教皇ベネディクト十六世、復活祭メッセージ(ローマと全世界へ)(2011.4.24)

4月24日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は、復活祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ(ウルビ・エト・オルビ)」と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されていま […]


4月24日(日)正午に、サンピエトロ大聖堂バルコニーから、教皇ベネディクト十六世は、復活祭のメッセージを発表しました。メッセージは「ローマと全世界へ(ウルビ・エト・オルビ)」と呼ばれ、毎年、降誕祭と復活祭に発表されています。以下はその全訳です(原文イタリア語)。
メッセージの発表の後、65か国語による祝福が述べられました。教皇は53番目に日本語で次のように述べました。「ご復活祭おめでとうございます」。最後の祝福は、ラテン語で行われました。「キリストよ、天と地はあなたの復活を喜べ(In resurrectione tua, Christe, caeli et terra laetentur)」。聖務日課からとられたこのことばは、復活祭メッセージ冒頭でも引用されています。最後に全世界の人々への祝福が行われました。
この日、教皇は、午前10時15分からサンピエトロ広場で復活の主日の日中のミサをささげました。


 「キリストよ、天と地はあなたの復活を喜べ(In resurrectione tua, Christe, caeli et terra laetentur)」(聖務日課)。

 親愛なるローマと全世界の兄弟姉妹の皆様。

 キリストは復活しました。復活の朝は、この古くて、つねに新しい知らせをわたしたちにもたらします。2000年前のエルサレムで起こったこの出来事のこだまは、教会の中で鳴り響き続けています。教会は、イエスの母マリアのうちに脈打つ信仰を、空の墓を最初に見たマグダラのマリアと他の婦人たちの信仰を、ペトロと他の使徒たちの信仰を、今もその中心に生き生きと保っています。
 通信技術が発達した現代においても、キリスト信者の信仰は同じ知らせに基づいています。すなわち、空の墓から転がされた石と、その後、十字架につけられたイエスが復活したと証言した不思議な使者を最初に見た姉妹兄弟のあかしです。次いで、生きていて、手で触れることのできる、主であり師であるイエスご自身が、マグダラのマリアと、エマオに向かう二人の弟子と、最後に二階の広間に集まっていた十一人全員に現れました(マルコ16・9-14参照)。
 キリストの復活は、考察や神秘体験が生み出したものではありません。それは出来事です。この出来事は、確かに歴史を超えたものですが、歴史のある一定の時に起き、歴史の上に消し去ることのできない痕跡を残しました。イエスの墓を見張っていた番兵をまばゆく照らした光は、時間と空間を横切っていきました。それは普通と異なる、神の光でした。この光は、死の闇を引き裂き、世に神の輝きをもたらしました。真理といつくしみの輝きをもたらしました。
 春の日射しが木々の枝についたつぼみをほころばせ、開くように、キリストの復活から発する光は、人間のあらゆる希望、期待、望み、計画に力と意味を与えます。そのため、今日、全宇宙は喜び、人類の春に加わります。人類は被造物の静かな賛美の歌声を響かせます。世を旅する教会の中で鳴り響く、復活祭の「アレルヤ」は、宇宙の静かな歓呼の声を、何よりも真に神へと開かれたすべての人の心のあこがれを表します。そして、神の限りないいつくしみと美と真理に感謝します。
 「キリストよ、天と地はあなたの復活を喜べ」。今日、教会の中心からわき上がるこの賛美への招きに、「天」は余すところなくこたえます。天使と聖人と福者の群れは、わたしたちの歓呼の叫びに声を合わせます。天においてはすべてが平和で喜びに満たされています。しかし、残念ながら、地上においてはそうではありません。この現代世界において、復活祭の「アレルヤ」と対照をなすのは、今も多くの悲しむべき状況から発せられる悲しみと叫びです。すなわち、貧困、飢餓、病気、戦争、暴力です。しかし、だからキリストは死んで、復活したのです。キリストが死んだのは、現代のわたしたちの罪のためでもあります。キリストが復活したのは、現代の歴史をあがなうためでもあります。それゆえ、今日わたしはこのメッセージをすべての人に向けて、とくに今、受難の苦しみのうちにある多くの国民と共同体に向けて預言的な告知として送りたいと思います。復活したキリストは、これらの人々に、自由と正義と平和の道を開いてくださるからです。
 最初に復活した主の光に満たされた地が、喜びを味わうことができますように。キリストの輝きが中東の諸国民に届きますように。平和と人間の尊厳の光が、分裂と憎しみと暴力の闇に打ち勝ちますように。紛争状態にあるリビアで、外交と対話が武力に取って代わり、紛争の被害に遭った人々が人道支援を受けることができますように。北アフリカと中東諸国において、すべての市民、とくに若者が、共通善を推進するとともに、貧困に打ち勝ち、あらゆる政治的選択が人間の人格の尊重に促されて行われるような社会を築くために努力してくださいますように。愛する者から離れることを余儀なくされた、アフリカ諸国から来た避難民と難民に、すべての人が連帯を示しますように。善意の人々が光に照らされ、心を開いてこれらの人々を受け入れますように。多くの兄弟の切迫した必要に連帯と気遣いをもってこたえることができますように。このことのために惜しみなく努力し、模範的なあかしを示す人々を、慰め、たたえたいと思います。
 コートジボワール国民の間で市民の共存が回復しますように。コートジボワールでは、最近の暴力によって生じた深い傷をいやすために、和解とゆるしの道を歩み始めることが緊急に必要です。最近の地震で深刻な被害に遭った日本の地と、この数か月の間に多くの苦しみと悲しみをもたらした自然災害の試練にさらされた他の国々が、慰めと希望を見いだすことができますように。
 イエス・キリストへの信仰のゆえに反対され、迫害まで受けている人々のあかしのゆえに、天と地が喜びますように。キリストの復活の勝利の知らせが、この人々の信頼と勇気を強めてくださいますように。
 親愛なる兄弟姉妹の皆様。復活したキリストは、新しい天と新しい地を目指して(黙示録21・1参照)、わたしたちに先立って歩みます。この新しい天と新しい地では、わたしたちは皆、ついには同じ父の子として、一つの家族として生きるのです。キリストは世の終わりまでわたしたちとともにいてくださいます。このかたに従って歩んでいこうではありませんか。この傷ついた世界の中で、「アレルヤ」を歌いながら。わたしたちの心には喜びと悲しみが同居しています。わたしたちの顔には笑いと涙がともにあります。これがわたしたちの地上の現実です。しかし、キリストは復活されました。キリストは生きて、わたしたちとともに歩んでくださいます。だから、歌いつつ、歩んでいこうではありませんか。この世の務めを忠実に果たしながら、天にまなざしを注ぎつつ。
 皆様、ご復活祭おめでとうございます。

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