仙台教区サポートセンターの報告

3月26日(土)、カトリック仙台教区サポートセンター・センター長補佐の小松史朗師から報告が届きました。

仙台教区サポートセンター状況

 この度の、東北関東大震災の仙台教区サポートセンターの経過を報告します。

  • 3月16日(水)。菊地功、谷大二両司教およびカリタスジャパンの成井大介師、スタッフ1名と平賀徹夫司教、小松史朗(教区本部事務局長)で話し合いの時間を持ち今後の東北の復興のために「仙台教区サポートセンター」を設置することを決定する。
  • 3月17日(木)。カリタスジャパン成井、稲江、仙台教区小松、仙台教区信徒園部、赤井(敬称略)が核になり、「サポートセンター」動き出す。本部を元寺小路教会2F会議室に設置し、その他のスペースをスタッフおよびボランティアの宿泊所(女性)とし、1Fの1部を援助物資倉庫およびスタッフの宿泊所(男性)外部からのボランティアの受け入れ受付と、行政を回り(仙台市、塩釜市、多賀城市等々)ボランティアの受け入れ状況の調査(仙台市はボランティアのニーズが少ないようである)。さらに援助物資の受け入れ、仕分け等の業務。
  • 3月18日(金)。震災から1週間過ぎる。第1次のボランティア受け入れ決定。派遣先は塩釜となった(ボランティアのニーズが塩釜・多賀城に多いこと)。なお、この決定は今後このサポートセンターの活動が東北地方の沿岸部(最も被害の大きい地域)にターゲットを絞ったことも意味する。さらに、今後塩釜教会にボランティアの受け入れ宿泊所を設置することも併せて決定した。行政を回り、傾聴ボランティアの可能性も探るが、いまだその時期ではない(すべてが目まぐるしく動いていて、現状は心を開いて心を語る環境にない)ようである。本部スタッフ2名追加。
  • 3月19日(土)。慢性的な燃料不足(灯油、ガソリン、軽油)が続く中、活動が空回りしないように一歩一歩確実な歩みで動こうとしている。スタッフの役割分担も活動の中で決まっていく。外からボランティアを受け付ける者(1日中電話が鳴り止まない)。ボランティアの活動場所を確保する者(1日中電話をかけ回るか、行政を回るか、避難所の様子を視察するか)。外の交渉をする者(国内外を問わず、物品の寄付の申し出の対応。募金の対応)、カトリック教会、関連施設で一時的なシェルターとして建物を貸して下さる場所の確保、およびその必要性を探る者(シェルターはとりあえず当面の分は確保)。これから必要になるであろう傾聴ボランティアの人材を発掘する者。昼に塩釜教会へ稲江、小松がボランティアの宿泊所に教会建物が使用可能か視察。塩釜教会三嶋氏と教会で合流。電気、水、いまだ不通であるが、宿泊所として使用することを決める。三嶋氏を管理者として指名。その晩さいたまより、新潟、山形経由でボランティア第1陣(男女各1名ずつ)仙台入り。その晩はボランティアのオリエンテーションをし、本部泊。
  • 3月20日(日)。震災後2回目の主日のミサ、小松は塩釜でささげる、ラシャペール師の追悼と震災で亡くなった方々のために、そして生きているわたしたちに何ができるのかを神さまに問いかける。ミサ後、信徒の方々に手伝ってもらい教会内を宿泊所として準備する。途中で仙台からボランティアの青年到着、塩釜の青年2名と合流し、計4名が明朝からのボランティアに備える。塩釜教会信徒の方々の厚意により食事が差し入れされる。塩釜教会はいまだ電気不通、水道断水である。ガスが止まっているのは言うまでもない。
     一方本部では9時30分からのミサで仙台中央地区モデラトール渡辺師がサポートセンターへの協力を成井師と共に行う。ボランティア受け入れ、問い合わせ増え始める。本部の携帯電話が3台に増える。
  • 3月21日(月)。塩釜でのボランティアが始まる。派遣4名。内容は津波の被害を受けた家の泥の掻き出し、家の中の片付け等、肉体的にも精神的にも厳しい仕事であるそうだ。昼に本部に山梨からの2名到着、塩釜派遣予定。本部の業務として、ボランティア受け入れマニュアルを作成中。本部の業務もスタッフそれぞれが仕事にも慣れ、なんとか回り始める。夕方、本部ミーティングも増やした携帯電話3台がそれぞれ鳴っている。塩釜教会の信徒の方々のボランティアへの差し入れがありがたい。元寺小路教会の司祭チームのさまざまなサポート、特に本部スタッフへの食事の援助も大変ありがたい。
  • 3月22日(火)。山梨からの2名を加え塩釜では6名が活動中。札幌よりボランティア到着1名。
  • 3月23日(水)。朝から石巻視察、稲江ほか1名(ベースとして可能性を探る)。本日よりSr.長谷川および、カリタスジャパン小野本部スタッフ入り。カリタスジャパン成井師一旦撤退、名古屋へ。早い戻りが期待される。
  • 3月24日(木)。塩釜ベースへ4名新たに派遣。いよいよ、石巻ベースもスタート。本日出発5名(札幌1、東京4)。教区本部とサポートセンター本部に大阪教区より神田師ほか2名被災地視察All Japan for Tohoku の可能性について小松を含め4名にて話し合い。本部の業務は本日もボランティアの受け入れの問い合わせ、物資の寄付の問い合わせに追われる。
  • 3月25日(金)。本日で業務完了のスタッフ2名と稲江、小松で七ヶ浜視察。本部より最も近い最も大変な被災地。津波により何も無くなった地区を回る。呆然と海を見つめる老人。「被災地の皆さんがんばって下さい!」を思い出す。一瞬にしてすべてを失った人へ何をがんばるのか? 怒りを覚えるが、結果は涙と深い悲しみ。昼過ぎに戻り、本部業務に戻る。本部スタッフ2名が第一時任務完了。夕方帰路に着く。新たな本部スタッフを迎え、スタッフ7名体制は維持。新たなボランティア4名塩釜へ。
  • 3月26日(土)。塩釜基地も石巻基地もそれぞれボランティア活動をしている。25日をもって任務完了のさいたまからの2人の青年は活動報告を午前中に本部で行い、帰路に着いた。さまざまなものを視、さまざまな声を聴き、さまざまな出来事に触れ、さまざまな宝物を悲しむ人からいただいて帰って行ったに違いない。また来ます! 絶対来ます! と言いながら。

本部は今日も新たなボランティアを迎え、前線基地へと送り出す。2名塩釜ベースへ。明日は被災から3回目の日曜日である。今日、気仙沼視察に行った渡辺師(仙台教区)によれば、気仙沼ではいまだに情報はラジオのみだそうだ。宮城県北を担当する川崎師(仙台教区)燃料がなくミサに行けない。

以上

2011年3月26日
仙台教区本部事務局
小松 史朗

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