ました。すなわち、救いの歴史全体を照らす、イエスにおける神の栄光の輝きです。証聖者聖マクシモス(Maximos Homologetes; Maximus Confessor 580-662年)はいいます。「白くなった服は聖書のことばを象徴的に表す。聖書のことばは明るく透明になって輝いたからである」(『アンビグア』:Ambigua 10, PG 91, 1128B)。
  福音はこう述べます。変容したイエスの横に「モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」(マタイ17・3)。モーセとエリヤは律法と預言者を象徴する人物です。するとペトロはわれを忘れて大声で叫びます。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」(マタイ17・4)。しかし、聖アウグスティヌス(Aurelius Augustinus 354-430年)は解説していいます。わたしたちの住まいはただ一つ、キリストです。キリストこそが「神のことばだからです。すなわち、律法における神のことば、預言者における神のことばだからです」(『説教集』:Sermones 78, 3, PL 38, 491)。実際、御父ご自身が宣言していわれます。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(マタイ17・5)。変容は、イエスが変化することではありません。むしろそれはイエスの神性の啓示です。それは「イエスの存在が父の内奥にまで突き進むとき、それは純粋な光となるのです。イエスが父と一つになるとき、彼自身『光よりの光』となるのです」(『ナザレのイエス』:Gesù di Nazaret, Milano 2007, p. 357〔里野泰昭訳、春秋社、391頁〕)。ペトロとヤコブとヨハネは、主の神性を仰ぎ見ることにより、十字架のつまずきに直面する準備をしました。古代の賛歌が歌うとおりです。「あなたは山上で変容し、あなたの弟子は彼らになしうるかぎりであなたの栄光を仰ぎ見た。それは、十字架につけられたかたを見て、あなたが進んで受難を受けられたことを悟り、あなたがまことに御父の輝きであることを世に告げ知らせるためであった」(『変容についてのコンタキオン』:Κοντάκιον είς τήν Μεταμόρφωσιν, in: Μηναια, t. 6, Roma 1901, 341)。
  親愛なる友人の皆様。わたしたちもこのような幻視と超自然的なたまものにあずかろうではありませんか。祈りと、神のことばに耳を傾けることに時間をさくことによって。さらに、とくにこの四旬節にあたり、神のしもべパウロ六世のことばに従って、皆様に勧めます。「日々の生活の重荷によって課せられた自己放棄だけでなく、ある種の自発的な行為によって、悔い改めよという神の命令にこたえてください」(使徒憲章『ペニテミニ(1966年2月17日)』:Pænitemini III, c, AAS 58 [1966], 182)。おとめマリアに願い求めようではありませんか。わたしたちを助けてください。受難と十字架に至るまで、つねに主イエスに聞き従い、その栄光にもあずかることができますように。

略号
AAS Acta Apostolicae Sedis
PG Patrologia Graeca
PL Patrologia Latina

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