教皇ベネディクト十六世の265回目の一般謁見演説 リジューの聖テレーズ

4月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の265回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2011年2月2日から開始した「教会博士」に関する連続講話の第8回として、「リジ […]


4月6日(水)午前10時30分から、サンピエトロ広場で、教皇ベネディクト十六世の265回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇は、2011年2月2日から開始した「教会博士」に関する連続講話の第8回として、「リジューの聖テレーズ」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

謁見の終わりに、教皇はイタリア語で次の呼びかけを行いました。
「わたしは、この数日間、愛するコートジボワールとリビアの国民が経験している悲惨な出来事を深い懸念をもって見守り続けています。さらにわたしは、わたしの連帯を示すためにコートジボワールを訪問することを依頼したタークソン枢機卿が早く同国に到着できることを願います。わたしは犠牲者のかたがたのために祈り、苦しむすべての人々に寄り添います。暴力と憎しみはかならず敗北します。そのため、すべての関係者に対し、和平と対話の活動を開始し、さらなる流血を回避するよう、あらためて心から呼びかけます」。
コートジボワールでは2010年10月31日に実施された大統領選挙の結果をめぐって、バグボ前大統領とウワタラ候補(元首相)の支持者の間で衝突が生じました。2011年4月4日(月)、国連の要請を受けて、駐留フランス軍が、バグボ前大統領の拠点である最大都市アビジャンへの軍事攻撃を開始しています。


 親愛なる兄弟姉妹の皆様。

  今日はリジューの聖テレーズについてお話ししたいと思います。幼きイエスと尊い面影のテレーズとも呼ばれるこの聖女は、19世紀末、わずか24年間をこの世で過ごしました。彼女はきわめて単純で隠れた生活を送りましたが、死んで、著作が刊行された後、もっとも有名で、人々から愛される聖人となりました。「小さいテレーズ」は、彼女に祈る単純な魂、小さな魂、貧しい魂、苦しむ魂を絶えず助け続けています。そればかりか、彼女はその深い霊的教えによって全教会を照らしました。そのため尊者教皇ヨハネ・パウロ二世は1997年、すでに1939年にピウス十一世が与えた宣教者の守護聖人という称号に加えて、教会博士の称号を彼女に与えようと望みました。わたしの敬愛する前任者は、彼女を「愛の知識の専門家(esperta della scientia amoris)」(使徒的書簡『新千年期の初めに』42)と呼びました。この「知識」は、信仰の真理全体が愛のうちに輝いているのを見いだします。テレーズはこの「知識」をおもに『自叙伝』の中で表明しました。『自叙伝』は、彼女の死の翌年、『ある霊魂の物語』(Histoire d’une âme)という標題で刊行されました。この書物はすぐに大変な成功を収めました。それは多くの言語に翻訳され、世界中に広まりました。わたしは皆様がこの小さいけれども偉大な宝を再発見してくださるようお願いします。それは、福音を完全に生きた人による、福音の輝かしい注解書です。実際、『ある霊魂の物語』は驚くべき『愛の物語』です。この真実と単純さと新鮮さに満ちた物語を読む人は、心を捕らえられずにはいられません。しかし、幼年時代から死に至るまで、テレーズの全生涯を満たしたこの愛とは、いかなるものだったのでしょうか。親愛なる友人の皆様。この愛は、み顔をもっています。イエスという名をもっています。聖女は絶えずイエスについて語ります。それゆえ、テレーズの教えの中心に歩み入るために、その生涯の大いなる歩みを振り返りたいと思います。
  テレーズは1873年1月2日、フランスのノルマンディー地方の町アランソンに生まれました。彼女は父ルイ・マルタン(Louis Martin 1823-1894年)と母ゼリー・マルタン(Zélie Martin 1831-1877年)の末娘でした。この模範的な夫婦また両親は、2008年10月19日に一緒に列福されました。この両親には9人の子がいましたが、そのうち4人は夭逝しました。残った5人姉妹の全員が修道女になりました。テレーズは4歳のとき、母親の死によって深く傷つきました(『自叙伝』:Ms A, 13r)。その後、父は娘たちとともにリジューの町に移りました。聖女はこのリジューで全生涯を送ることになります。後に重い神経症にかかったテレーズは、神の恵みによっていやされます。彼女はこの恵みを「マリアさまのほほえみ」(同:29v-30v〔東京女子跣足カルメル会訳、伊従信子改訳、『幼いイエスの聖テレーズ自叙伝 その三つの原稿』ドン・ボスコ社、1996年、102頁〕)と呼びます。この後テレーズは初聖体を受けました。彼女はそれを深く味わい(同:35r)、聖体のイエスを自分の生涯の中心に置きました。
  1886年の「ご降誕祭の恵み」は大きな転換点となりました。テレーズはそれを「完全な回心」(同:44v-45r〔前掲邦訳、144頁〕)と呼びます。実際、彼女は小児期の過敏症をまったくいやされ、「巨人の足どり」で歩き始めました。14歳のとき、テレーズは深い信仰をもって十字架につけられたイエスにますます近づきました。そして、死刑の宣告を受けながら回心せずにいる犯罪者の絶望的に思われる状態を深刻に受け止めました(同:45v-46v)。聖女は述べます。「わたしはどんなことをしても、彼が地獄に行かないように願い、そのために考えつく手段は何でもみな用いました」(前掲邦訳、147頁)。彼女は、自分の祈りによってこの犯罪者がイエスのあがないの御血に触れることができることを確信していました。それは彼女にとって霊的な母としての気遣いの最初の根本的な体験でした。彼女はいいます。「わたしはイエスの限りないあわれみに深く信頼しています」。若きテレーズは、至聖なるマリアとともに、「母の心」(PR 6/10r参照)をもって愛し、信じ、希望したのです。
  1887年11月、テレーズは父親と姉のセリーヌとともにローマに巡礼します(『自叙伝』:55v-67r)。テレーズにとって最高の瞬間は、教皇レオ十三世との謁見でした。彼女はまだ15歳だったにもかかわらず、教皇にリジューのカルメル会に入会する許可を願いました。1年後、彼女の望みはかないました。彼女は「人々の救いのため、とくに司祭がたのため祈るために」(同:69v〔前掲邦訳、222頁〕)カルメル会修道女になりました。同じ頃、父親は悲しく痛ましい精神病を発症しました。この深い苦しみから、テレーズは受難のイエスのみ顔(面影)を観想するように導かれました(同:71rv)。それゆえ、彼女の修道名である「幼きイエスと尊い面影のテレーズ」は、テレーズの生涯全体の計画を表します。彼女は、受肉とあがないという中心的な神秘との交わりのうちに生きたのです。1890年9月8日の聖マリアの誕生の祝日に行われた修道誓願式は、テレーズにとって、福音の「小ささ」のうちに結ばれるまことの霊的婚姻でした。この福音の「小ささ」は、花の象徴によって特徴づけられます。テレーズはいいます。「マリアさまの誕生日! イエスさまの花嫁となるために、なんと美しい祝日でしょう! お生まれになったばかりの〝小さい〟マリアさまが、ご自分の〝小さい〟花を〝小さい〟イエスさまにおささげになったのです」(同:77r〔前掲邦訳、244頁〕)。テレーズにとって、修道女となるとは、「イエスの花嫁となり、人々の母となること」(『自叙伝』:Ms B, 2v〔前掲邦訳、285頁〕参照)でした。同じ日、聖女は一つの祈りを作りました。この祈りは彼女の生涯の目的を余すところなく示しています。彼女はイエスに願います。イエスご自身の無限の愛を。そして、もっとも小さな者となることを。何よりも彼女は、すべての人の救いを願います。「今日は、一人も地獄に堕(お)ちる者がないように」(Pr 2〔前掲邦訳、387頁〕)。1895年の三位一体の祝日に行った、「神のいつくしみ深い愛にいけにえとしてわが身をささげる祈り」(『自叙伝』:Ms A, 83v-84r; Pr 6〔前掲邦訳、265-266、388-391頁〕)はきわめて重要です。テレーズはこの奉献をすぐに、すでに副修練長となっていた姉たちと分かち合いました。
  「ご降誕祭の恵み」から10年後の1896年、「復活祭の恵み」が訪れました。それは、イエスの受難と深く結ばれた彼女の受難の始まりとともに、テレーズの生涯の最後の時期を開始します。それは身体の受難でした。彼女は病気にかかり、病気は深い苦しみを通して彼女を死に導きました。しかし、それは何よりも魂の受難でした。それはきわめて苦しい「信仰の試練」(『自叙伝』:Ms C, 4v-7v)を伴ったからです。今やテレーズは、イエスの十字架のもとに立つマリアとともに、英雄的な信仰を生きます。この信仰は、魂の中に忍び入る暗闇の中の光のようなものでした。カルメル会修道女テレーズは、現代世界のすべての無神論者の救いのために、自分がこの大きな試練に遭っていることを自覚していました。彼女はこの無神論者を「兄弟」と呼びました。それゆえ、彼女はますます深く兄弟愛を生きたのです(8r-33v)。この兄弟愛は、共同体の姉妹、霊的兄弟である宣教者、司祭とすべての人、とくにもっとも遠く離れたところにいる人に向けられました。テレーズは真の意味で「すべての人の姉妹」です。彼女の優しいほほえみに満ちた愛は、深い喜びの表れです。彼女はこの喜びの秘訣をわたしたちに示してくれます。
 「イエスよ わたしのよろこび
 それは あなたを愛すること!」(『詩』:P 45/7〔『テレジアの詩』伊庭昭子訳、中央出版社、1989年、286頁〕)。
聖テレーズは、このような苦しみの最中で、日々の生活のもっとも些細なことがらの中でもっとも大きな愛を生きながら、教会の中心で愛となるという召命をまっとうしました(『自叙伝』:Ms B, 3v〔前掲邦訳、289頁〕参照)。
  テレーズは1897年9月30日の晩に亡くなりました。手にした十字架を見つめ、「わが神よ、わたしはあなたを愛します」という単純なことばを唱えながら。聖女が述べたこの最後のことばは、彼女の教え全体と、その福音の解釈を解く鍵となるものです。彼女が最後の息で言い表した愛のわざは、いわば彼女の魂の絶えざる呼吸、彼女の心の鼓動でした。彼女の著作全体の中心にあるのは、「イエスよ、わたしはあなたを愛します」という単純なことばです。イエスへの愛は、彼女を至聖なる三位一体の神の中に浸しました。テレーズは述べます。
 「ああ! あなたはご存じです 神なるイエス
 わたしがあなたを愛していることを
 愛の霊は その火でわたしを燃やします
 あなたを愛することによって
 わたしは御父を引き寄せます」(『詩』:P 17/2〔前掲伊庭昭子訳、116頁〕)。
 親愛なる友人の皆様。わたしたちも幼きイエスの聖テレーズとともに、日々、主に向かって繰り返しいえなければなりません。わたしたちはあなたのため、人々のために愛を生きたいと思います。聖人の学びやで、真に完全な意味で愛することを学びたいと思います。テレーズは福音の「小さな者」の一人です。この「小さな者」は、神によって、神の神秘の深みにまで導かれます。テレーズはすべての人の、とりわけ、神の民の中で神学の奉仕職を果たす人々の導き手です。テレーズは、へりくだりと愛、信仰と希望をもって、絶えず聖書の中心に分け入りました。聖書の中にはキリストの神秘が収められているからです。「愛の知識」によって養われた、このような聖書の読み方は、学問的な知識と対立するものではありません。実際、テレーズが『ある霊魂の物語』の最後のところで語るとおり、「聖人の知識」は最高の知識です。「聖人がたは、皆このことを悟られましたが、たぶん全教会を福音の教えの輝きで照らした聖人がたは、特別によく悟られたことでしょう。聖パウロ、聖アウグスティヌス、十字架の聖ヨハネ、聖トマス・アクィナス、聖フランチェスコ、聖ドミニクス、そのほか神さまの有名な友である多くの人々が、もっと偉大な天才をも驚嘆させるような神的な知識をくみ取ったのは、念祷の中からではなかったでしょうか?」(『自叙伝』:Ms C, 36r〔前掲邦訳、382頁〕)。福音と切り離すことのできない聖体は、テレーズにとって神の愛の秘跡でした。神の愛は、わたしたちをご自身へと上げるために、極みまで降ります。最後の手紙の中で、聖女は幼いイエスがホスチアの中に示す姿について、次の単純なことばを述べています。「わたしは神さまを恐れることができません。神さまはわたしのためにこれほど小さくなってくださったからです!・・・・わたしは神さまを愛します! 実際のところ、神さまは愛とあわれみ以外の何者でもないのですから」(LT 266)。
  テレーズは福音の中に何よりもイエスのあわれみを見いだします。そこで彼女はいいます。「神さまはわたしに無限のいつくしみをくださいました。それでわたしはこのいつくしみを通して、神さまのほかのすべての完全さを眺め、礼拝します・・・・! するとすべては愛に輝いて見え、正義さえも(たぶんほかの完全さよりもなおいっそう)愛に包まれているように思えます・・・・」(『自叙伝』:Ms A, 84r〔前掲邦訳、265頁〕)。そこで彼女は『ある霊魂の物語』の最後のところでも、自分についてこう述べます。「福音に目を向けさえすれば、すぐにイエスさまの生活の香りがして、どちらのほうに走ればよいか分かります・・・・。わたしが飛んで行くのは、いちばん上席のほうにではなく、いちばん末席です。・・・・そうです、わたしは感じます。たとえ人が犯すことのできるありとあらゆる罪を良心に感じたとしても、わたしは痛悔に心を砕いて、イエスさまの腕の中に身を投げることでしょう。主が、立ち返る放蕩息子をどれほどかわいがるか、よく知っていますから・・・・」(同:Ms C, 36v-37r〔前掲邦訳、382-383頁〕)。それゆえ、「信頼と愛」が、テレーズの生涯の物語が最後に到達した地点です。この二つのことばは、灯台のように彼女の聖性の歩み全体を照らします。それは、自分と同じ、霊的幼子の「信頼と愛に基づく小さな道」へと人々を導くためです(Ms C, 2v-3r; LT 226参照)。自分を神のみ手にゆだねる幼子のような信頼は、まことの愛の強く、徹底的な献身と切り離せません。愛は自分のすべてをとこしえに与えることだからです。聖女がマリアを仰ぎ見ながら述べるとおりです。
 「愛するとは すべてを与え
 自分自身をも与えることです」(「何故、わたしはあなたを愛するか、おおマリア!」:P 54/22〔前掲伊庭昭子訳、341頁〕)。
こうしてテレーズはわたしたち皆に示します。キリスト教的生活は洗礼の恵みを完全に生きることのうちにあります。そのために、自分のすべてを御父の愛にささげなければなりません。それは、聖霊の炎のうちに、キリストと同じように生きるためです。聖霊は人々に対するキリストの愛そのものだからです。

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