教皇ベネディクト十六世の264回目の一般謁見演説 聖アルフォンソ・マリア・デ・リグオーリ

3月30日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の264回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2011年2月2日から開始した「教会博士」に関する連続講話の第7回として、「聖アルフォンソ・マリア・デ・リグオーリ」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日はわたしたちが深く恩恵をこうむった聖なる教会博士をご紹介したいと思います。なぜなら、この教会博士は傑出した倫理神学者であるとともに、すべての人、とりわけ素朴な民衆にとって霊的生活の師となったからです。彼はイタリアでもっとも親しまれた降誕祭賛歌の一つ「星空からの訪れ」(Tu scendi dalle stelle)やその他の賛歌の作詞・作曲者でもあります。
  アルフォンソ・マリア・デ・リグオーリ(Alfonso Maria de’Liguori 1696-1787年)は、ナポリの富裕な貴族の家系から、1696年に生まれました。優れた知的才能に恵まれた彼は、わずか16歳で市民法と教会法の学位を取得しました。彼はナポリの裁判所のもっとも優秀な弁護士でした。8年間にわたり、彼は弁護したあらゆる訴訟で勝訴しました。しかし、彼は心のうちで神を渇き求め、完徳を望みました。そして主は、彼の召命は別のところにあることを悟らせました。実際、1723年、法廷を汚した汚職と不正に憤りを覚えた彼は、父親が反対したにもかかわらず、自分の職業を――富と成功とともに――捨て、司祭となることを決断しました。最良の教師が彼を聖書、教会史、神秘主義の研究へと導きました。アルフォンソは幅広い神学的教養を身に着けました。彼は後年、著作家としての活動を始めたときに、この教養を用いました。1726年に司祭叙階を受け、奉仕職を果たすために「使徒宣教会」に入会しました。アルフォンソはナポリ社会のもっとも身分の低い人々の間で福音宣教と信仰教育活動を始めました。彼はこの人々にしばしば説教を行い、信仰の基本的なことがらを教えました。これらの貧しく身分の低い人々の多くは、しばしば悪習に染まり、犯罪行為を行っていました。アルフォンソは忍耐強く彼らに祈ることを教え、生活様式を改善するよう勧めました。アルフォンソは大きな成果を上げました。ナポリの町の最貧困地域の中に多くのグループが生まれました。このグループの人々は、夜、個人の家や商店に集まって、祈り、神のことばを黙想しました。アルフォンソや他の司祭が養成した数人のカテキスタたちが、定期的にこうした信者のグループを訪問して、彼らを指導しました。ナポリ大司教の望みにより、こうした集会がナポリ市の礼拝堂で行われたとき、集会は「晩の礼拝堂(cappelle serotine)」と名づけられました。この集会は真に固有の意味で、道徳教育、社会の矯正、貧しい人々の相互扶助の源泉となりました。盗難、決闘、売春はほとんど姿を消しました。
  聖アルフォンソの時代の社会と宗教の状況は現代とたいへん異なります。とはいえ、「晩の礼拝堂」は宣教活動の模範となると思われます。現代のわたしたちも、この模範から、とくにもっとも貧しい人に対する「新しい福音宣教」を行い、より公正で、友愛と連帯に満ちた人間の共生を築くための霊感を得ることができます。司祭には霊的奉仕職の務めがゆだねられます。これに対して、適切な養成を受けた信徒は、力強いキリスト教的指導者となり、社会の中で真の福音のパン種となることができます。
  アルフォンソは異教徒に福音をのべ伝えるためにナポリを離れることを考えました。その後、彼は、35歳のときナポリ王国内の地域の農民や羊飼いの姿に触れて、彼らの宗教的な無知とその置かれた見捨てられた状態に衝撃を受け、都市を離れて、これらの精神的にも物質的にも貧しい人々のために働こうと決心しました。1732年、「至聖贖罪主会(Congregazione religiosa del Santissimo Redentore レデンプトール会)」を創立しました。彼はこの会を司教トマス・ファルコヤ(Thomas Falcoia 1663-1743年)の保護のもとに置き、ファルコヤの死後は自ら総長となりました。アルフォンソが率いるこの会の修道士は、真の意味での旅する宣教者でした。彼らは遠く離れた村々にまで赴き、回心し、何よりも祈りによってキリスト教的生活を守るよう勧めました。現代においても、世界のさまざまな国に広がるレデンプトール会士たちは、新たな使徒職の形によって、この福音宣教を続けています。わたしは彼らを感謝のうちに思い起こすとともに、彼らが聖なる創立者の模範につねに忠実に従ってくださるよう勧めます。
  いつくしみと司牧への熱意によって尊敬を受けたアルフォンソは、1762年、サンタガタ・ディ・ゴティ司教に任命されました。病気にかかったため、教皇ピウス6世(Pius VI 在位1775-1799年)の許しを得て1775年に同職を退きました。同じ教皇は、1787年にアルフォンソが多くの苦しみの末に死んだと聞くと、大声で叫びました。「彼こそ聖人である」。教皇は間違っていませんでした。アルフォンソは1839年に列聖され、1871年に教会博士と宣言されました。アルフォンソに教会博士の称号が与えられたのには多くの理由があります。第一に、彼は豊かな倫理神学の教えを示しました。この教えはカトリックの教理を適切なしかたで表します。そこで教皇ピウス12世(Pius XII 在位1939-1958年)は彼を「すべての聴罪司祭と倫理神学者の守護聖人」と宣言しました。アルフォンソの時代、道徳生活に関するきわめて厳格な解釈が広まっていました。その理由の一つはジャンセニズムの精神です。ジャンセニズムは、神のあわれみに対する信頼と希望を深めるのではなく、むしろ恐怖をあおり、不機嫌でいかめしい神のみ顔を示しました。それはイエスによってわたしたちに示された神のみ顔とはかけ離れたものです。聖アルフォンソは何よりも『倫理神学』(Theologia moralis, 1753-1755)という標題の主著の中で、神の律法の要求と、人間の良心と自由の働きの間の、バランスのある説得力に満ちた総合を示しました。神の律法は、わたしたちの心にしるされ、キリストによって完全に啓示され、教会によって権威をもって解釈されます。人間の良心と自由は、まさに真理と善に忠実に従うことを通じて、人格の成長と実現を可能にします。アルフォンソは霊魂の牧者と聴罪司祭に対してこう勧めました。カトリックの倫理教説に忠実に従いなさい。同時に、慈愛と理解に満ちた優しい態度をとりなさい。それは、改悛者が、信仰とキリスト教的生活の道を歩む上で、同伴と支えと励ましを感じられるためです。聖アルフォンソはうむことなく繰り返しいいました。司祭は神の限りないあわれみの目に見えるしるしです。神は、回心して生活を改めるよう、罪人の思いと心をゆるし、照らします。現代において、道徳的良心の喪失と、ゆるしの秘跡への評価のある種の欠如を示すしるしを認めざるをえません。このような時代において、聖アルフォンソの教えは再び大きな現代的意味をもっています。
  聖アルフォンソは、神学的著作だけでなく、民衆の宗教教育のために他の多くの著作を著しました。その文体は単純で親しみやすいものです。多くの言語で読まれ、翻訳された聖アルフォンソの著作は、19・20世紀の民衆の霊性の形成に寄与しました。そのいくつかは、今でも読んで大いに益を得ることができるテキストです。たとえば、『永遠の原理』(Le Massime eterne)、『マリアの栄光』(Le glorie di Maria)、『イエス・キリストに対する愛の実行』(La pratica d’amare Gesù Cristo)です。最後に挙げた著作は、アルフォンソの思想を総合した、彼の傑作です。アルフォンソは祈りの必要性を強く主張します。祈りは神の恵みに心を開くことを可能にします。それは、日々神のみ心を行い、自らを聖化するためです。彼は祈りについてこう述べます。「神はいかなる人にも祈りの恵みを拒まれません。人は祈りによって、あらゆる欲望と誘惑に打ち勝つための助けを得ます。そしてわたしはいいます。いのちのかぎり、いつまでもくりかえしいい続けます。わたしたちの救いのすべては祈りにかかっています」。そこから彼の有名な格言が生まれました。「祈る人は救われます」(『祈りという偉大な手段』:Del gran mezzo della preghiera e opuscoli affini. Opere ascetiche II, Roma 1962, p. 171)。このことに関連して、わたしは前任者の尊者・神のしもべヨハネ・パウロ二世の勧告を思い起こします。「わたしたちのキリスト者共同体は、真の祈りの学びの場にならなければなりません。・・・・祈りの教育が、何らかの形で、あらゆる司牧計画の大切なポイントになる必要があります」(使徒的書簡『新千年期の初めに』33、34)。
  聖アルフォンソが何よりも熱心に勧めた祈りの形式は、聖体訪問です。あるいは、現代のいいかたでいえば、短時間ないし長時間、個人または共同体で、聖体礼拝を行うことです。アルフォンソはいいます。「あらゆる信心の中で、イエスの秘跡を礼拝することが秘跡に次いで第一のものであり、神にもっとも喜ばれ、わたしたちにとってもっとも有益なものであることは、間違いありません。・・・・ああ、なんとすばらしく喜ばしいことか。信仰をもって祭壇の前にいることは。・・・・友が全幅の信頼を寄せる友にするのと同じように、自分に必要なことを神に示すことは」(『至聖なる秘跡と至聖なるマリアへの毎日の訪問』:Visite al SS. Sacramento ed a Maria SS. per ciascun giorno del mese. Introduzione)。実際、アルフォンソの霊性は優れた意味でキリスト的霊性です。それはキリストとキリストの福音を中心としています。彼はしばしば祈りの中で、主の受肉と受難の神秘を黙想しました。実際、この受肉と受難という出来事によって、あがないがすべての人に「豊かに」与えられました。そしてアルフォンソの信心は、まさにキリスト的信心であるがゆえに、きわめてマリア的信心でもあります。マリアに深い信心をささげたアルフォンソは、救いの歴史におけるマリアの役割を説明します。マリアは、あがない主の同伴者であり、恵みの仲介者であり、母であり、弁護者であり、元后です。さらに聖アルフォンソは主張していいます。マリアへの信心は、死の時の大きな慰めです。彼はこう確信していました。自分の永遠の定め、神の至福に永遠にあずかるよう招かれていること、悲惨な形で断罪されることもありうることを黙想するなら、それは落ち着きをもって、献身的に生きるために役立ちます。それはまた、神のいつくしみにつねに完全な信頼を抱き続けながら、死という現実に直面するための助けにもなります。
  聖アルフォンソ・マリア・デ・リグオーリは熱心な牧者の模範です。熱心な牧者は、霊魂を勝ち得るために、福音を告げ知らせ、秘跡を授けます。それは柔和で優しいいつくしみによって特徴づけられた行動様式も伴います。このいつくしみは、限りないいつくしみそのものである、神との親密なかかわりから生まれます。アルフォンソは、主がすべての人に与えてくださる善の源泉について、現実的で楽観的な展望を抱いていました。そして、神と隣人を愛することができるために、知性だけでなく、心の愛情・感情を重視しました。
  終わりに、聖アルフォンソが、(数週間前にお話しした)聖フランソア・ド・サルと同じように、聖性とは、すべてのキリスト信者が近づきうるものだと強調したことを思い起こしたいと思います。「神はすべての人が聖人となること、それぞれの境遇、身分において、修道者は修道者として、在俗者は在俗者として、司祭は司祭として、結婚した人は結婚した人として、商人は商人として、兵士は兵士として、その他の身分、境遇の人もそれぞれに、聖となることを熱く望んでいられるのです」(『イエス・キリストに対する愛の実行』:Pratica d’amare Gesù Cristo. Opere ascetiche I, Roma 1933, p. 79〔尻枝満訳、『愛の賛歌』みくに書房、1987年、132頁〕)。主に感謝したいと思います。主はみ摂理をもって、さまざまな場所と時代において、聖人と教会博士を生み出してくださったからです。彼らは同じことばを語りながらわたしたちを招きます。信仰を深めなさい。日々の単純なわざのうちに、愛と喜びをもって、キリスト者として生活しなさい。そこから、聖性への道を歩みなさい。神への道を、まことの喜びへの道を歩みなさい。ご清聴ありがとうございます。

PAGE TOP